いつ消滅するか分からない存在

時間ってやりくりしてみると存外に膨大するもので。今までこんなにたくさんの時間をいったい何に使っていたのだろう。

私に課された最大の任務は今後1年あの悪魔を心の奥底に閉じ込めて精神の主導権を奪わせないことです。
もしも一時的ですら封じ込めが完全に成功したとして、あわよくばその状況を1年間維持できたとして、彼女は果たしてまだ私の中に存在するのでしょうか。
ルーミア厨は字義通りの意味でいつ消滅してもおかしくないのです。むしろ消滅するよう意図的に仕向けているのです。もし彼女が死ねたとしたら、私はちょっぴりの喪失感とこの手に有り余る幸福を手にすることが出来るのです。
私を取り巻く人々は一体どの程度のチップをルーミア厨にベットしてしまっているのでしょうか。自意識過剰と言えばそれまでかもしれませんが。払い戻しは束の間の共依存、当選確率は私の精神の平穏と反比例。
私は常に数えきれない量の人間に自分の存在を分散して賭けている。いつどれが欠落しても自我に差支えの無いように。人間がどれほど移りやすくておまけに利己的な存在かメンヘラたる私達はこの世の誰よりも知っている。人間関係は使い捨てにされなければならない。
そんな私ですらたった一人の人間に全てを賭けてしまうことがある。その対象が、人間関係が使い捨てだと聞いて少しでも不快感を顕にするような理念に囚われた人間であってはならない。あるいは私の意見にいつまでも首を縦に振り続けるような人間であってもならない。止まらない自己愛に身を委ねて承認の為だけに人間関係を使い捨て続け、たった5秒後の自分ですら目の前の人間を好きで居続けられるかどうかまったく分からなくなってしまったような、そんな人間でなければならない。
人間関係を使い捨て続けた存在にこそ、例え外れる事が確定していても自分の全てを賭ける価値があるんだ。彼女は私に飽きた瞬間に慈悲の心など欠片も見せず無造作に捨ててみせるだろうから。
誰も捨ててくれないからどんなに愛されても心から安心出来ないんだ。皆優しすぎるんだよ。そして私も共犯者なのだ。

仕事の効率はかける時間に反比例する

特別に二本立て。

例えば普通にやると30分かかる作業があるとして、
その作業に1時間かけて良いとしたら、貴方はどうするでしょうか。
普通に30分で片付けてしまい、残りの時間に好きな事をして過ごすでしょうか?あるいは全ての時間を作業に賭けるとして、2倍の時間をかけた分、成果の質が2倍になるのでしょうか?
私は違うと思います。
「1時間もあるなら少しくらいゆっくりやったって大丈夫だろう」と怠惰に手を進め、結局1時間経っても30分かけたのと同じ成果しか挙げられないと思います。あるいは、より悪い成果かもしれません。
では、もしも普通にやると30分かかる仕事に20分しかかけられないとしたら、一体どうなるでしょうか。
2/3の成果しか挙げられないのでしょうか?
やっぱり私は違うと思います。
あまりにも時間が足りないのが目に見えていて、それ故に全力で取り組み、結果、30分時間をかけたのと同じくらい、あるいはそれよりも素晴らしい成果を挙げることが出来ると私は信じています。
無論、限界はあるでしょうが、ある程度までは人間忙しければ忙しいほど案外時間のやりくりが上手くいくものです。中途半端に忙しくないのが一番よくありません。

明日から、予備校が始まるのです。
どうか、私に、めまぐるしく回るような忙しい日々が訪れますように。

終に

私の美意識は根本から歪んでいます。かわいいことしか魅力的だと思えません。その美意識の矛先は自分にも向けられます。私はかわいくあらねばなりません。
私は自分の頭の中ではとてもかわいいのです。私はかわいく物事を考えています。人間が考える時に使うのは言葉です。言葉は頭の中で音声を再生する形で扱われます。つまりかわいく思考する私の声は当然かわいいのです。
私がこの姿を纏っていることはしぶしぶ割り切るしかないにしても、かわいいかわいい私の声を汚い声に変換するなんて絶対に許していいはずがありません。もしそんなことをしたら美意識の歪んでいない人から見てもとっても醜悪で滑稽な事でしょう。だって、音色と喋り方がまったくミスマッチなのですから。
私は思ったことを声にして吐き出すことができなくなってしまいました。苦痛を吐き出す機能が失われ、どんなに苦しくてもお腹の中に全部溜め込んで布団に篭もり激痛に悶えながら長い長い時間をかけて少しずつ浄化して行くしかありません。そしてその速度は悲しいほどにゆっくりで、毒物が蓄積されていく速度を絶望的に下回っているのは誰の目にも明らかなのでした。
他人の目を気にするのは社会的な行動です。社会的な人格が存在しなければ他人の目もまた存在しないも同然なのです。精神が限界を迎えて内発的な衝動が抑制の臨界点を振り切り人格が吹き飛んでわけがわからなくなってしまった瞬間、そこまで来て初めて私は美意識の魔の手から逃れてようやくストレスを発散する事が出来るのです。そこまで到達するのに3年半かかりました。つい昨日の事です。
あの事は二度と思い出したくありません。何しろ文字通りの意味で自我が崩壊していたのですから、思い出すだけでも自分がバラバラになってしまいそうです。ましてや記憶に感情移入して自分をトレースさせてしまったら最悪です。せっかく再び安定させた自我も瞬く間に霞んで吹き飛んでしまいます。致命的なトラウマがまた一つ増えてしまいました。思い出したくないことはたくさんあるけどこれに限っては本当に最悪です。一瞬で生命を根本から脅かされかねないのです。
私には生きる機能があるのでしょうか。

せいしんのはざまで

もしも今この瞬間の自我がいつまでも保てるとしたらどんなに素敵なことでしょう。
私はかわいく在りたいのです。
しにそう

胸の痛み

初めて起こったのはもう1年以上前になるのでしょうか。
精神が極度に追い込まれると、左手から左胸にかけて痛みが走るのです。
でもそれは、気になるほどの痛みではなく、むしろくすぐったいようで、幾分か心地のよい物でした。
2日前までは。
今日の午前2時頃のことです。私は布団の中でいつもの様に無為に一日を潰した事を酷く後悔し、そして明日も明後日も同じ事が繰り返されるのだろうという現実に、ひどく精神が押し潰されそうになっていました。その時だったのです。
長い間連れ添ってきた痛みが急に態度を一変しました。
思わず両手で胸を押さえて悶え苦しみました。痛みがこれほど激しくなった事は過去に一度も一度も無かったからです。
その激痛は砂浜に打ち付ける波のように、小刻みに私を激しく襲っては消えていきました。それでも攻撃の手が完全に止むことは決してありませんでした。
同時に、私は頭の中に次から次へと浮かんでくる想念を順番にかき消して行くのに必死でした。この痛みは心に拠る物だからです。少しでも心に荒波を立てれば当然のように痛みはさらに激しくなりました。
布団の中でのたうち回ったり不意に立ち上がって部屋中を歩きまわったりしながらどうにか頭を空っぽにして痛みが引いてくれるのを待ち続け私は奮闘していました。
そしてその戦いは、いつ終わるとも予想がつきませんでした。どうやら痛みの波はいつまで経っても退いてくれそうになかったのです。
一体どうやって眠りにつけたのか見当もつきません。
死にそうです。
プロフィール

ルーミア厨

Author:ルーミア厨
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