れんたいせきにんとか

【東電/原発問題】 運動家・星アカリ「東京電力社員の子供を、全員がボイコットしなさい」★12
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1302152451/

スレタイに関して、当然ながら賛成の人と反対の人がいて、自分はどちらを支持するわけでもないが、どうも腑に落ちない。
スレタイの意見に反対する人達の主張は、子供には何の罪もない、という点に集中している。東電社員との血縁関係は本人の罪ではなく、それによる差別はあまりに理不尽で「かわいそう」である、ということらしい。しかしここで思うのは、「本人の罪」とは一体なんだろうか。
外見が醜いのは本人の罪だろうか。喋り方が気持ち悪いのは本人の罪だろうか。運動が苦手なのは本人の罪だろうか。頭が悪いのは本人の罪だろうか。犯罪者の子供であるのは本人の罪だろうか。ゲイやレズなのは本人の罪だろうか。手足がないのは本人の罪だろうか。今挙げたような理由での差別は容認とまでは行かないまでも黙認されている。特に学校という機関においては。
具体的な暴力を振るわれることは少ないにしても、所属された集団の大半から差別された人間の頭上には疎外という名の制裁が容赦なく振りかざされる。個人個人がある人物を好くか嫌うかに関して完璧な大義名分が国から与えられている以上文句のつけようもない。刑罰として明確に規定されている暴力の類よりある意味タチが悪いのかもしれない。
本人にはどうしようもない原因による理不尽な差別と疎外が日常的に横行している中で、血縁関係をその中の一つに加えたからと言って、一体それが今更どうしたというのか。この運動家の発言は、「あいつ喋り方気持ち悪くない?みんなでムシしよーぜwww」なんて高校生の会話と全く同質の物ではないか。確かに幼稚ではあるが、まるで社会的に制裁を受けるべき犯罪染みた発言であるかのように扱うべきではないし、ましてや本当に炎上させるだなんてまったく馬鹿げている。
一応個人的には、今書いたセリフのような意識的に誰かを疎外していくような行動は当然忌み嫌っているが、これは私が疎外される側の存在であるというだけの理由に過ぎない。彼等の立場からすれば、差別と疎外は仮想敵を作り出す事で人間関係を円滑にする便利な道具といったところだろう。私はなぜ意識的な疎外が忌避されるべきなのか合理的に説明する術を皆目持たない。きっとただの思いこみに過ぎないんだろう、お互いに。
そして、差別や疎外はなにも悪意を持って意識的に行われる必要はないのだ。出会った全ての人間を好きになるなんて芸当は到底不可能だし、何かしらの理由である人物を嫌いになることもあるだろう。外見やら話し方やら、決して本人の罪ではない理由で。多かれ少なかれ理不尽な差別は本当に日常的に行われている。さらにそこには、「かわいそう」だなんて同情の想いは欠片もない。
自分が日常的に理不尽な差別を行い疎外の一端を担っている事にも気付かずに、発言が政治的で過激だというだけで、やれ倫理的にどうだの、法律の観点から見てどうだの、合理的な理由がどうだの、差別的な発言がどうだの、わけのわからないことをわめきたてる輩が大勢溢れかえっている。真に嘆かわしい。

nikaime.

2chやしたらばを見ていると、「場が荒れる事」をみんな必要以上に忌避している気がする。悪い事じゃないだろうけど、少しやり過ぎじゃないかと最近思っている。
いわゆる「ネットマナー」の紹介をうたったサイトに「荒らしに反応したらあなたも荒らしです」という文言が掲げられていることが多い。この標語には、発言に悪意が篭められているかどうかとは無関係に、結果として場を荒らしてしまえばそれは罪になるという意味が込められている。そしてどうやらこの精神が人々を根底まで蝕んでいるらしい。発言者の悪意には無頓着になり、代わりに書き込みの内容が場を荒らすものであるかどうかの精査に終始するようになる。
他人に対する配慮とやらはどんどん過剰になっていき、例え意図していなかったとしても、少しでも場を荒らしうる書き込みは糾弾されるようになった。しかし糾弾自体が場を荒らす行為であることも疑う余地はなく、場を荒らさない為の配慮がかえって場を荒らすという狂った事態が至る所で発生している。
糾弾自体が糾弾されるし、糾弾に対する糾弾もまた同じくして糾弾される。こんな不毛な争いをいつまでも続けているわけにはいかないので、マナーをわきまえた方々は関係の無い話題を提示して場を流すのだ。こんな形で話を終わらされてたまるか、流されるまいと自らの意見を叫び続けても、数の暴力で圧殺される。誰もがただ見て見ぬふりをして他愛もない話を続けることで、その場を荒れていない「正常」な状態へと引き戻そうとする。何を言おうと文字通りの意味で黙殺されるのだ。事なかれ主義の末期状態。
でも、言葉は元来混沌としたもので、どんなに短い言葉でも好きなだけ意味をねじ曲げて解釈出来る。「好き」なんてたった2文字の言葉ですら、字面だけ眺めても純粋な好意なのかそれとも嫌味なのかまったく分からない。自分は遠まわしな皮肉だと感じてしまっても、書いた本人はそう意図していなかったのかもしれない。悪意を検知してスレッドを自治しようなんて元から無茶な話だったのではないか。しかし未だにこのシステムは寂れる気配を見せない。
無茶を通せば、必ず無理が出る。今や波風を立てないよう気を遣うあまり、対立を恐れて意味のある主張が全く出来ない状態に陥っている。さらには、自分に出来る限りのどんな解釈を当てはめても一切の悪意を感じられなくなる程度まで言葉遣いを途方もなく慎重に吟味する義務が我々全員に課せられている。不特定多数の相手がどう感じるか推し量るのは全く不可能にしても、最低限対立点をボカす処理を行わないで自分の意見を投稿しようものなら糾弾されてしまうのだ。
この制度疲れる。みんな疲れてるはずだしもうやめちまえばいいのに。でも無理なんだろうなぁ。
同じこと前にも書いたのでnikaime.

くるってる!

こればっかりは本当にそう思うわけなのです。
一部性癖の界隈は極めて人口が少ないです。絵師の存在は希少です。一つのジャンル全体がたった一人の絵師によって支えられている状況も大して珍しくなく、むしろ一人でも絵師がいれば極めて恵まれている方です。唯一の絵師様も音信不通になり、たかだか数枚の絵を何年も使い回し続けざるを得ない残念な性的嗜好をお持ちの方も少なくありません。
従って絵師様は非常に重宝されます。例えその創作物が、どんなに見るに堪えない代物であっても。
いわゆるマイナー性癖の一角に潜り始めて5年か6年になるのでしょうか。本当にいろんな絵を見てきました。本当に、たくさんの方々を見て参りました。しかし私は、その中のたったの一枚ですら、本当の本当にたったの一人ですら、「下手」と通告されているのを、ただの一度も見たことがありません。
この手の界隈の絵師様という物は、自分の望む物を誰も描いてくれないから自分が描こうという感じで絵を始められた方が大半であって元々描けるような方は少数派です。正直、これでゴニョゴニョするのは、あまりにも無理があるだろ、という物も少なくないです。何も創作出来ないしクソみたいな日記しか書けない人間が申し上げて良い事とはとても思えませんが、それでも正直に本心を打ち明けるならば、全体的なレベルはとてもとても、とーーーっても低いのです。
それでも彼らは下手とは言われません。我々の大半は絵なんて描けないのです。私にペンを握らせてご覧なさい。あんなに綺麗だったコピー用紙がものの五分で見事に紙クズへと変貌するでしょう。私に匹敵するような人間の屑はそうそう見つからないと思いますが、およそそんな人間の集まりですから、例え下手であっても絵をアップした輝かしい人間(皮肉でなく)に文句を言うような権利など、持ち合わせているはずもありません。かといってどう褒めたら良いのか分からない物を褒めるわけにもいかず、結局誰もが評価も非難もせずに口をつぐむ、はずなのです。
問題は、そこから後なのです。
恐ろしい事に、例えどんなに下手糞で興奮する要素の見つからない絵と呼べるかどうかも疑わしい物体であっても、気持ち悪いまでの賞賛の嵐が巻き起こります。確実にです。私の長年の経験が保証します(いつから5年は長年に仲間入りしたんだろう)。上手くもない物を平気で上手いとかのたまいやがるし抜けるわけもないものに平然と抜いたとかぶっこきやがります。いくらなんでも過保護すぎると思います。褒め方があまりに度を越しています。
そしてその過保護さは少々行き過ぎているような気がしてなりません。moudamederの方でも書きましたが、とあるスレッドで、「他の方には失礼かもしれないけど、やっぱり○○さんの絵が一番好きなんだよなぁ」と言ったら、「わざわざ言わなくても良いのに」「絵師達のモチベを下げたいんだろ。そうでもなきゃこんな頭悪いこと言わない」「流石にタダの絵にしていい書き込みじゃないな。非常に配慮に欠ける」等と非難轟々です。検索で辿り着かれるのも嫌なので出来るだけニュアンスを変えないように表現を変えましたがほぼ原文ママです。私は「一番好き」なんて言ったら他の方を貶めていると勘違いされるのではと思って前半を付け足していたのですが、むしろそれが余計だったのかもしれません。というか今読み返せば本当に余計な付け足しだったと思います。それでも過剰反応し過ぎだろうと思いました。
自分に都合のいいようにニュアンスを変えないように表現を変えるなんて芸当は土台無理なのは分かってるけど出来るだけ頑張ったつもりです。
このような事態は、今上げた例に留まりません。需要は潤沢なのに供給が枯渇しているジャンルの掲示板で私と同じ発言をすればどこでも似たような反応が帰ってくるのでしょう。というか、帰ってきます。嫌というほど分かっています。あの人達は絵師様に対して病的なまでに過保護なのです。喉から手が出るほど欲しい性欲を発散する材料をご提供なさる絵師様の気分がほんの少しでも害されるような事なんて、絶対にあってはならないのです。それが即ち自らの死に繋がるのですから。性欲が三大欲求である事に鑑みれば大袈裟な表現というわけでもないはずです。
ちなみに、似たようなことは普通の絵スレでも起こっている気がします。「あの人の絵が好き」だなんて、誰も言わない。そんな事をすればまるで直前に投下された絵が好きじゃないかのように受け取られてしまいます。絵が投下されてはただその絵だけを褒める、絵が投下されてはただその絵だけを褒める、いつまでたってもその繰り返しです。正直怖いです。
それから、過保護の弊害として、非常に失礼になってしまいますが、この手の性癖の界隈の人たち、あんまり、その、絵が上達なされません。技術の面でも、性欲を発散する道具としての面でも。だって、何書いても褒めてもらえますし。上手くなる必要がありませんし。面白くもないのに適当な事言ってのらりくらりと赤ふぁぼ貰ってる自分と照らし合わせてみれば、幸せだから良いじゃん、とも思うのですが、なんだかなあ、と思ってしまいます。それに本末転倒じゃないか、とも。何がどうとは言いませんけれど。
しかし何よりの害悪は、例え一人でも絵師様が不快になられる様な事態が絶対に起こってはならないという、病理だと思います。上手い人を名指しで褒めれば下手な人に対する罵声だと認識されるのです。あの界隈の人達は、本当に狂っていると思います。おぞましくてたまりません。


胸糞悪いくらいの上から目線だけど絵師様を非難する意図は無いです。
彼らは立派だと思います。本当に皮肉でなくて。
でも、それを、無条件にヨイショするのは色々と生きづらいと思います。

一体何を怨んで生きれば良いのか

何かの引用で読みました。有名になるために人を殺した中学生がいたそうです。警察で取り調べを受けながらも、「僕が人を殺したことは新聞に出ているのか」と、何度も何度も、病的なまでに、しきりに問いかけていたそうです。ナントカ学校殺害事件みたいに名前がついてた筈ですが、何しろこの手の少年犯罪なんてバンバン起こるし、その度に名前が付けられてしまうもので、どれがどれだか覚えていません。本をまた開き直すのも面倒なので事件名は割愛。
こんな事を書いたら気分を害されるかもしれません。
学生が適当な気分で殺人事件を起こす度に、基本的に被害者に同情が出来ません。そもそもマスコミという物がそうさせないように出来ています。世の中の良識な社会人の方々の関心は「一体何が若き加害者を犯行へと至らせたのか」に集中していて、そればっかりをやんややんやと騒ぎ立てるので、尺の関係上、被害者のプロフィールやらなんやら、絶たれてしまった将来の夢やら、ご遺族の想いやら、被害者に同情するための要素は徹底的に削られてしまいます。まぁ、これは、正直しょうがないと思います。長い時間を使ってまで文字通り葬式ムードの誰も得しない番組を作るより積極的に視聴者に媚びて現代社会を糾弾した方が番組として優れているものです。
そんなわけで、私はむしろ、加害者の方に感情移入してしまうのです。いや人を殺すなんて最低だと思います。軽蔑します。でもそれ以上に彼の犯行動機があまりにも身に染みてしまいます。アイデンティティを確保する為の殺人。正直自分もやりかねません。一度人を殺してしまえば、「僕は殺人者なんだ」と、一生自分を支えていけるだけの、しかも唯一無二の特別なアイデンティティが手に入るのですから。「僕は○○大学に合格したんだ」「僕は○○の資格を取得したんだ」「僕は○○社に勤めているんだ」なんて量産品とは比べ物にならないほど、喉から手が出るほど欲しい、とてもとても特別な。そして特別でいて、手に入れるまでの過程が、あまりにも容易すぎて。
「犯罪者」という烙印。素敵だと思います。どうしてこの烙印が社会的に認められないのか純粋に不思議でなりません。今日○時間しか寝てない自慢やらテスト前なのに全然勉強してない自慢やらは日常的に受け入れられているのに。「規則正しい」「勤勉」「真人間」といった社会的に価値のあるアイデンティティをまともに手に入れるのが大変だから楽な方向での周囲との差別化を図って堕落に逃げた点では全く同じではありませんか。あるいは誰もが規則正しかったり勤勉だったり真人間だったりし過ぎたせいでそれらが普遍化してアイデンティティたりえなくなった反動なのかもしれません。自虐風自慢と犯罪者の違いはただ他人に迷惑をかけたのかかけなかったのかというだけで。たったそれだけでも、あまりにも大きすぎる違いなのでしょうけど。
もう私は少年犯罪の動機は全てアイデンティティを確保する為の必死の足掻きの表れなのだと思い込むことにしました。全部、全部です。あまりに馬鹿げた話ですけど私は本気です。だって私はそれ以外にやたらめったら友達を作りたがったり用もないのに知り合い同士でつるみたがったり面白くもないのに集団であちこち出かけたがったり伝えたい内容なんてないのに何時間もメールし続けたりする理由を他に知りません。みんな自分の事を認めてくれる誰かが欲しいんです。なんとなく繋がった気になって、自分が存在する事を確かめ続けているだけなのです。
いくら集めても、砂上の楼閣ですけど。
冒頭と同じ本からの引用ですが、最近では、オヤジ狩りをして家庭裁判所に送られてきた少年の大半がそもそも金銭やストレスの解消を目的にしていないらしいのです。彼らの主目的は集団で協力して同じ行為を成し遂げる事で一体感を覚える事だそうです。もうオヤジ狩りでも映画鑑賞でも大差ありません。ありあわせの適当な感動を繕って出来るだけたくさんの人間で共有して自分の存在を確かめたいだけらしいです。
まあ、そんなわけで、割と少年犯罪などの報道が起こるたびに加害者側にバリバリ感情移入してしまうわけです。
ニュース番組の中で、識者の方々はゲームやらインターネットやらに原因を帰せようとします。あるいは最近の若者は~とわけのわからない精神論をぶちまけ始めます。私は憤慨します。本当に腹が立ちます。何しろこっちはともすれば自分もやりかねないなぁと思いながらしんみりと報道を見ているのです。自分の事を報道されているも同然です。そんな時に的外れな分析をモニター越しに好き放題浴びせられるのです。そこに反論の手段はありません。まるで私がゲームやらインターネットやらのせいで犯罪を起こしそうになっていると大々的に叫び立てられているような錯覚を感じます。あるいは報道されてる本人にとっては錯覚じゃなくて現実です。まったくもってふざけるなと思います。こっちはアイデンティティを求めて必死なんです。どれもこれもてめえらが元々特別なオンリーワンだとかクソみてえな御託を並べて個性煽りまくったのが原因だろうが何素知らぬ顔して偉そうに語っとんじゃボケがと本気で思います。
いやまともに生きてらっしゃる方々もたくさんいるので僕は別に自分がクズであることを社会のせいにする気は全くないです。僕がクズなだけです。ほんとに。閑話休題。
間違いなく上の世代の方々が個性個性と口うるさく喧伝したせいで今の若い世代に病理とも呼べる風潮が蔓延していると私は信じています。だから上の世代を怨むことにしようと思いました。でもすぐやめました。冷静に考えたら上の世代がそういう風潮を蔓延させてしまったのもまたその上の世代からの風潮の押し付けによるものなのかもしれません。私はあの本を読むまで自分は社会から何の影響も受けずに自分は自分として育ってきたのだと信じ込んでいました。それも完全に無自覚に。つまり私達の個性を煽り続けて見事に加害と被害の両面からたくさんの人生を破綻させるに至った彼らも恐らくは無意識のうちにそう行動するように上の世代から刷り込まれたに相違ありません。私は犯罪を起こした同世代の人間を基本的に憎みません。むしろ可哀想だなと思います。自分含めて。こんなクソみてえな時代に生まれてきてかわいそうにと。同じ理屈は上の世代の人間にも成り立ちます。その上の世代の人間にも、その上の上の世代の人間にすら。一体何を怨んで生きれば良いのか、私には分かりません。

リムーブしたい。

昨日の日記は読み返すと我ながらアレ。本になぞらえて自分を書いたので誇張バリバリです。あまり気にしないでください。ごめんなさい。

「寂しいから浮気しちゃった(笑)スイーツ(笑)」みたいな話をよく目にする。まったくもって意味不明で不愉快極まりない。寂しいならどうしてそう彼氏に相談しなかったのか。浮気をした事に対する言い訳じゃないのか。浮気をした自分が悪いのでなく構ってくれなかった彼氏が悪いのだと、責任転嫁してるだけじゃないのか。そんなバッシングがネットでは飛び交う。実にくだらねえ言い訳だなぁ、と。私もそう思っていた。あれはほんの少し前、「寂しい」という言葉の持つ、本当の、意味を。身を持って思い知らされることになる、その瞬間までは。もしも私がまともに恋愛なんてものを享受出来る立場だったなら、私は確実に、寂しいのが原因で浮気する。
彼氏に相談。抱きしめてもらう。「愛してるよ」って囁いてもらう。セックスをしてお互いの愛情を確かめ合う。虚仮。児戯。その場凌ぎの誤魔化し。そんな事じゃ何の解決にもならない。
私は言葉を捧げ合うか、肌と肌で触れ合う以外に愛情を確かめる術を知らない。そして恐らく、殆どの人が同様にしてそれ以外の手段を全く持たない。少し金銭に余裕があれば、指輪なりバッグなり、何かを高価な物をプレゼントしたりするかもしれない。それでも本質的には何も変わらない。一つや二つ選択肢が増えたところで、巡らせうる方策はあまりにも容易に実行出来るし、あまりに偽装しやすい。「愛してるよ」と耳元で甘く囁き、ダイヤのネックレスでも見せびらかしながら、夜景の見える豪華なホテルの一室で肉体を絡ませ合う。心の奥底で舌を出しながら。
「寂しい」という嘆きの本当の意味。人間不信。疑心暗鬼。彼氏に対する不信感。止まらない猜疑心。他人の心が分かれない孤独。自分は一人ぼっち。そんな状況の人間に、「あんなに素敵な彼氏がいるのにどうしてそんな事を」だなんて、愚かしいにも程がある。彼氏が愛情を示しうる数少ない手段のその全てが、完全に機能しなくなってしまったからこんな事になっているのに。
他人の心の中身なんて絶対に覗けない。でもある程度試すことは出来る。「好きだよ」だとかくだらない言葉を笑顔でのたまうより、端金で適当にバッグでも購入するのなんかより、もっとずっと、精神に、直接、重圧をかけるやり方で。浮気。
彼を当惑させる。浮気されるような原因などまったくない彼を困惑させる。浮気されるような原因がまったくないからこそ、使い続けていた愛情を示す装置が全部擦り切れてしまった、そんな彼を狼狽させる。最早彼が自分に何をしようと、愛情なんて欠片も感じられない。だから別の方向に走るのだ。そこに強固な愛情が無ければ、浮気をされた彼は折れてしまうだろう。それでも折れずに自分に求愛し続けてくれる彼を見て、「ああ、やっぱり自分は愛されていたのだ」と、刹那的な安堵感を得ながら、心の中でほくそ笑む。
最早こうなってしまえば、彼がどんなに努力しようとまるっきり無駄なのだ。覗けもしない腹の底がどれほど頑丈なのか、本当に私を愛してくれているのか、浮気と言う名の「愛情チェックテスト」は無限に行われる。今となっては、それ以外に愛情を確かめる術など、もう存在しないのだから。そして回を重ねるに連れて狂気の度合いは輪をかけて増して行き、程無くして破綻が訪れる。その愛情がどんなに強固だったとしても、何しろ人間は貪欲なもので、要求水準は無限遠方まで伸びるのだ。底の開いた壺を満たせる河などあるはずもない。

「好きだ」とかいう言葉をいつまでも信じていられて、何年も愛情を確かめ合い続けられる全てのカップルを、私は心から尊敬している。

タイトルは、そういうことです。何の前触れも無く一方的にリムーブという通告を突きつけても、あなたは、それでも私のことを、本当に、好きで、いてくれます、か?
プロフィール

Author:ルーミア厨
えへへ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR