大学に入ったみんな、好きなことをひたすら続けようね。例え誰一人見ていなくても、ずっと。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm22844247

昨日久々に荻野ラップ聞いてさー。荻野先生の動画漁ってたんだけどさー。そしたらこんなの出てきてさー。55分もあるのに、静止画で音声だけなのに、気づいたら全部聞いちゃってたよね。

内容は全部は同意出来ないけどさー、例えば最初に「勉強だけしても役に立たない」みたいなくだりがあってさ、私は色んな意味で「本当にそうか?」って思うけどさ。大学でこそいっぱい勉強した方が絶対に仕事出来る人間にはなると思うよ。



それはさておきとして、だ。

一番大事なのはこのくだりだよなぁー、と私は思うんだ。




「好きなことをすれば金は後からついてくる」




「良いですかぁー?皆さん、金を目標にする人間は絶対に金持ちになれませんよ。これだけは絶対言える。金っていうのはねえー、好きなことをやっていたら気づいたら脇にポンと置いてあるものなんですよぉー、ぉーん」
「(今話に出てきた人は)ホームレスで1日300円で暮らして、3年で11万貯めて、それが今じゃ年商100億の社長ですよぉー?」
「どうやったら成功できるんですかってテレビで聞かれてたんだよねぇー、ぉーん、そうしたらその人こう断言したんだよねぇ、『好きなことを続けることですね』と」
「『信じてもらえないでしょうが』と前置きはしてたけどねぇ、ぉーん」
「『ホームレスになる前、会社に勤めてた頃は金はあった、でも楽しくはなかった。ホームレスになってからは毎日が楽しかった。壊れた電化製品を直して中古屋に数百円増しで買い取ってもらう生活は、まるで壊れた自分の人生が生き返るようで、とても楽しかった』っていたんだよねぇー、ぉーん、まぁ電化製品に自分の人生を重ねていたんだろうねぇ」
「それで結局年商100億よ」(※純利益いくらか知らないけど)
「これだけは僕(荻野先生)も絶対に言えますね。金を目標にした人間には絶対に金は入ってこない。好きな事を極めたらいつの間にか後についてくるもんだよ、ぉーん」


いや、個人的にはこのくだりについても「本当にそうか?」感が強くて、n=2である以前の問題として昔ならともかく今はそれは成り立たねえだろ、とは思うのだけど、しかしこれは「金」を別のモノに変えたら現代でそのまま成り立つんだよなぁーと私は思うわけだ。






「好きなことをすれば金は後からついてくる」






これは間違っているけれど、





「好きなことをすれば承認は後からついてくる」




そう、「金」 を 「承認」 に変えたらね。
これは、絶対に正しいんだ。





承認。





我々若い世代が、金よりずっとずっと求めるもの。



私はさぁー、ずーーーーーーーっとむーーーーーーーっちゃくっだらねえツイートばっっっっっっっっかりしてるわけ。丁度2010年、この日記が始まった年、ついったーに来た年から。7年も、ずーっとだよずーっと。くっだらなすぎて誰もふぁぼんねえような、人格を疑われるような寒いツイートだってなんだってずーっとしてるわけ。
更に前から言うとさぁ、私twitterの前にはvipthっていうVIPのパートスレにいてさぁ(もう今の子はVIPもパートスレも意味わかんねえ単語かもしんねえけど)、まぁ「ルーミアになりたい」から始まる妄想を1日に同じスレに平均して100回くらい書き込んでたんだよ。毎日だよ毎日。一番ヤバい時は1スレに200回書き込んだ事もあったね。コピペとかじゃなくて手動で、内容も全部重複しないでだよ。スレッドの1/5が私だよ。そんなキチガイじみたこと毎日やってたの。ヤバいわな。私の「ルーミア厨」って名前はそっから来てるんだよ。これ、私が名乗ったんじゃなくて私に対する蔑称なんだ。元はね。当時も気に入っている名前だったし、今でも気に入っているけれど。
まぁいずれにしてもキチガイじみた所業に与えられた名前である事は間違いないわけだが、



だけどさぁ、楽しかったんだよ。楽しかった。



その結果としてtwitterに移住したとき、私には既に30人の相互フォロワーがいた。その中にtwitterを私より前からやっている人がいて、少しvipthの外に輪が広がって。それだけでもまあ、まず「好きなことをやった」価値があったわけだ。

そんなこんなで暮らしている中、とあるついったらーの某ツイートがRTで流れてきたわけだ。公式RTが実装された後の話だね。
私は本気で腹を抱えて笑ったんだ。今でも憶えているけど、ついったーで本当に笑いすぎて死にそうになったのは、その時が初めてだった。どうにかマウスが握れるようになると、すぐにその人のホームを開いた。ツイートもリプライも何もかもが面白かった。こんな人間がこの世にいるのかと思った。

それからだ。私がふぁぼ乞食になったのは。当時はネタクラスタという呼称ですらなかった。「赤ふぁぼ」だよ「赤ふぁぼ」、そういう時代だよ。元々VIPPERでガ板民でネ実民でν速民だった私はコピペ改変が大好きだったし、たまたまフォローが帰ってきたその人と比べるのなんておこがましいような寒いネタを考える作業を一日中続けては帰宅してから投下してたんだ。(フォローが帰ってきたのは面白かったからじゃなくて単にアイコンがタオルケットをもう一度2のラストシーンだったからだよ。)
だけど主にvipthの皆が私の頭を心配したよ。なんせ私つまんねえんだもん。私が面白かったことなんて人生でいっっっっっっっっっちどもねえからよ。


だけど、さぁ。




楽しかったんだよ。



楽しかったから、ずっと続けたんだよ。




その結果私は最終的に、2011年1月版のふぁぼられランキングで、ギリギリ日本98位に入れたわけだ。まぁ、マジで末席だし、私は私が面白かったとは今でも思っていないんだが、
(ただ当時の私が面白くないのについては別の理由もあって、そもそも2010~2011年には所謂オタク構文が発明されておらずネタの先鋭化のやり方も確立されて無くて当時のトップツイートを見ると私以外のツイートも今の人から見ると「なんでこれが当時人気だったんだ?」と思うようなツイートばっかりだと思うんだが、でもそれを出来る人というのは当時本当に一握りだったしすごかったし当時面白かった全ての人を私は心から尊敬しているんだよ)、

まぁ、いずれにしても高校3年生にしちゃ大成功だわな。

日記もさぁ、書いて書いて書き続けたんだ。誰が読むんだろうって思いながら。だけどずーっと書いてたんだ。思ったことがある度に、書いていた。だけどやっぱりこれもパクリなんだよな。
分かる人はフォロワーにはいないだろうけど、Diablo3とか、最近だとDota2の実況とかで有名な、まぁとあるブロガーのパクリだよ、私の日記は。劣化コピー以外の何物でもない、ただの正真正銘のゴミクズだ。こんな駄文は一文字も読む価値の無い、もし読んでいる奴がいたとしたらそれは社会上のおつきあいかあるいは本気で気が狂っているか、まぁ何かだ。
そんな事は7年前からとっくに分かっていたし4年くらいアクセスログも取っていなかったしだぁーれも見てないだろうと思いながら、今と違って更新の報告すらタイムラインにする事もなくずーっと書いていたんだよ。正気の沙汰じゃない。



だけどさぁー。






楽しかったんだよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。



それで、楽しかったことをずっと続けて、




そして私が得たもの。




Ib 考察」で検索すると私の日記がWiki除いてトップヒットするわな。
しあわせの理由 感想」で検索すると私の日記がamazon除いてトップヒットするわな。
"ひとりっ子" イーガン 感想」で検索するとamazonと読メ除いてやっぱり私の日記がトップヒットするわな。
けものフレンズ.exe」で検索すると私の日記が2ページ目に出てくるわな。(少し前まで1ページ目だったんだけど。泣きたい。)まぁでも個人サイトのレビューでだけ数えれば2件目だ。まほらぼを1件目に数えるのはまぁアレだけど。超激辛ゲームレビューは個人サイトじゃないので除外。
あと「パズドラ つまらない」で検索すると私の書いた日記が未だに1ページ目に出てきたりとか。(これはあんま見てほしくないが、特にパズドラやってる人には。読めば分かるけど私はパズドラ自体は凄く面白いゲームだと思っています)
あとこれは割とどうでも良いけど聲の形のレビューは某パパさんにRTされたわな。あの時たくさんの人がtwitterに聲の形のレビュー記事投稿ツイートをしてたのに、何で私と他数人だけがRTされたのだろうね。

パズドラと聲の形は割とどうでもいいが(よくない)、Ibっていう超有名ホラーゲームの考察、私が日記投稿した瞬間に新しく書く人がほとんどいなくなっちゃったんだよね。
あの特大ホラーゲームの考察()とかいうジャンルを私が一人で終わらせてしまったのよな。敗北を知りたい。

そして、イーガンの短編集。
今思うとSF読んで2冊目でイーガンの感想書くとかあまりに冒涜的な事してるわけだが、まぁなんでか知らんけど書いたもんについてはトップヒットするし他の感想見てもまぁろくなもんがねえ。私の感想もろくなもんじゃねえがそれ以上にろくなもんじゃねえ。(正直SF読み勢は年に10冊も本を読まなかったような人間に、SF2冊目でーすwwwwwwとかいう人間が書いたレビューで質に遥かに劣っているという点についてもうちょっと反省して欲しい。イーガンの言ってることくらい誰か1人くらい分かれよ。どいつもこいつも頓珍漢なコメントばっかりしやがって。[※私をブロックしたイーガン好きの某人への私怨ではない])

だけどまぁなんでイーガンの言ってることがわかったかって言ったら私が昔から哲学大好きっ子で哲学的な何かを穴が開くほど読んだし、この人の書いた概説書は全部読んだし、大学入ってから心理学と生物学と認知科学の勉強を意味もなく大学でそれなりにしたからだわな。
だって、好きだったし、楽しかったから。(※哲学的な何かは科学の話はガバらしいので読まないほうが良いと思うし、今はもう哲学の部分についてすらこの人の考えることには必ずしも同意しないけれど。)

どうしてIbの考察が出来たかって言ったら大学でキッチリお勉強して「そういう」読み方を仕込まれたからだわな。そして美術の物語を読んで、ああ、レビューってこうやって書くのか、ってことをなんとなく分かって、ああ、私もやってみてえ、って思ってそれをどこかにぶつけたかったらたまたま手元にIbがあって試作品がアレだったわけだわな。
なんでレビュー書いてみたいと思ったかって、私が好きそうだったし、書いてて実際楽しかったから。

いや、まぁ、だから荻野先生がどういうかは知らんけど、大学入ってからもやっぱりお勉強は大事なんですよ。お勉強しないと、何にも語ることが出来ませんから。我々は。今挙げたものだって、上のレビューを支えている、ほんの些細な一部に過ぎないわけだし。まともな頃の内田樹とか小田島隆とかにもバッチリ影響受けてますよ。

まぁ、いずれにしてもだ。





「好きなことさえ続けていたら、金は後からついてくる」





これはさぁ、現代においても間違いなく正しいんだよ。





「好きなことさえ続けていたら、承認は後からついてくる」





人々が金よりも承認に絶望的に飢えている、こんな世紀末みたいな時代においても、
「やめられないくらい好きである」ということは、それだけで武器なんだ。




世の中、何が何の役に立つかなんて、わかんないんだよ。
意味もなく好きだからというだけでした認知科学の勉強が、イーガンの短編集を読むのに役に立って、今こうして私の承認を支えてくれることになるなんて、思いもしなかった。
意味もなく好きだからというだけで読んだ美術の物語が、Ibというゲームについて考えるのに役に立って、今こうして私の生命を支えてくれることになるなんて、思いもしなかった。


あとついでに、最近始めた駄コラ。
10枚作っても1枚もふぁぼられない事がほとんどなわけだが、それでも私は作り続けた。
だって、楽しかったから。
そして結局これだけ異常に伸びてしまって、リツイート4.8k、ふぁぼられ2.2k。

好きなことさえ続けているのなら、絶対に何かが起こるんだ。画家も黒猫も死んだけど、私は死ぬための人間だしな。







なんで今こんなこと書いてるって、荻野先生の話を聞いて久々にスイッチが入ったのもあるけど、今年は珍しくフォロワーに大学に入る人が多いんだわ。

だから私は、大学に入る人に、あるいは今大学生の人に、
ホームレスから年商100億の社長になった人間と同じく、荻野先生と同じく、比べるのもおこがましいような人間だが、恐らく同じくらいの確度を持って、告げたい。










あなたの好きなことを、何の役に立ちそうに無くても、誰一人見てくれなくても、どうかずっと続けてください。

承認も結果も人生も生命も、絶対に後からついてくるから。

部屋の掃除をした。

タイトル通り部屋の掃除をした。それだけなのだけど、ただ部屋の掃除をする以上の意味があった。

多分私の部屋に掃除機を入れたのは3ヶ月ぶりくらいのことだ。どうして急に掃除をする気になったかというと、マジな話ぬいぐるみを置くスペースがなくなりつつあり、しかも部屋の隅にかなり埃が溜まっていてこのままでは埃がぬいぐるみに付着するからである。そんな環境に今までぬいぐるみを置いておいたので本当に申し訳ない気持ちでいる。一応埃のつかない地帯に保管してあるので全部個別確認して汚れていない事は確認してあるのだが。

ただ、こんなに長い間部屋に掃除機を入れられなかった/掃除ができなかったのは単に鬱病で気力がない以上の理由があった。

この日記を読んでいる人(いるのか?)なら知っているだろうけど、私は鬱病の最悪期に勉強しようとして、勉強がモロに抑鬱の発作を引き起こすようになってしまったという愚かな経緯を辿っている。活字にもかなりの恐怖がある。
そんなわけで、部屋に勉強用の机やら、ノートパソコンやらがあり、しかしそいつらに目をくれることも考えることもしなくなり、次第に机の上は物置と化し、物凄い勢いで物が溜まっていき、その一角がとんでもない状態になっていた。掃除したら、8~10ヶ月は前のノートが出てきたくらいだ。
愚かな人間である。(鬱病の療養方法としては恐らく正しいのだが。)

良い機会だと思って、掃除のついでに勉強用の机や椅子等などを部屋から叩き出すことにした。どうせもう、半年は座ってない机なのだ。いつか再開する時が来たら、また部屋に入れればいい。

部屋が広くなったと同時に、少し心に整理がついた気がした。

ぬいぐるみを買ったことがこんな副次的な結果をもたらすとは思わなかったので、人生何が起こるのか本当に分からないなぁという気持ちでいる。
そう、人生は、何か起こるか分からない。

良かれ悪しかれだけど、とりあえず今はそれで生きている。

脳みその、神経の束を、こう、グイっと。

今日発達の方と話して、発達特有の他人には理解されなさそうな感覚とかについて考えていたのです。

私には幼い頃より酷いフラッシュバックの癖があります。それは主に人前で恥ずかしいことをしてしまった経験だったり、大切な人に嫌われてしまうかもしれない経験だったり(twitterのフォロワーと予備校の先生が主でした)、失言であったり、まぁそのようなものです。
これだけなら誰にでもあることなのでしょうが、私の場合の問題はそれが度を越しているということなのです。
高校生の時分に1度だけ数えた事があるのですが、1日に72回のフラッシュバックに苛まれていました。あまり意識すると回数が増えると言われて1日でやめましたが、まぁ毎日大体そのようなものでした。そして私はその1回1回の度に叫び声を上げそうになり頭を抱えるのです。意識に真横からトラックが突っ込んできて吹き飛ばされるような感覚ぞするのです。
こんなことにまともに取り合っていたらとてもではないけど生活など出来ないのです。だから私はこのような発作に対する、誰にも伝えられないような特殊な方法を編み出さざるを得ませんでした。
どう伝えたらよいのか分からないのですが、神経の束をこう、グイっと、脳の隅の方にやるのです。医学的にはありえないのでしょうが、体感としてそんな感じです。このようにすると、意識の外に記憶が投げ出され、意識を取られるのは一瞬で済みます。私はずっとそうやって過ごしてきました。

その代わりに、私はありとあらゆるトラウマと向き合うことを放棄しました。どうせ向き合ったところで解決される事は無いのです。分かっているのです。

問題はこれを、私が鬱病の療養と、抑鬱の発作を止めるためにも使ってしまったということです。
人生について考えたり、将来について考えたり、生活について考えたりすると、一撃で抑鬱が発動して、一日から数日は生活が無茶苦茶になります。
鬱病の症状を止めるのはフラッシュバックを止めることなどより遥かに難のあることでした。私は結局、抑鬱を日常的に引き起こさないために、休学してから2年、途中から精神科に通ってさえ1年の歳月を費やすことになったのです。

そしてそのような問題の多くは、結局、フラッシュバックと同じであり、意識の外にぶん投げられて、向き合われることが永久に無いのです。
これについてはフラッシュバックと違って、向き合わなければ解決されない問題であるにも関わらず。

この前、とある方に、泣きついてしまったのですが(おつきあいいただき、大変申し訳なく思います)、ただ自分の人生について振り返っただけで、私はこの半年で恐らく最悪の抑鬱を引き起こしました。
私がいかに意識の奥底まで沈めてしまって考えないようにしていたのか、目を背け続けていたのか、実感させられる出来事でした。

それ以来というものの、私は最近たまに人生のことについて考えようとするのです。

でも、それはすぐに上手くいかない事が分かるのです。

この感覚は、多分、誰にもわからないのです。いえ、わかるのかもしれません。

私が人生についての記憶を呼び起こそうとすると、凄く「重い」ものを感じるのです。

海の中に沈んだ何かを拾い上げようとしたら、一見では一枚の布にしか見えなかったそれに、水底から何百何千もの触手が絡みついていて、「ずっ」と重いものを引き上げるような音がするのです。
私はその瞬間に、フラッシュバックを放り投げるように(幸いなことに引き上げなくて済むのです)、身の危険を感知して、反射的に、それから手を離して再び水底へと沈めるのです。
これを引き上げてはいけない。引き上げたら脳みそが鬱に染められる。また私の景色は灰色の地獄に染め上げられる。何も感じられず、笑うことも、怒ることも、感動することも出来なくなる、あの頃に戻ってしまうのだと。

私にはもうどうしたらよいのかがまるでわからないのです。

日記を書く意味について

やっぱり日記は書くべきだと思う。

最近TLに病んだ人が多いので日記を勧めています。日記を書くと生活によさみが出る。
私はこの絶望的な生活を続けて、特に何もかもをぶん投げて逃げてから1年になるのですが、こちらは丁度その頃から書き始めた別館(白日記)。なんだかんだ1年も続いてるんだなぁと思うと感慨深いです。
同じ1日中何かをして人生を潰しているだけの生活でも、日記を書こうと思って生きているのと生きていないのでは全然違う。
ただ時間を潰すだけの日々が、「あっ、これ今日の日記に書こう!」とか思ったりして、きちんと感動になります。
あと日記を書くと何かをやり遂げた気がする(気がするだけ)のでこれが非常に良い。
こういう日記をサッと書けるので、はてなブログを使い始めてよかったと思う。(FC2ブログで画像を貼り付けるのは面倒臭すぎますよ)

ちなみにこの別館、隠してるわけでもリンクを貼ってないわけでもなんでもなくて、
普通にtwitterメイン垢→プロフィール→サブ垢→プロフィールで普通に来れるようにしてあるのだけど、なんだか少し隠しページっぽい。
不便だし外部のプロフィールサイトでも使ってなんかまとめるべきだろうか。

まぁいいか。不便な方がゼロ年代っぽいし。ゼロ年代なら私はなんでもいいのだ。

ねむねむのにゃあ。

うー。うー。うー。
にゃうにゃあー。
おふとんのなかからスマートフォンで日記を書いています。
最近なかなかかわいくなれないのでかわいく書きたいのです。
たぶんうまくいかないと思います。

にゃうです。

最近色々ログを振り返ることが多いのですが、
この2年くらいは本当にうつ病の話しかしてないんだなぁと思います。
昔はもっといろんなことを考えていたのに。

やはり大学行けなくなったのが大きいのかなと思うのです。
大学行ってればなんだかんだ、専門外のことについても考えることはありましたし、
何より社会への不満とか、色々沸いてくるものがあって、書いていることが多かったです。

最近は新聞を読んでいても、今まさに私の頭上にミサイルが飛んできてもおかしくない状況だとしても、

「そう・・・」

という感じなのです。
だからどうというわけではないのですが、この日記がただの鬱病の吐き場になってしまったことは、少し悲しいことだと思うのです。

今日は日記を書きました。
日記を書いた理由はふたつあって、
まず今日元気だったのでそんな自分も遺しておきたいということと(朝の7時から夜の6時までずっと椅子に座っていられました)、
つらいときにだけ日記を書くのはうつ病の実態に全く即していないのです。
うつの日もありますが、それなりに元気な日もあるのがうつ病なのですから。(勿論薬を飲んで休学等していればの話ではありますが。薬を飲まなければ毎日がただ地獄なだけです)
うつ病とは人格を崩壊させる病気なのです。
最近は毎日日記をつけることはあまりしていませんが、毎日つけたとしたら、毎日別人が書いているように見えることでしょう。
そういう病気なのですから。
あるいは、一日の間に何度も変になる病気なのですから。

ただ、
もし、うつの時の私と、それなりに元気なときの私と、両方の中に何かしら私であることを感じさせるものがあるのだとしたら、
それこそが私なのかもしれないなぁ、と思ったりするのです。

ええと、ねむいし、今日は、そんな感じなのです。
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