環境問題

自然環境の破壊は人間の愚かさを嘆く為の道具として頻繁に用いられる。しかし私は環境問題が人間の愚かさを象徴しているとは思わないし、実際には全く逆であるように思う。
この知識を私がどこで得たのかは覚えていない。多分小学校の教科書か何かからだろう。
捕食者の集団と被捕食者の集団がある。被捕食者は捕食者に抵抗するための手段を何ら有していないので、被捕食者は数を減らし続ける事になる。反対に捕食者の数は増え続ける。すると、ある時点で膨れ上がった集団を支えるだけの十分な食料が確保出来なくなる。段々と捕食者の数が減っていき、暫くして被捕食者の数が回復し始める。最終的に元の状態に戻り、この一連の人口の推移が延々と繰り返される。
私はこの話を嫌というほど覚えさせられた記憶があるのだが、「ライオンによる環境破壊」としてこの題材が扱われるのは一度も見たことがない。ましてや「一度に一杯食べたら後々自分が困るのにさあ、動物ってほんとに馬鹿だよねえ(笑)」なんて文脈で紹介された記憶は一切ない。一方で工場から立ち上る黒煙や焼き払われる森林を見て「人間は愚かだ」と嘆く輩はうんざりするくらい大勢いる。真に奇妙なことである。
恐らく、何十年というロングスパンで未来の事をあれこれ考えられるのは地球上で人間だけである。ひょっとしたら時間の観念自体が人類に固有の物であるかもしれない。あるいはそれは人類に共通の特長ですらない。環境が破壊されている事が、このまま事が進めば将来的に自分達の不利益になるという事が察知出来る時点で、紛れも無く我々は地球上で最も賢い生物なのだ。自らの食料であるトムソンガゼルの群れを完全に食い殺してしまったライオンは、自分が今まさに飢えている理由すら理解しないまま漠然と死を待つばかりである。
長期的な被害を予見出来ているにも関わらず目先の利益を追い求めてしまう人間の姿を愚かだと言っているのかもしれないが、こういう考え方はいささか行き過ぎであるように思う。何故なら目先の利益に拘泥する事無く何事も長期的な損得を勘定に入れながら自らの行動を決定するような生活様式を一族総出で体現しているような種族が地球上に存在していないからである。確かに絵の中に描かれた少女は美しいかもしれないが、それは現実の女性が魅力的であるかどうかとは何の関係もない。目先の利益に囚われる事の無いような種族がもしも実在しているのなら確かに彼らは賢いだろうが、そのような種族が我々の空想の中にしか存在していない以上、架空の存在と実在する人類とを比べてああだこうだと言うのは無駄な事である。少なくとも現実的でない。それよりはむしろ地球上で唯一時間の観念を持ち合わせている我々の知性をこそ評価すべきである。
理想の姿がどんな物であろうが、我々が地球上でずば抜けて賢いという事実に何の影響も無いのである。真に皮肉な話であるが、人間の愚かさを嘆く為に頻繁に用いられる「環境問題」という概念は、その概念の存在自体が人間の賢さを証明している。

寝る前の頭の中

蒲団に入りあれこれ思いを巡らせていたら、いつの間にか意識が『下流志向』のある一節に向いていた。

「……法外な全能感だったはずです」

ああ、そうだ。そうだよ。僕があの時感じたのも。小学四年生の僕の身を包んだのもきっとそんな全能感だったはずだ。僕は嬉しくて溜まらなかった。初めてキーボードを叩いたあの日。ハンドルネーム欄に「XXXXXXXX」と僕の本名の下の名前を唯タイプするだけの作業に5分も10分も費やして、そして「クリューサ」とお世話になった人間の名前を同じだけかかってタイプして、初めて社会的な活動に参加できたあの日のことを、一人の人間として認めてもらえたあの日の事を、私は今でも覚えているんだ。その時の私を包んだのは、多分X文字の言葉を打ち終えた唯の達成感だっただろう。それでもその達成感が全能感に変貌するまでにそれほど時間はかからなかったはずなんだ。私はありとあらゆる社会から疎外され続けていたのだから。誰にも人間として認めてもらえなかったのだから。
ここまで考えて気がついた。小学校、中学校と、私は疎外され続けた。それでも、私には、何故だろう、本当に不思議なのだけれど、幼稚園の頃に自分が疎外されたという記憶がただの一つも残っていない!私が幼稚園の頃に疎外されてなかったわけがないじゃないか。私は本当に頭がおかしかったのだ。その頃の私には理性と呼べるような物がおよそ存在していなかったはずだ。だって、だって、私は今でも覚えているんだ、あの時、そう、年長の時、幼稚園に入って三年目のあの日、あの先生が、そうだ、休み時間か何かだったのだろう、周りの子供達は皆それぞれ好き勝手していたのだけれど、教室のある一帯には確実な集団があって、先生が、「それでは好きな歌を歌ってみましょう!」と、周りにいた子達にそう言って、僕の番が回ってきて。そして僕は歌った。歌ったんだ。すると周りの人たちは、多分、その時の僕は認識する事が出来なかったのだけれど、もしも今現在の意識を一瞬でも過去に飛ばせるのなら、きっと、彼らの表情は、とてつもなく奇妙な物を見るような、そんな目付きだったに、違いないのである。僕は紛れも無く歌を歌っていたんだ。でもその場に何も音は流れなかった。何十秒かの間、僕はマイクを手に持って、ただ立っていただけだった。だから先生は僕に催促したんだ。「どうして歌わないの?」と。当時の僕は、記憶にある限りでは、恐らく先生がしていたであろう不思議そうな顔よりももっともっと不思議そうな顔をして、「え、歌ってるよ?」と、きょとんとした表情で、きっと答えたのである。そう、僕は、紛れも無く歌っていたのだ。幼稚園に入って三年目のあの日、あの幼い僕は、曲の前奏を歌っていたんだ。だから僕の口から言葉が出てくることは無かったのだ。そして僕は鼻唄を歌うこともしなかった。何故なら当時の僕には前奏の部分が歌うべき部分として認識されていなかったからだ。結局、あの時の僕が歌おうとしたら、仮にその選曲がいかなる曲であったとしても歌詞が始まるまでの数十秒間、本人は紛れも無く歌っているつもりであるのに周りから見ると何を言っているんだこいつはとしか思えないような意味のわからない状況が続くことになる。普通の子なら、前奏の部分なんてすっ飛ばしてしまって歌詞の頭から高らかに歌い上げるのだろう。否、普通の子がそうであるからこそ先生は僕に「どうして歌わないのか」と尋ねたのだ。僕はそんな子供だった。そんな子供だったから、幼稚園の中ですら、疎外されていないはずがなかったんだ。僕は絶対に邪魔者だったはずなんだ。それなのに、それなのに、僕の記憶には、邪魔者の扱いをされた記憶が、たったの、たったの一つですら、存在していないんだ。これは多分、嫌な記憶を消去する機能のようなものの働きの成果では決して無い。
多分、当時の私には、そもそも「疎外」というような概念が存在していなかったのだ。だから私はそういう状況を認識することが出来なかった。私が周りからどういう待遇を受けていようと、そもそも人間が自分に冷たくするなんて事態は当時の私には思いもよらない事だったから、私に認識出来るはずがなかったんだ。だから私の頭の中にはそんな記憶がひとつも残っていないんだ。それに比べて、小学校や中学校の記憶は幼稚園の時のそれに比べてやけに生々しくリアルで今でもたまに枕元に現れては寝ようとする僕を脅かして消えていく。多分小学校のどこかで、そういうことを直接的に知ってしまったんだろう。人間というものは冷たい。自分が嫌いな相手には冷たくするものだ。そして、当時の僕には理由がよくわからなかったんだろうが、どうやら自分は人から嫌われる存在であるらしい、と、成長の過程のどこかで僕は知ってしまったのだ。だから小学校以降の僕には疎外された記憶がある。
ここまで考えて思ったのだ。小学校や中学校、あるいは高校にも及んでいるような「いじめ」の問題(僕はこの呼称があまりにも好きでなくむしろ不快感すら覚えるのだが、他に何か相応しい言葉も眠い頭には見当たらないのでこのまま続けることにする)、あれは、当の小学生達が加害者になり、当の小学生達が被害者になるという、完全に自己完結した現象のように思われてはいないだろうか。確かにそうかもしれない。でも本当のところは、私達子供にあらざる者が、子供たちにそういう概念を吹き込んでしまったせいで、初めてそういう物が発生したのではないだろうか。殴られようと蹴られようと、それが「暴力」だと認識できない人間にとって、それは暴力でもなんでもないのである。幼稚園の時の私が自分の身に降り掛かっていたはずのありとあらゆる災いを災いであると認識することが出来なかったように。小学校においていじめ対策と称していじめ対策キャンペーンを張るのは、あれは完全に事態を悪化させているだけではないのだろうか。いじめという三文字が目に入った瞬間、その生徒はいじめに取り憑かれてしまう。私たちは子供に「この世にはいじめというものがあって、いじめを受けている人間は不幸であって、だから貴方達はいじめをしてはならない」と言うけれど、しかし、いじめられている当の子供は、『この世にはいじめというものがある』から「いじめられている」のだし、『いじめを受けている人間は不幸である』から「いじめを受けているから不幸である」のだし、『子供達はいじめをしてはならない』から「いじめを受けるのは理不尽なことだ」と感じる。加害者の場合も同様である。「してはいけません」と言われたことは、やる。人間の悲しい性である。本当にこの世からいじめと呼ばれているような類のものを無くしたいのなら、子供たちにその性根を矯正させるのでなく、むしろ私達が変わらなければならないんだ。真に変わるべきなのは明白に私達なんだ。私達がそういう情報を世界に発信さえしなければ彼らは幸福のままでいられるんだ。そう、悪いのは、私達なんだ、全部、全部、全部、全部。

追記(1回目)
たまたま思い出せたのでよかったのですが、あの日の私が長い間言葉を発しなかったのは、確かに前奏を歌っていたというのもあるのでしょうが、しかしそれだけではありません。よくよく考えれば、あの曲の前奏はあまりにも短いものでした。数秒の沈黙は、「リズムを取っているんだろう」と認識される程度のもので、決して「どうして歌わないの?」なんて問いを引き出すには至らない長さだったでしょう。本当は、あの日の私は、あの曲の出だしがあまりにも速いもので、最初の部分を歌うことが出来なかったのです。
私は、「どうして歌わないの?」という先生の問いに対して、「曲の出だしが速すぎて歌えなかった」というようなことを答えた記憶があるのですけれど(その記憶のおかげで今こうして無事に記憶を復元できているのですが)、そんな難しいことを、当時の私が口に出来たとは、到底思えないのです。というのも、「曲の出だしが速すぎて歌えなかった」というのは、今現在の私が、ちょっと考えこんで、それでようやく言葉に出来たものなのです。私の記憶それ自体は、「なんだかよくわからないが歌っているはずだったのに言葉が出なかったし、周りの人はそれを分かってくれなくて、なんだかおかしい」という程度のものなのです。
一体、あの時の私は、あの先生のあの問いかけに、どんな言葉を返したのでしょう……。

追記(2回目)
「曲の出だしが速すぎて歌えなかった」という答えを当時の私が作り得ないとしたら、一体私はどうやって「曲の出だしが速すぎて歌えなかった」という情報を復元できたのだろう。
ああ、そうか、正しい情報は、そうじゃないんだ。ようやくわかった。私が覚えていたのは、あの、ブツブツと物を言うような、ああ、それで、それで思い出したのか、そうか、そうか。記憶に残っていたのは、「歌おうとしたのに、曲が速すぎて、呂律が回ってくれなかった」というあの感覚で。その情報を元にして「曲が速すぎて歌えなかった」って今の私は分かったんだ。

じゃあ、今度こそ、私は一体、なんて答えたんだろう。

自我の断片

何も書けない

時間性の回復を

もうこんな無時間的な生活はやめよう

不特定の管理人に向けて

TSFに限った話ではないのかもしれません。マイナーな性的嗜好を主題として掲げる掲示板ではどこでも似たような事が起こっているのかもしれません。しかしそれでも、TSF以上にこの手の問題が顕在化しているジャンルは他にないでしょう。
彼らは倫理的にも美意識的にも普通の人には到底受け入れてもらえないような性的嗜好を抱えた人たちです。普通の人間とは相容れない人達です。一般的なコミュニティの輪から阻害され続けてきた人達です。従って、自分と似たような人間の集まりはこの世で唯一心を落ち着かせられる場所ということになります。だから彼らは自分の居る場所が脅かされる事を嫌います。自分と少しでも意見の違う人間は徹底的に排斥します。
憑依やら皮モノやら入れ替わりやら、TSFというジャンルは内容が必要以上に細分化されています。しかし、そもそも男が女に変わる現象に欲情するような感性自体明らかに常軌を逸しています。こんな馬鹿げた性的嗜好を抱えた人間の集まりなんて、正直この世に一つでも存在していれば奇跡なのではないでしょうか。ただでさえ人数の少ないジャンルなのですから、ほんのちょっと好みが違っていたくらいでわざわざ下位区分を設けて内輪揉めを引き起こすのはどう考えても利口ではありません。しかし彼らは嬉々として新たな分類を作りたがるのです。同好の士の貴重さが故に、まずまず彼らは本来同好の士であるはずの隣人を決して相容れない外敵として徹底的に閉め出していくのです。
しかし、TSFの中で起こっている内輪揉めには(あるいはインターネットで起こるような類の内輪揉めには)、現実の世界のあちこちで起こっているようなありふれた内輪揉めとは決定的に違う点があります。それは、争いが終わることが決して無いという点です。
もしこれが現実にあるような内輪揉めであれば、団体が分裂することによって争いはいとも簡単に終結させられるでしょう。お互いのメンバーはもう一方の構成員と一生口を聞くことは無いでしょうし、新たに生まれた団体の中でしばらくは楽しくやっていけます。人数が少なくなったことでさらに内輪揉めが発生しやすくなるかもしれませんが、その時はまた集団を二分すればよいのです。このように無限に繰り返される分割を「終わらない争い」と表現する事も出来るかもしれませんが、その表現を是とするならば、TSFで今起こっている問題は「始まらない争い」と表現する事が出来るでしょう。
TSFでは、そもそも、集団が分割される事がありません。
このジャンルの構成員の殆どは、何らかのBBSを集会所として利用しています。BBSというシステムにおいては、その性質上全てのメンバーがいついかなる時も対等な物として扱われます。どう足掻いても目の前の憎き異教徒をこの場から退けさせることは出来ません。現実の様に財力や権力というものが存在していないからです。誰一人として集団を分割する力を持っていないのは勿論として、新しい集団を立ち上げて旧世界からの独立を図ろうとする人物が現れる事もまたありません。インターネットという世界における唯一の武器である魅力という力を持っている人間は殆どいないからです。もしいたとしても、その人物はまず自分の保身を考えるでしょう。その人物の持っている能力が官能小説を書くのに向いているのか煽情的な絵を描くのに向いているのか分かりませんが、何しろ数が少ないもので、このままでも十分チヤホヤしてもらえるのに顰蹙を買うような行動を起こすのはあまりにもリスキーというものです。
TSFを扱った掲示板では、とりわけ男体化の是非に関して、そして心情描写の有無に関して、四六時中みっともない口論が繰り広げられています。女が男になるのはTSFとして認めるべきではない、だの、心理描写の有無がTSFの基準であるべきだ、だの。本当に見苦しいです。中には、自分の嫌いな類の作品が投稿されるとその作品のコメント欄に嫌がらせを仕掛けるような輩まで居ます。その嫌がらせに対抗すべく立ち上がる人間もいます。しかし、まあ、その結果がどうなったところで、自分のコメント欄でそんな事をされたらその作品の作者は溜まったものじゃないでしょう。こういった争いはすぐにでも終止符を打たれるべきです。それでも悲しい哉、TSFの基準を巡る口喧嘩は永遠に終わることがありません。我々がその集会所をBBSに頼っているからです。
本当は、BBSに権力が存在していないわけではありません。一つのBBSにつきたったの一人だけ、どのメンバーも逆らえない絶対的な権限を握っている人物が存在します。そう、管理人です。管理人さえ「このBBSにおけるTSFとはこういうものであるとします」と何らかの基準を示してくれれば、もうこんな幼稚な争いが続く事は無いのです。
それでも彼らは腰を上げません。彼らが動くことは決してありません。彼らはいついかなる時も「議論用」なる珍妙なBBSを新たに設けるだけであって、我々に不和を引き起こしている根本的な原因を解決しようとはしないのです。これは重大な欺瞞です。どうして他でもない貴方が動かず我々に話し合いをさせるのですか。どうして管理人である貴方が事の責任を取らないのですか。それに、我々が話しあった末に出した結論をサイトの方針として採用した事が過去に一度でもありますか。本当は話し合いの結果なんてどうでもよくて、BBSを「荒らす」人間をどこか別の場所に追いやりたいだけなのではないですか。もう現実から目を背けるのはやめてください。我々の意見は最早見て見ぬフリが出来ないレベルで致命的に食い違ってしまっています。貴方は不偏不党の立場を貫いているようで、実際には蝙蝠のように卑しく人の目を引いているだけではありませんか。誰彼構わず招き寄せるものですから、我々利用者は大変迷惑しています。何らかの基準が近い内に示されない限り、不毛な争いがお互いを蝕み、最終的には共倒れとなってこの掲示板そのものが消滅してしまうでしょう。これはもう誰の目にも明らかな事実です。早くこの争いを終わらせてください。貴方と意見の食い違う連中を全て追い出してしまってください。その中に私が含まれていても一向に構いません。このままでは誰も幸せになれません。ひょっとするとこのジャンルがマイナーであることに配慮して、ただでさえ少ないジャンル人口を更に減少させてしまうような事は望ましくない、そう考えているのかもしれません。それなら心配は要りません。既にこのジャンルには、人数が半分に減ったとしても依然として大規模な集団を形成出来るだけの人々が携わっています。現にこのジャンルを扱うBBSなるものは既に各地に散らばって大量に存在しているではありませんか。排斥された人間の収まるべき場所もいくらでもあります。何も怖れることは無いのです。さあ、勇気を振り絞って、その掲示板の一番上に、たったの、たったの一行加えるだけでよいのです。どうか、どうか、この醜い争いを、終わらせてください。
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