...

近代の相対化、近代の相対化、と人は言う。
しかし私は思うのだ。「相対化」なんて発想それ自体がそもそも近代に内包されている物なのではないか。
私達が「近代の相対化」と称してやっている行為の正体は、実際には依然として近代という枠組みの中で繰り広げられる自浄作用のような物に過ぎないのではないか。
私達は近代を破壊していない。それどころか破壊するつもりで近代をますます洗練された物にしてしまっている。
私達の頭の中に近代が巣食っている。余程注意深く目を凝らさない限り認識すら出来ないレベルで近代は私達を蝕んでいる。近代を本当の意味で相対化したいなら、そもそも「相対化」等といったような思考様式の諸々が全く存在しない物の考え方を身につけなければならない。
かといって、中世の人間の考え方に立ち戻れば良いというわけでは無いのもまた明らかだ。何故なら中世という枠組みもまた近代によって作られた物だからだ。「西洋」が「東洋」を捏造したように、「ヨーロッパ」が「アジア」をでっち上げたように、「中世」もまた「近代」によって強引に発生させられた物だ。近代から逃れたつもりで中世に飛び込めば、そこは依然として近代の檻の中なのだ。
どうすればいいんだ。私はどうすればいいんだ。もう分からない。私には何も分からない。

夢 #1

(内容は日記帳の3ページに記載)

日記始めました。

(本文は日記帳の1ページと2ページに記載)
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