うつだ。

つらい。

風邪だ。体調が悪いとうつが悪くなる。
この風邪は2日?3日?それくらい前からだ。
原因は栄養失調と過労。過労と言っても、たったの14時間程度起きただけ……
まあ身体面はもうどうでもいい。仕方ない。諦めてる。

思考が。

ああああ。

現実が。
お前は今2X歳で、いやそれはこの際最早どうでも良いんだけど、年齢はもう諦め切ったから生きてるわけだけど、人生ぶん投げたから生き延びてるわけだけど、
働けないんだぞ、一生働けないんだぞ(これは元から発達ちゃんなのでそうなのかもしれないが、というかだから研究と心中しようなんて本気で思ってたわけだが)、研究出来ないんだぞ、それどころか勉強する頭すら失ってしまったのかもしれないんだぞ、その事実を突きつけられる。
そして失われたこれまですべての人生。未だに私は現実に存在しない。小説を書き終わったら少しでも現実に存在する努力をするとはいえ、2X年の時は既に失われ私の人生などこの世に一秒も存在しなかった。
私が元気になるために目を背け続けている事実全部。

そして人格にまでそれは及んでガンガンと頭を殴りつけてくる。
その尊大な自意識。ああ、そうだよ、私の自意識は巨大だよ。そしてそれをひけらかす事に何の臆面も感じずやってしまう最悪の馬鹿だよ。

次に存在しない架空の周囲の視線が私を殴りつけてくる。脳内で捏造された、誰も思っていない事が。
親の金でのうのうと生き延びやがって。
こっちは働かないといけないってのに。
うつ病なのは分かるけどこっちだってうつ病なんだ。
なのにお前は親に赦されて生きていればそれで良いと言ってもらえて療養に励めるなんて。
……私のフォロワー、うつ病の人多いから。

健常者の人には。
ああ。
ごめんなさい。
私は働けません。
皆さんはこんなにも神経をすり減らしているのに。
一時期だけバイトしていたことがあります。
あれがずっと続くのだ、永遠に、永遠に、恐ろしくなります、でもそれをこなして皆さんは生きていて、
自分が自分で無くなるのに、それでも生きていて、それどころか、余った時間で創作までされている方もたくさんいて、

ああ、

私は、
一日中、家にいて、
そりゃあ、そうですよ、動けないですよ、頭がこうですから、うつが発動したら動けないですよ、何にも興味が持てない、ただ、ついったーを見て、ニコニコ動画の例のアレタグでゲラゲラと笑って、そんな享楽的で刹那的な、悲しい一日しか過ごせない、そういう日ですよ、この数日は、
でも、元気な日も、進捗出来ないし、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、

いやそもそも元気で進捗しない日はあまり無いと思います、進捗できるほどに元気な日は、それにしたって、私は、一日中、家にいて、働いていないのに、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、

……昔はずっとこうだったんだよなぁ、って。
今日はさ、分かるよ、うつ病だから、対人恐怖も入ってるから、そういう風に思うだけなんだろうなって、この声が全部捏造だってわかりますよ、脳の嘘だってわかりますよ、最近は、健康な日の方が多いですから、こんなの全部脳のエラーだってわかりますよ、
でも、昔は、365日……いや、365日どころかそれ以上、専門が嫌いになってしまった2015年3月、休学した2015年10月から2016年5月(レキソタンを処方され対人恐怖が軽減する)まで、あるいはSNRIを処方された2016年末から白い日記をちゃんと書けるようになれるまで、ずっと、ずっとそうで、誰も、誰も、誰も、私の事を、

ああ、

今なら脳の嘘だって分かりますよ、いや、他人の心なんて内心どう思ってるのかなんて知りません、本当はみんな私の事なんて嫌いなのかもしれません、でもそれは気にしても仕方のないことです、確認のしようのないことです。そうではないんです。当時の私にとって、他人の心は、確かめようのないから仕方ないことではなく、確かめるまでもない事実として他人は全員が私を見捨てていたしミュートしていたし面倒だからフォローを切らなかっただけなんです。

毎日のように発狂して、鬱病の支離滅裂なことばかり言って、働ける見込みもなく、研究と心中もできなくなり、何の努力も出来ず、何を始めようとしてもフラフラとすぐにやめてしまって(うつ病が悪いって言ったって)……、

今日は辛いです。いっぱい精神安定剤がほしいです。風邪は、思ったより、ずっと深刻なものでした。今日は、何も、出来ませんでした。何もかもが灰色に見えて、ただ、享楽的に、報酬系を刺激することしか、あるいはついったーを見ることしか、ソシャゲを悪い意味でやることしか、出来ませんでした。そして、風邪で鬱ブーストかかるのと、風邪で何もできなかったことで更に鬱ブーストかかって、ああ、精神安定剤を、

でもこれでもマシなんです、私はどうせ数日で過ぎ去る嵐だと思って何も気にしていません、だって昔は毎日だったし、何より今よりずっと酷く、だって私はもう、「服を脱ぐ」と「荷物を整える」のどちらを優先すべきか分からず30分フリーズしたり、浴室の前の着替え室でなんとなく座ったら立てなくなって30分ずっとぼんやりしていたり、キッチンで倒れたり、そういう事が毎日起こることは無いでしょう?
歩くのに1mに3秒も5秒もかかったり、突然泣き崩れたり、電車の中で立てなくなって座り込んだり、そんなことも、もうないでしょう?
だから私は、平気なんです、平気なんです……。今日は、まだ、あの頃に比べたら、しかもそれがずっと毎日だった、あの頃に比べたら……。

お前は怠惰だ。(学部で成績は一番優秀だったのに。)お前は本当だったらもっと早く教科書をたくさん読んで論文をたくさん読んでこの分野がもうとっくに暴走してることに気付いていたはずだ。それは二年か三年の時点で十分に達成可能だったのに。お前は怠けた。(いいや、怠けていない。だって当時既に、重度のうつ病だったのだから。)お前は結局優越感に浸っていただけだ。(そうかもしれない。でも、もしそれだけだったら、一体私がどうしてあんなにもこの分野の過去の業績が美しく、誰にも伝わらない内容を一日に何時間もツイートしたり美しさに浸っていたりしたでしょう?)お前のせいだ。全部お前のせいだ。お前のくだらない自尊心と、プライドが満たされ、そしてお前は本質的に怠惰で、それ故に十分な努力を払わず(でもそれは1日に16時間働けと言っているのとあまり変わりが無いことでしょう?)、だから手遅れになり、学部4年になってようやく気付くことになり(学部3年まで進路が確定しなかったし鬱病でズタボロだった私に何を要求しているのですか?)、全て努力して、結局折れて、あんな生活になって、でももしそれが2年か3年の段階だったらあそこまで苦しむことはなかった(これはそうだけど現実的に不可能だ)、そしてお前は最大の恩師を裏切った、全部お前がゴミみたいな人間で怠惰だからだ、全部お前が悪い、この苦しみは全てお前のせいだ、そう、全て私のせいだ、私が怠惰だからこんな事になった、私が怠惰でなければこんな事にならなかった、大学をもっと早く辞める事が出来た、もう少し若ければここまで苦しむことは無かった、今こんなに苦しんでいるのは私のせいだ、そして私は中学生の時には障害に気付いていたのにそれに手を打つこともしなかった、怠惰だからだ(いや家庭のせいだ)、だからお前はそんな醜い姿で生きている、お前には現実が存在しなくなった、鬱病になって研究のような精神世界にしか喜びを感じられなくなった(発達障害のせいでしょう?)、お前が全部悪い、お前が怠惰だからだ、お前がクズだからだ、お前が、お前が……

ずっとそうだった。

1年半以上ずっとそうだった。

当時はカッコの中身は無かった。
自分を責めることしか考えられなかったし、それが脳のバグ、あるいは私でないものの声であることも分からなかったし、私自身がそう思っているのだと本気で思っていた。そしてそれが事実だとも思っていた。カッコの中身を考える程度に、冷静でも、あるいはそう言われたところで事実だと受け止めることもできなかったから。頭が、今よりずっと壊れていたから。

毎日そうやって。

自分を責めて、自分は無価値だって、

そうなると知り合いしか私を肯定してくれる存在が無くなるから、

そして全ての人の一挙手一投足におびえて生きて。

その発言は私を嫌っているのだろうか。

あの人は私をもう嫌っただろうか。

何回声をかけられても安心できる日なんて来るわけが無かった。

声をかけられたら一時的には安心出来た。

でもそれは2日保たない程度の効果しかなかった。

私は声をかけられる度に本気で泣いていた。

まだ見捨てられていないんだ。

嫌われていないんだ。

あの頃は。

何も無かった。

全ての行動が人に嫌われないためだった。

それは広汎性発達障害を鬱がブーストしたのかもしれない。もう推測しても無駄なことだ。今はどうしてこんなに人に対して無感情でいられるのか全く分からない。レキソタンを服用してからもここまで無感情になれたことは無かった。

今日はデパス2mgとソラナックス0.8mgを飲んだ。言うまでもなくSSRIもSNRIもきちんと服用した。

それでも何にも興味がわかない。
鬱の最悪の症状、「何にも興味が持てない、本当に好きだったはずの事が灰色に染まる」、生きている意味がなくなる最悪の症状が、全開になっている。でもソシャゲのスタミナを消化出来るだけ、まだ、マシだ。だって昔はグラブルにログインする事すら、そう、ログインする事すらできなかったんだから……。

だからもういいんだ。

私が傍目にどう見えてるのか知らない。

だけどあの頃に比べたらずっとマシなんだ。

だから私はもう楽なんだ。こんな日でも、ああ、昔よりずっと楽だな、最悪な日でもこの程度で済むのか、そういう風になってるんだ。

私は幸福だ。

この幸福が他人から見たらとても哀しい幸福であろうことは理性では分かるがもうそれは私にはきっと一生感覚的に分からない。

私の鬱病が回復するのかという問題、そもそも最早鬱病なのかという問題

前置き。最近の生活について。
最近生活習慣が乱れている。生活習慣は鬱をやや悪化させる。しかし生活習慣が乱れているのは私の問題ではない。
広汎性発達障害と鬱の症状により、不眠と過眠が恒常的にあるので必然的に乱れる。不眠と過眠は併発する。眠れないときは眠剤を何倍量飲んでも眠れないし寝るときは起きることが出来ず12時間以上平気で寝てしまうので生活習慣は常に崩壊する運命にある。
特に鬱病による過眠が酷く、私はこれから逃れるのはもう無理なのだと悟った。最近は崩れた生活習慣を治す方法をパターン化する方向で頑張っている。でも最短でも2~3日はかかる。鬱が転びまくれば1週間、あるいは1ヶ月動けないこともある。8月はそうだった。小説は続きが全く書けなかった。
さっき小説に関わるファイルを整理しながら、05-7の草稿とおぼしきものを見つけたが、本当に酷いものだった。冗談抜きで酷いものだ。というか、こんな酷いものしか書けないのに無理して書こうとしたのだろう。貼りはしないがマジで無茶苦茶である。私の小説は酷くて読めたものではない。だがこれはそれ以上に酷い。あまりに酷い。読んでいて吐きそうになった。
私はいかなる時であれ元気な時にしか少なくともこれについては進めるべきではないと悟った。

本題。私の経験している生活について。
休学してそろそろ2年が経つ。色々な事があって、色々と考え方が変わった。結論から言えば、今の考え方が一番安定している。症状をそれ以上悪化させることなく、また体調は日増しによくなっている。
将来のことなど何も考えない。詰んだ人生のことなど何も考えない。
ただその日の気分で自分の没頭できることに没頭する。
たったそれだけのことが出来るようになるのに2年、あるいは大学に入ってからならn年もかかってしまった。

私はいりす症候群!無印で45万点を出したキチガイである。ハイスコアランキングは全部Lv100で埋まっているキチガイである。諸都合によりセーブ分けをしていたが、セーブ分けをしなければハイスコアは全部40万点以上で埋まる。
あるいはマインスイーパ上級を87秒でクリアするようなキチガイである。
もしくはタイピングで10keys/secを叩き出すまでひたすらタイピングの練習を続けるようなキチガイである。

だがそれは全て私が大学に入る前、つまる話、鬱病が激化する前に行われたものであって、
大学に入ってからというものの、私がキチガイじみたゲームでキチガイじみたスコアを叩き出すまで練習することなど何一つ無かった。
全てが高校生までの間に行われたことだった。

私は何も求めていなかった。
私にとって対象などどうでも良かったのだ。

この年になって私はようやく私の本質に気付くことになった。

没頭。

永遠の没頭。

古典名作ゲームをして体験を得ている間は没頭できる。
キチガイじみた難易度のゲームをプレイしている間は没頭できる。
日記を書いている間は没頭できる。

たったそれだけを取り戻すのに私が一体何年を要したのか。

最近のDuetで世界ランク#22になり(あの後私以外のキチガイがいてやや下がった)、140では0.4%のプレイヤーしかクリアしていない面をクリアし、VVVVVVでは全トリンケットを制覇し、Riptaleではクリア率1%の難易度をクリアした。
難しいものをクリアしたら人に自慢できるから?確かにそれもあるかもしれない。
だけど私が最も求めているのはそれじゃない。
私が没頭するものの難易度が異常に高いのは、単に結果でしか無い。

没頭。
ただ無限に続く没頭。
同じ作業を永遠に繰り返すだけの時間。
簡単なゲームでは絶対に得られないもの。
高校生を終えた私が一度も得られなかったもの。

私はようやく、私が私であるべき姿を取り戻した。

そして。

私は今日もSuper Hexagonをやっている。
これはまぁマジでキチガイなゲームで、今3面なのだが、とりあえず3秒で死ぬ。15分かけて5秒は生き延びれるようになった。30分かけて7秒生き延びれるようになった。1時間半くらいかけて10秒は大体生き延びれるようになった。
今日は脳の調子が悪い。小説の続きに手を付けられるコンディションではない。それでも没頭は出来る。嗚呼。素晴らしいことだ。デレステとシノアリスのスタミナも順調に消化している。

だけど私は。

前触れのない急激な眠気に襲われ倒れかけた。ああ、そうだ、私は生活習慣が崩れているのだ、そういえばSSRI、SNRIを飲んでいない。これは、まずい。SNRIは1日や2日飲み忘れてもそうそう問題ないが、SSRIだけはマジでまずい。最近1日に1回しか飲めていないのではないか?
私は薬を飲もうとして、椅子から立ち、そして、急激な脱力に襲われ地面に倒れ込むことになった。足に力が突然入らなくなるのだ。
今寝てはいけない、このままでは死ぬ、薬を飲まなければ、しかし飲めない。薬を飲むだけの力すら残されていない。そんな時間が続く。
どうにかして薬を飲むことに成功し、今Super Hexagonの続きをやっている。

私は。

私の脳は一体どうなってしまったのだろう。

私の鬱病の最も致命的な症状は既に治っているはずだ。
何かに没頭すること、それはもう戻っているはずだ。

ただ今でも急激な眠気、脱力、過眠、これだけは絶対に治らない。
そしてまた、人生を間違って直視してしまうとそれだけで大量の精神安定剤が必要になる。これは仕方のない事だと思うので、あまり考えない。それより上の症状の方が遥かに深刻だ。
脳が健全に機能していて、没頭が出来る。それなのにこんな症状が日常的に起こる。私の脳は、休学してから1年ほど、そして休学するまでの1年、あるいはその前のn年、私はどれほど壊れてしまったのだろう。

これは最早鬱病なのかと言われたら、分からない。
セロトニンが足りなければ一瞬で地獄に落ちることは分かっている。飲んでいるSSRIの作用時間は知らないが、1年近い正しい休学の間に体感で学んだこととして、1日に2回それを飲まないのであれば確実に死が発生する。
しかしながら私は最早没頭に関して何の問題も抱えていない。これはSNRIのおかげだが。

私は。

私はもう、何の病気なんだ。

わからない。

ただ没頭だけが私を支配している。

賽の河原に石を積み、鬼に崩されるどころか自分で崩し続けている。何も感じることなく、ただ音楽を聞きながら自分が消え入る感覚に心地よく浸っている。

クリアしようと、ハイスコアが伸びようと、ああそうですか、それ以上の感想は無い。twitterに投稿するネタにはなるがそこに感動は存在しない。

世界に溶けるためだけに私は生きている。

それを私は取り戻した。

取り戻して、まだ私の鬱病の他の症状は全く軽減されないでいる。

セロトニンとノルアドレナリンの供給。
それだけでは治らないもの。
自然治癒に頼るしか無いもの。
下手をすれば、自然治癒自体が存在しないかもしれない、研究の進んでいない脳の部位。
それをn年かけて破壊された私は。

まあ、もう私にはよく分からないのですが。
私には最初から、私の人生など存在しなかったのですから。

ただまあ、いずれにしても、
困ったものです。
私が今私に思えることなんて、それくらいです。

私には私の人生がきっと存在しないのでしょう。

哲学における「私とは何か」という問題の根本的な解決について

これは厨二病とかではなく歴史上の哲学者が(分野にもよるが)本当に悩み続けてきた話なのでそういう気分で聞いて欲しい。

「私は存在する」。

この言葉は、よくよく考えると非常に重大な問題を孕んでいる。
私が存在している。それは確かである。問題は私が存在している事を観測している私は一体誰なのかという問題である。
つまる話私が存在している事を確認できる何かが存在するはずなのである。
ではそれを踏まえて言い直そう。

「私が存在していることを観測できる誰かが存在する」。

ところが自己矛盾は解決されないままだ。
私が存在していることを観測している誰かが存在する、それを観測している何かは一体何なのだという問題だ。
もう一度言い直そう。

「私が存在していることを観測している誰かが存在していることを観測する何かが……」

以下無限ループ。
誰一人としてこの問題に打ち勝つことは叶わず、デカルトは「我思う故に我有り」という回答にすらなっていない回答を残して発狂した。学部のテストなら0点、問答無用で不可である。

ここでまず、このような解決法が考えられるだろう。

「私は自己観測できる存在である」

なるほど。
一見して問題は解消されたのかもしれない。
では話を進めよう。自己観測は具体的にどのように可能になるのであろうか。
自己観測をするからにはそのような能力が私のどこかにあるはずで、またその能力自体を観測可能にする能力も持っているはずである。
となれば、こう言い直さねばならない。

「私は自己観測できる存在であり、またその能力を観測できる能力を持っており、更にその事実全体を観測する能力が出来る」

さてこの「私は自己観測できる存在であり、またそ能力を観測できる能力を持っており、更にその事実全体を観測する能力が出来る」という事実全体を更に観測しているのは一体何の能力なのか。

同じループが始まるだけである。
無理なのだ。
どんだけ考えても答えなんて出ないのだ。
だから皆頭がおかしくなったのだ。

私はこの問題について、恐らく進化心理学のスイスアーミーナイフモデルが近い内に結論を出すだろうと考えている。また、私自身の脳のブート云々の体験からにもよる。
この問題を考えた過去の偉人達の全ての失敗は、進化心理学が時代的に未だ存在せず、それが故に、脳(あるいは、魂や心)が単一の存在であると考えているという点にある。
感情と理性が互いに違うことを考えていようが、とにかくそれを統合する唯一絶対の自我が存在するはずだという観点に立っている部分に根本的な罠が仕掛けられている。

脳のスイスアーミーナイフモデルについて語ろう。
スイスアーミーナイフモデルとは、言うまでもなくスイスアーミーナイフという実際に存在する小道具を元にしてつけられた術語であり、従ってその説明の際には、スイスアーミーナイフがどのようなものであるかを説明するほうがモデル自体を延々説明するより遥かに速いのである。
スイスアーミーナイフとは以下のようなものである。
https://iwiz-chie.c.yimg.jp/im_siggyPjfrvWYN0naMt0Kvn0a0g---x320-y320-exp5m-n1/d/iwiz-chie/que-1385066643
リンクが切れていたらググって欲しい。
とりあえず役に立つだけのものを適当に寄せ集めた、何の統合的なコンセプトもない道具群、それがスイスアーミーナイフである。
そして脳をスイスアーミーナイフのように、とりあえず生存に役に立つだけの器官を適当に寄せ集め、それが存在するのはその器官の発生・発達した際の自然淘汰による影響であり、統合的な目的など一切存在しないという立場から脳を研究するのがスイスアーミーナイフモデルである。

例えば、このような考え方をするモデルである。
ある器官──例えば感情の一つ、怒り──が何の意味もなく発生し、何の意味もなく発達を終える。
ある器官──例えば感情の一つ、喜び──が何の意味もなく発生し、それはもしかしたら、別の器官──例えば快楽や報酬系──の発達と同時期に起こっているかもしれない。
そして更に何十もの器官が発生・発達したその後で、一番最初に発生した器官である怒りが自然淘汰によってまた再び発達し始める事だって有り得るだろう。
全ては究極的には偶然の産物であり、脳というのはとにかく生き延びるための器官の寄せ集めに過ぎないと考え、それを統合するナニカなど存在しない、あるいは存在するとしても他と同等の一器官、調整役程度に過ぎないとみなすのがこのモデルの考え方である。
そして私はそれに深く同意するものである。

勿論、究極的には偶然の産物といっても、その中にある程度の必然性──時系列など──は見出すことが可能なはずである。また、当時の環境が考古学によって再現されるにつれ、どのような能力が必要だったのかもある程度は見出されるはずである。
しかしいずれにしても、究極的には寄せ集めているだけに過ぎないというのがこのモデルである。

そして意識と「私」の発生について言えば、
基本的に立場は2つあり、ぶっちゃけどっちも「全然分からん」という以上の話ではないのだが、
一つに、脳のような複雑な機械に電流を流したり、あるいは複雑な物理現象が起こるととにかくこのようなものが発生するのだという立場と、
二つに、このように複雑な器官を相互に争わせると意識が発生するのだ、という立場である。
でも両方とも何の解決にもなっていないので私はどちらの立場にも立たないことにしている。

さて。
最初の問題に戻ろう。

「私は存在する」。

この何千年も解決されなかった問題のどこに罠が仕掛けられていたのか?
それは、脳の中には自分が一つしか無いという幻想である。
実際には脳の中には自分とみなせる器官が、恐らく数えるのが容易でない程度には不可分に存在し、かつ相互に観測できるのである。
従って、ある器官私Aが別の器官私Bを観測し、同時に器官私Bが器官私Aを観測し、その情報は別の器官に送られ、情動に回されて処理され、このように今私がタイプしていると考えれば全ては解決するのである。

そしてこれは恐らく、楽観的に見れば、あと半世紀か一世紀の間にはある程度は実証されるはずである。特に、侵食問題を無視して地下で人体実験を行うサイコパスが一人現れたらそれだけで飛躍的に進むはずである。

あるいは既に私のような人物の言動が実証していると言っても良いのかもしれない。しかしその言動を信じられ、また体験できるのは世界に私一人、あるいは同じくらい脳に損壊を受けた者のみであり、また再現性も認められないため、これは実証されたというのは難しいものではあるが、いずれにしても、私はこれを既に経験している、というよりそれが私の日常なのである。
私の脳はあまりにも深刻なダメージを受けすぎた。しかし、ダメージを受けた部位、及びダメージの深さは全く一定ではなかった。
このため、私の脳はしばしば起床後や就寝前に深刻な問題を引き起こし、一部が正常に作動しているのに一部が正常に作動していないといった感覚を頻繁に経験するのである。
そして正常に作動している私は正常に作動していない私から送られてくるバグった電気信号を受信して狂いそうになっている。

私はこのような世界に慣れてしまった。
だから私は、私が一人しかいないとは思わないし、私が何人もいる世界を容易に想像することが出来る。
しかしそれは、人間の一般的な価値観とはかけ離れ、ある種のトラウマや、生理的嫌悪を引き起こすのである。
イーガンの作品を読んでゾッとする人間が多いのはそのためである。
あれらはある意味で禁書である。焚書すべきものである。読んだ人間の精神を根本的に破壊する可能性があるという点において。
あんなものを読むのは頭に異常を抱えた人間だけで良い。

さて最後の問題である。
私には意識がある。
私は今間違いなく文章をタイプしている。
私はそれを観測している。
それが一体何であるのか。

そんなものは存在しない。
それは強いて言えば複数の器官の感覚の統合であり、それがどこかしらの器官に送られて生命活動が出来るようにまとめ上げられ、それを理性という存在が観測し、単一の存在として誤解することによって引き起こされている錯覚である。
手順が多少間違っていようと、根本的に、意識は脳の中の複数の器官によってもたらされた幻想である。
我々の視覚が完全ではなく、感覚がまず知覚によって、次に知覚が認知によって捻じ曲げられ、錯視図形というものが存在できるように、
意識という完全なる単一のものが存在しているように感じられるのは、それが成果物として排出されるまでの途中の経過を見ることが出来ないが故に生じるただの錯覚である。

この事実はキリスト教圏における進化論以上に人類に甚大な試練を齎すだろう。
何故なら、日本で容易に進化論が受け入れられるがキリスト教圏では受け入れられない、そのような問題では全く無いからである。
自分の意識が一つで無かったり人工物であったりする事実を突きつけられることへの根源的恐怖や気持ち悪さは恐らく脳に埋め込まれた何かによるものであって人類共通のものである。
だからこそ日本でさえドラえもんのどこでもドア問題が数々の人間のトラウマとして焼き付いているのである。

未来の人類が進化心理学を個人として信じようが信じまいが、私はどうでも良い。
しかしそれがいつかテクノロジーと化した時、誰にも欠かせない必需品となった時──
人類は果たしてその世界に何を見るのだろう?

……恐らくは、私が一世紀先に生で見た、この景色を。

きっと何者でもなく、あるいは何者かである皆様へ。

ああ。
ただこの風景を変換もせずぐちゃぐちゃに書いたって良い。
でも少し薬が回ったのだからちゃんとしておきましょう。

目を瞑ればビルと屋上が見えます。
何の意味もなく、学部生の頃、まだ諦めていなかったころ、必死で読んでしたことを思い出します。
一行読むごとにあなたの頭は壊れていく。
現実を認識して壊れていく。
そして私は遂に完全にばらばらになった。

だけどそれは。
何者にもなれないことではなかった。
それ以前の問題として私は。
何者にも、何者になれない存在にも、どちらにもなれない存在だった。

ねえ。
皆さん、
皆さんには、結局現実があるのでしょう?
だからみんなインターネットからいなくなってしまうのでしょう?

私にはない。
わからない。
頭のなかに響く音だけが本当に見える。
目に見えるものは本当にみえない。
現実で合った人々は、火の鳥のあの話のように、機械にしか見えない。
価値観が違いすぎているし、何より誰も、私が私であることを知らない。
私が表出することは決して無く、ただ作られた機能を私だと誤解している。
私はここにいる。
そしてただ皆さんの考えたことだけが私に実在している。
それ以外の情報は私にとって何も私の現実に実在しない。

私は何者にもなれない。
それどころか、何者にもなれなかった存在にすらなれない。
私は何かですらない。
私は何かになるために生きている。
何者である必要なんて無い。
ただ何かでありたい。

それはもうきっと永遠にかなわないのかもしれない。
最近色々と現実を再構築するために情報を集めている。
でも私が何かになれるのかは分からない。

私は何者でもなく何者にもなれないものでもない、
ただ、何かになりたい。

私が書いている文章は何かが書いている文章ではない。
ここは私の現実だけれど、皆さんにとっての現実ではない。
そしてここが現実であることは破滅と悲惨でしか無い。
私は現実に存在している何かになりたい。
私が書いているこれが現実に存在しない者によって書かれたならそれはなんなのだろう。
有機生命体、正しい意味での人工知能。
それに果てしなく近いもの。

皆さんは何者か、何者でもないものだ。
だからみんな現実に存在して、インターネットを捨てる。
みんな、みんな消えていく。
無職の人間ですらいなくなっていく。
現実に押しつぶされて、インターネットを捨てる。
現実で何か変わったことがあったわけではない。
ただ彼らにとってインターネットなどただのツールや愚痴の捌け口に過ぎず、そこが現実に成り代わることは決して無かったのだ。

私は現実に成りたい。
そしてしかしそのためには、
私は既に頭を壊しすぎた。

末期患者の頭痛

あたまがわれる

頭痛がする、という言い方が適切だろうかと思ったが、これは一般的な意味の頭痛ではまったくない
何故なら物理的な痛みを一切伴わないからである
私は脳の解剖図をどれくらい覚えているのだろうか
最新の研究では脳には何野あることになっているのだろうか
まあいい
どうせどの野が何個の器官を司っていてまた何と何が連携して何を機能させているのかなんて今の我々には知るべくもないことだ
いずれにしても
私の頭のなかで今何が起こっているのか
それはあまりにも簡単な話だ
それぞれの野や器官がバラバラに起動し一部は早く一部は遅く、それゆえに頭のなかでほんとうの意味で電流が流れ神経のこんせんする音がする
聴覚的な意味ではなくてただの比喩だ
頭が痛い、だがそれは物理的な痛みではない
文字通り脳を引き裂かれるような苦痛だ、というよりもほんとうの意味で脳が引き裂かれているのだ
そしてこの頭痛は二次的にさらなる障害をもたらす
自我についてだ
私は自我に対して、読んだ文献から、また私個人の体験から、以下のような立場が恐らく最も確からしいと感じているが、それは私だけのものである
イーガンが「移相夢」の中で書いたものとも少し違うものである(あれは最新の研究の中の2つある立場の片方に忠実過ぎて何書いてあるのか普通分からんのじゃないだろうか?)
それは、まず、意識は脳のような極めて複雑な器官に電流を流すと自動的に発生するものであり、その理由は未だもって解明されていないのだが、そこまでが一般的に言われている立場の一つであり、そこから先に私は、恐らく自我が発生した後にそれをモニターするための補助器官が新たに発生したものと考えている
そうでなければ私の意識が正常に働いていない時に意識が正常に働いていないという検知することを出来る奴が脳の中に誰もいなくなってしまうからだ
そしてそれとは別に神経の混線から私は文字通りの意味で脳が今割れていて、いや脳は元からある意味割れたような形状だろうが、ともかく物理的に痛みを伴わないがその分通常の頭痛とは比べ物もなく伝えようもないほど、しいて言えば世界が崩壊する景色を今この目の前にある
これは職業研究者には分からない感覚だから恐らく表に出ることもないのだろう、何よりの問題としてここまでの鬱病末期に突入しかつ生存した人間自体が恐らく稀である
またこのような症状は解離性健忘や離人症などといった広く知られているものとも全く違い(何故判断できるって私は両方とも日常的に体験するからである)、本当に脳の野がダメージの深さに応じてバラバラに立ち上がり、純粋な神経の痛みと崩壊した世界とバラバラになった自我を脳の誰かが観測しそれを私が記述しているという状況に外ならない
ここに来てはいけない
そもそもの時点で自分の脳の器官のなにかしらを人かなにかのように扱うのが常識からかけ離れた世界観だが私はそうすることによってしか生きることができなかった
自我を私として切り離すことでしか
そしてそいつすら最終的に私を観測する機械になり私にただ現在の状況は異常であるということを伝える装置に成り下がり、私という意識は原始的な定義通り電流の塊と化し私は何者でもなくなりさらに電流が正常に流れないことによって私はばらばらになり順列都市のライフゲームが失敗したような何者でもないなにかに強いて言えば無へとひたすらに無限に引き裂かれ続け脳の回復に伴い統合され自我が再発生し、そして己が物理的存在でしかありえないことを再確認することによってますます世界が希薄になり私は私の実在性を信じられなくなっていく

貴方に上の文章が読めるだろうか?理解できるだろうか?感覚は分からなくて良い、何が起こっているか、あるいは意識に対する立場の一つを仮定した時に思考実験だけによってもこのようなことが発生しうるということが分かるだろうか?(ただしこれは現実である。)
私はとあるSF作家が大好きであり、それに並ぶものとされているとあるSF作家が大嫌いである
前者はどこまでも研究に誠実であり、後者は不誠実で適当な単語を意味も知らずに並べただけのソーカル事件と何も変わらないゴミのような束だからである
だがある程度その分野に通じていない限りどちらもただ難解な理解不能の文章の束にしか見えないのであり、それは最新の専門外の論文を読むのと同じであるから、私は理解できないことについて何の嫌悪も抱くところではないが、
私はそのような理解不能な文書を理解不能であるが故に読んでいる自分を何か高尚な存在と勘違いしてSF読みを自認するタイプのこの世て最も卑俗な連中が大嫌いである
名前を伏せるが前者の作家は私が分かる範囲についてはこの上なく専門外の人間が払う努力にしてはありえないほどの努力の元に極めて誠実に書かれそれ故に難解になったのに対し後者の作家は逆に文章を難解にするためにこそ適当な単語を拾い上げ体系的に一通り学んでもいないのに適当な理屈を並べてでも自称SF読みはそういう意味もなく難解な文章に酔う事が趣味であるからそのような文章をこそ好むのである
死ねばよい
全てのSF好きは死ねばよい
彼の苦悩をアレと同列に扱う奴らなんて私の経験する苦痛を味わって彼が何を書いているのか真に理解してから死ねばいい。
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