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あああああああああああ。もうやだもうやだもうやだもうやだ もうなにもしないでもうなにもしないからぜったいなにもしないからもうなにもしないからなにもしないから。ああああああ や、だ、、、
あたまいたいあたまいたいあたまいたいずきずきするあたまのなかまっくろになってきぶんはさいあくだしあたまのなかぐらぐらしていっしゅんでおもいでがよみがえってなんどもなんどもいくらでもよみがえってわたしのあたまのなかがぐちゃぐちゃになってなんにもできなく、、、、、
これだからいやなんだなんでこんな体に生まれてしまったんだやだ、嫌だ、こんn体はもう嫌だ、頭が痛い
少しでも少しでもどんなにささいだっていやなことがあったら、あったら、それが、それだけで、なんどもなんどもよみがえって、、だからわたしは、わたしは、ぜったいにひととはなすことが、はなすことが、、、
いつからこうなってしまったんだ。いったいいつからこんなことになってしまったんだろう。わたしがこうなってしまったのはいつからだったのだろう。ねえ。ああ、、、やだ
そんけいしてるひとにきらわれたくないよ」きらわれたくないんんだわたしはぜったいきらわれたくないしもういやだ、わたしはもういやだきらわれたくない、きらわれたら、すこしでもきらわれたらわたしはそれだけであたまおかしくなってきらわれたきらわれたってあたまのなかぐるぐるして、ああ、、、、いったいどうやってかえってきたんだ
じてんしゃはなんどもころびそうになったしあるいててあしがとまりそうになったしもうやだ、ああ、、、、、からだがうごかせない
じてんしゃをこぐとだいたいどのくらいちからがあるのかわかるしぜんぜんうごかないしどうしてこんなにじてんしゃがうごかないのかわかんなくてもういやでばかばかしくてなんだかわらいしかこみあげてこなくてしにたいくらいわらいたかったしでもわらうきりょくもないし。
かいけつさくもみつからないしまいにちまいにちおなじことくりかえしてるしいやだやだやだyだぢゃだy.、、。やめて
さいせいするのをとめないと、あたまのなかできおくがさいせいされるのをとめないと、どこだどこだどこだ、どこだ、ああ、だめだ、とめられないのです、、ぐちゃぐちゃ
しにたい
じんせいがつんだって、なんどもなんどもおもって、あがいてもあがいても、くるしくなるいっぽうで、もう、しんでしまいたいくらい、、、に。いたい。あたまがいたいむねがずきずきするもういやだいたいつらいくるしいしにたいいたいつらいくるしいしにたいしにたい。つらい、、、
わたしがいったいなにをしたっていうんですか、わたしがいったいなにをしたっていうんですか、ねえ、どうしてわたしのあたまはこんなふうにできているんですか、わたしのあたまは、、そう、そんけいしているひとからきらわれたくないって、どうしてそんなふうに、ほんのうてきに、できていて、りせいじゃおさえられないくらい、たったひとことで、たったひとことでいちにちはぶちくぉあれるしなにもできなくなるしきりょくはわかないしたおsれそうになってはきそうになってでもなにもたべてないからはくものもないいきていたくないもうなにもたべないでしにたいねてたいねてたいねたいずっとねてたいおこさないでくださいわたしはもうねますねたいですあああああだめだめだだめだめだ。べんきょうしないとべんきょうしないと、はやくおきないと、ねむれない。あああ。
ねえ、わたしは、いったいどうすればいいんですか、なにをどうすれば、このじょうきょうからかいほうされて、かいほうされて、、どうにか、ええ、まともなせいかつが、、、、、あ、だめだ。だめだこれ。おもいつけない。わたしのまともなせいかつってなにか、おもいつけない。おもいつけないよ。そうだ。わたしにとってしあわせは、わたしのいちばんのしあわせは、そんけしいているひとにみとめられることなのだ、そんなしごとあるわけがないしそんながくもんもそんざいしないのです。ああ、わたしは、べんきょうをどうぐにしていたのだ、べんきょうを、ほめられるための、どうぐ、に。できるようになんてなるわけないよね・・・・・・。あたりまえだもの。わたしはべんきょうがしたいのでは、、なく、、、ほめられたいの、です。
そしていまのわたしはほめられるいじょうのりすくをばくだいにかかえこんで、そう、たったひとことでも、どんなにわたしが、たとえひゃっかいほめられたって、いっかいでも、ああ、たとえそれがことばのあやで、あくいなんてこもってなくて、ただの、ただのわたしのおもいこみだとしても、あああ、、、、あたまのなかにはきょうれつにやきついてむげんふらっしゅばっくごっこがはじまるのです、、
いつからこうなってしまったんだ。むかしはこうじゃなかったはずなのに。わたしにとってゆいいつのとりえは、ほめられようとおもって、なんでもかんでもしつもんしにいって、それでなでなでってしてもらうことだったはずなんです。いつからだったかわからない。でめりっとがめりっとをかんぜんにうわまわってしまった。なんかいほめられてもいっかいおこられるだけでわたしはなにもてにつかなくなる。いちにちがだいなしになる。しにたくなってつらくなって、、、、こんないたみ、たえられない、、、そのいたみがどんなものかおもいだせなくてもかこのじぶんがかいたにっきをよめばそれがどんなにつらかったのかなんて、いくらでもわかるのです。わたしはおもったことをそのままかいているのですから、そしてわたしはもじのうえにじぶんのこころをのせるのがだいすきで、だからじぶんのかいたぶんしょうだけはぜったいのよんでいけないのです、こころがそのとおりになってしまうから、、、よめばいくらでもくつうばかりおもいだすことになって、きっと、きっと、ああ、いたい。つらい。
もう嫌

えー。

社会的にロリコンやペドフィリアがここまで迫害されるようになった理由はなんなんだろう……。性犯罪者扱いもいいとこ。
性同一性障害とかに対する世間の目は「生まれつきなら仕方ないよね」みたいなのが多い(気がする)のに。

東浩紀がロリともだちという作品を批評した事から起こった一連の流れをまとめたtogetter読んでそう思った。

私だって。

私の思ってる程度のことなんて絶対にどこかの誰かが研究しつくしてるだろうなって分かっててもたまには傲慢になりたい

「好き」ってシステムは途方もなく残酷ですよね。

「この人好き!」って思ってしまった瞬間そいつは私の心の中でピクリとも動かなくなって死ぬ。

私がかわいい事を何回か呟いたとする。それを見た誰かが「この人かわいい!」って思ったとする。その印象が完成されてしまった時点で、それ以降の私の発言は全て「ルーミア厨さんの発言はかわいい」という抽象に次から次へと呑み込まれていくだけの存在となりかわいさの具象性は完全に失われる。私がどんなにかわいい発言を繰り返したところで、「ルーミア厨さんの発言はかわいい」という印象を予め持って読んでしまったら、隅から隅まで全部読んでも「ルーミア厨さんの発言は今日もかわいかったなあ」という印象しか残らないだろうし、私のどの発言がかわいかったのか具体的に思い出すことなんてきっと出来やしない。

そしてそれはそっくりそのまま私にも当てはまる。

一日に何時間ついったーをやってもその日に何が起こっていたのか本当に何も思い出せない。誰がどんな発言をしたのか、誰とどんな会話をしたのか、一切が記憶に残らない。なのになぜか「ついったーをやって楽しかった」という結果だけが私のこころをいっぱいにして幸せにしてくれる。私は悔しい。

自分以外の人間がみんな死んでいる気がする。


「ねえ、いったい私のどこが好きなの?」なんて質問、本当に君の事が好きだったら答えられるわけないじゃないですか。
君はもうとっくの昔に、私が君のことを好きになったまさにその瞬間から、死んでしまっているんですから。

女子力乱高下

最近自分でもかわいいのかどうかわかんないまま送信しちゃうこと多い。
というか最近に限らず自分がかわいいかどうかって一回寝て起きて頭の中リフレッシュしてからじゃないといくら読みなおしたって絶対分かんないし。
かわいくなくってもみなかったことにしてなでなでしてあげてください。ナショナルからのお願いです。
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