A様のご遺族の方々へ。

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2018/01/01
私はいつまでもご連絡をお待ちしております。

201806/16
A様のお兄様へ:http://iwtbr.blog134.fc2.com/blog-entry-1015.html

進めることはあるのに進まない。

ああ、
あの日私がぶっ倒れてから、休んだのは正解だったのだろう。
ところがまたうつが重くなって何も出来ないでいる、

、、、本当にそうなのだろうか。

やることは決まっている、とても決まっている……

私は、、、

「何日かかるか分からない作業」が酷く苦手だ。
それはみんなそうなのだろうけど、私は普通の人より遥かに苦手だ。短いながらもこれだけ生きてて、そして私と似たような人間を見てたら嫌でもわかる……

私はなんだって1日で終わる。分かってる。手をつけたら1日で終わる。あるいは、普通の人の何倍もの速度でそれを進めることが出来る。
だけど、それに手をつけることが、どうしてもできない。

このことになると、とある世界一尊敬しているゲーム製作者のことを思い出す。

彼は英語話者で、彼が何を言っているのか、私は半分くらいしか聞き取れない。
だけど、彼が新作の構想をストリーミングで語るとき、その熱量は、ちょっとこいつヤクでも決めてんじゃねえかと思うくらいに、物凄い。
彼の語る新しい構想、それは常に果てしなく斬新で、彼はその複雑なアイデアを極めて理路整然と語り、何よりも、アイデア自体の面白さより、彼の言葉に込められた熱が、「これは絶対に面白いものだ」と脳に否応なしに働きかけて確信させてくる。彼のラリった時の喋り方は、そういうものだ。どんな詐欺師にも真似出来ない、この世で本物の熱だ。
もし「情熱」という単語の真の意味を人に伝えるのなら、彼の配信のアーカイブを見せるのが1番早いのだろう。

しかしながら彼は年に、多分15日も手を動かさない。
というか、動かせないのだと思う。
ぶっちゃけ、物凄い熱量で語られた斬新な構想の数々も、95%は完成どころか着手すらされない。というか多分本人がほとんど忘れてる。

それにも関わらず、彼がたったの15日かけて作ったものは、質と量、両方が常人の1年や2年を遥かに上回る。
そして彼が作るものは常に、過去に絶対に存在しない。唯一無二としか言い様がない傑作を彼は息をするように作る。己の過去作とすら似ているものさえ二度作らない。

天才というのはまさにああいうのを呼ぶのだろう。

彼が毎日作業できるようになればどれほどのものがこの世に生まれるかと思うことがあるが、天は二物を与えずを与えずと言う奴で、彼は己の過度な情熱と、手を動かせない葛藤に一生苦しみ続けるのだろう。そして、彼がもし毎日手を動かしてしまったら、彼のこれまでの作品にあるようなとてつもない何かは全て失われてしまうのではないかとすら私は思っている。彼は天才なのに年に15日しか手を動かせないのではなく、天才であるが故に年に15日しか手を動かせないのだ。

私は、奇妙ながら、彼のそういうところが少し羨ましくすらある。私は奇怪な情熱に身を委ねることだけに魂を捧げた人間で、彼はそれが私よりもずっとずっと得意なのだ。

話が逸れた。

私は彼ほどではないけれど、彼と同じ病気を抱えている。
それは性別に関係なく、誰にでも発生するものだ。こんな日記を読んでいるような人間にはにはおおよそ見当がつくのだろうけど、彼の名誉を傷つけないように明言はしないでおく。私はその病気については悪いものではなくて、むしろインターネットが普及してしまったこの世界においては、この病気の持ち主だけが人生を真に生きられるようになってしまったと思ってはいるのだけれど、彼は己の病気を公にはしていないから、私も彼についてはそうしようと思う。

それでも、同じ病気を抱えていても、私は彼のような天才では絶対にない。あまりにも度合いが違いすぎる。例えるならヤムチャと悟空くらい違う。
あんな天才を見て自分に才能が何かひと欠片でもあると思える馬鹿がいたら、その方が余程どうかしてる。
私ごときなど、たった少しのライフハックで手を動かすことだって出来るし、それで今までずっとどうにかしてきた。彼は多分、それすら不可能なのだろう。
だから。

いつからかは分からないが、そして私は彼ほどではないが、
近いうちに、また手を動かし始めようと思う。

私はこのまま死ぬだろうか。

わからない。

私は何のために生きてきただろう。

27時間寝た。

脳がいかれている。

もう。

疲れた。

薬が。

薬が効かない。

薬が。

寝ていた。

SNRIを飲んだ。

何も無い。

凄く言葉が散発的でまとまらず、それによって今自分が異常な状態にあるのだと書いていて初めて気づいた。

SNRI。

私が27時間眠っていた間、何も無かった。
やるべきことも手の届くこともいくらでもあった。
どうでもいいという感情すらなかった。
ただ単に心の中に何も無かった。
ソーシャルゲームは時間を過ごすには絶好だ。
でもそれだけだった。

起きてから何時間になる。
覚えていない。
起きた時のことはよく覚えている。
薬が効いた、その実感があった。
ソーシャルゲームなどゴミの塊に見えた。
何が面白いのかさっぱり分からなかった。
スタァライトの新作はソーシャルゲーム的な部分ではなくスタァライトが好きだからプレイした。

時間が過ぎた。

昨日までは1日でヘイローを100周くらいしていたはずのグラブルでさえ酷く何の価値も無いように見えた。
何の価値も。
昨日まではAPが15溜まってマグナに1回行くのを待ちきれずエリクシールハーフを切り捨てるような文字通りのヤク中のような人間が、潤沢なAPを前にもうこんなものどうでもいいと思ってただアプリを閉じた。

これ自体はいいことではない。

人間、ジャンクな刺激も必要だ。高尚な作品ばかり摂取して生きていけるように私たちの体は出来てはいない。グラブルなどは疲れた時にやるのに本当に最高のゲームだ。恐らく過去日本で開発された中で最も完成度が高い作品だとまで言ってもいい。
それを無価値に思うというのは、頭の中がやりたいことでいっぱいで、ジャンクな刺激が一時的に要らなくなったという事だ。
私は何かやるべきことをするなり何かを鑑賞するなりした後、疲れた脳を癒すためにここに戻ってくる。グラブルに限らずソーシャルゲームはそういうものだ。

それができなくなった。

今の私は、つまり、起きてから、グラブルさえ無価値に思えるくらいSNRIで気力が有り余って生産的なことしか考えられない私は、
それ以上の力でに体を押し潰し地面に叩き伏せるような重力か何か、一般的に虚無と呼ばれているものに、

ただ取り憑かれている。

何もしたくない。

手を伸ばしたくないとすら思わない。

手を伸ばさないことに、残念だとすら思えない。

ソシャゲのスタミナが回復する。

でも消化する気にもならない。億劫だ。

私はもう。



本当に何も無いのだと思う。

疲れきっている。

私が今現実で何をやっているのか知っている人間はとても少ないのだろう。

この1週間、何も無かった。

何も手がかりが見つからないとかそういうことではなくて、ひとつ大きな当たる場所が捜索し終わって、
それ自体は対した疲労では無いと思っていて、次に移ろうとしたら、私はもう動けなくなっていた。

今日に至っては、19時間ほどずっと眠っていたことになる。

私は自分の疲れを感知できないのだろう。

少し前のあの日私は、両親に介抱されながら、とても頭がハッキリしているというのに、いや自分ではそのつもりなのに、口から出る言葉の響きがひどく酩酊した人間のそれに似ていたことに、とても驚いた。
頓服の精神安定剤などは特に飲んでいなかったし、睡眠導入剤も前日服用していない。睡眠もきちんと取れていた。それにも関わらず全くろれつが回っていなかった。

もうすぐ1年になる。

この1年は私にとって存在していたのかどうか、正直いって分からない。

色々なことがあった。ありすぎたくらいだ。それでもどこか、過去と完璧に断絶したような感覚がするのだった。

私が休学をしてからの時系列は今でもとても完全に並べることが出来る。ある地点までは。そこがどこなのかは言うまでもない。
それまでの人生は、凄く理路整然としていた。当時はなにか闇雲にひたすら進んでいたつもりでも、後から振り返ってみれば何かの区切りや塊としてまとめたり、必死に前に進む自分の魂を思い出すことができた。

今はもう、それがない。
私は正直いって、尋常じゃない量の作業に日々追われている。それは過去のどんな困難より比べ物にならないくらいに大変なことをし続けている。
それにも関わらず私の記憶はひどくばらばらで、何月何日に何があった、何月は何をしていた、そういう事は思い出すことが出来ても、その記憶の中に自分の姿が見えない。

ただ私のどこか知らないところで私の姿形をした何かがことを進めているか、あるいはそんなドッペルゲンガーすら記憶の中にいない。私が何かをした記憶はなく、ただ事実だけが記憶の中にある。

これほど気持ちの悪い類の記憶は過去にない。

私は今生きてはいない。

健康な他人から見れば私は存在して、その人の人生の中には私の姿があって、そんな人がどれほどいようとも、私の記憶の中に私の姿も意思も何もかもが存在しない。
主観的に見たとき私はもう意識があるということを除いて生きていても死んでいてもなにか違いがあるのかどうかよくわからない。
どれだけ人生を続けてももう私の記憶さえ死ぬ瞬間に存在さえしないのだから。別に死ぬ瞬間に悪くは無い人生だったと思いたいだなんて、そんなくだらないことのために生きてなどいないけれど。

全ての脳の回路は壊れて、SNRIですら私を布団から立ち上がらるに能わない、知覚もできない1年近い疲労だけが私を支配している。

願わくは私の人生にもう一度私が現れますように。

鬱病末期朝の部

もう頭が働かない。

今日はそれでも、何故辛い思いをしているのか、それくらいは精神安定剤を飲まなくても考えられるから、まだマシなのかもしれない。

私はもう作品を鑑賞するか、申し訳程度にSSを書くことしか出来ない。小説の続きは未だに暫く手をつけられない。ここでいう作品鑑賞にゲームは含まれる。ソシャゲは含まれない。
いずれにしても精神力を使う。

精神力が無いと私に出来ることは無くなる。
ただ横になっていることしか。

そんな日がどれほど増えただろう。

こんな日は将棋すら出来ない。詰将棋もだ。
利きが見えない。普段なら絶対にみのがさないようなあまりにも明らかな、飛車に相手の角が当たっているのすらわからないで取られてしまう。長いどころか僅か1マス分の利きすら見えず、そこに歩を貼っても紐がついてないから同銀成とされるだけだろうということすらわからなくなっている。2回負けて今日は指さないことにした。少なくとも頭がまともに戻るまでは。
頭がまともな時だけ指すことにしたら昨日数日かけて初の8連勝を達成した。その後は普通に負けたものの満足の行く内容だったと思う。頭がひどいときとまともな時の棋力とレート差は手合い違いになるレベルでひどい。
何しろ2手先が見えない。3手先を考えるのではない。そもそも2手先が分からないのである。つまり相手の最も原始的な指し手の意図すら分からず相手の仕掛けを全部食らうことになる。ましてやウォーズ3級といえど5手先の狙いをつけて指す人間は対戦相手に増えてきている。勝てるわけがない。逆にこちらは何も用意出来ない。
詰将棋なんて当然だめになる。

私はこういう時に無理して向き合うとトラウマになって年単位で手がつけられなくなることを昔凄く苦い経験と共に学んだ。だから大切なものに何もしないことにしている。当時はまだ論文を読もうとしていた。最終的に英単語を見ただけで卒倒しそうになるくらいになってそれが抜けるだけでも半年以上かかった。

昔の私にはただ時間を潰すだけのものとしてホラーゲームがあったかもしれない。それは大切なものではなかった。今ではそれは大切なものになってしまった。

久々にTRPGでも見た方が良いのだろうか。CoCですら未履修の有名シナリオはたくさんある。誤解されたくないように書いておくと、私はTRPGをとても大切に思っているし、パラノイアも好きだし、実卓でやった数少ない経験は今でも私の大切な思い出として輝いているけれど、それは動画とは違うものだ。特にそこまで興味はないが教養として履修すべきあらすじ。それを精神力の欠片もなく得たい時に動画は大変に便利だ。製作者様には申し訳ないが。久々にTRPG動画でも見ることにしよう。もっとも私が本当に限界に達すると動画を視聴することすら出来ないという絶望に駆られながら。
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