アクセスの話

久々に解析画面見たら、「自殺者 心理」とか「自殺者の心理」とかの検索キーワードでgoogleからこの記事(http://iwtbr.blog134.fc2.com/blog-entry-367.html)に飛んできた人が5人以上いたのでとても驚いた。

頭の中の声、声、声。

私の頭の中の声は一体誰が作っているのだろう。
小学校の時、詩の暗唱を嫌というほどやらされた。当時の私にはその価値が全く理解できていなかった。今では学校というところは私になんて素晴らしいことをさせてくれたのだろうと本気で感謝している。何も詩に限った話ではないのだが、小学校の時に読まされた国語の教科書は今でも私を支えてくれている。最近その事が日増しにはっきりと分かるようになってきた。教育の効果が本人に体感されるのは教育が終わってからずっと後だとはよく言ったものだ。
今私が使っているこの声は、一体誰のものだろう。この声は、私にとって、きっとこの世のどんな宝よりも、ずっと大切なものだ。私はこの声を使って文章を認識しているのだし、この声を使って文章を書いている。こと文章に関わる作業に於いてはいついかなる時もこの声が関わるという点で、この声はかけがえのないたからものだ。他人がどういう声で私の声を聞いているのかは、私には分からないのだが。
私の持っている声は、すぐに思いつくだけで多分4つある。1つは今使ってる声。もう1つは女の子の声。もう1つは40歳くらいの女性の声。もう1つは兵隊の声、内村鑑三の声。
「~であります」という語尾の文章を最初に読んだのは去年の夏期講習の現代文の授業でのことだった。その文章の内容が『「個性」を煽られる子供たち』に良く似ていて、当時の私はアイデンティティや人間関係に関してあまりにも深く思い悩んでいたものだから、問題を機械的に処理しつつ臓腑を抉られるという極めて奇妙な体験をしたのだが、それ以上に衝撃的だったのはその文章の文体だった。「なるほど、確かに~~であります。」なんて表現が普通に出てくるのだ。その文章が書かれたのは明らかに遠い昔のことらしかった。恐らくは戦前である。私はその文章を、「兵隊さんみたいだなあ」と思った。それでも私はその文章をいたく気に入った。
「~であります」という語尾の文章を私が次に目にすることになったのはあるウェブサイトでの事だった。私がその時に読んだウェブサイトは今でも残っている(http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/UCHIMURA/Nihonkokunodaikonnan.html)。この文章を読んで私の心はかつてなかったほど強く揺さぶられた。書いた人間の熱がありありと伝わってくる。こんなにも情熱的な文章を読んだことはそれまでなかった。この文章が決定的になって、「~であります」と喋る声を私は新たに持つことになった。
この声に関しては、私がいつからそれを使い始めたのか、明白に分かっている。それでも、他の声に関しては、一体何が私にその声を持たせ、そして私がいつからそれを使うようになったのか、全く覚えていない。私は、自分自身が何者であるのか、何によって何者にさせられたのか、全く分からないのだ。その上に、唯一起源が分かっている内村鑑三の声に関してだって、全く同様にそうだ。その声の存在をどこで意識し始めたのかは分かっていても、結局それは、その声が意識された瞬間を覚えているというだけであって、その瞬間に初めて意識の表舞台に姿を現したというだけなのであって、結局、その声は私が意識するずっと前から頭の中のどこか存在していたに違いないのであるから、その声が一体どこから来たのかについては、全く分かっていないのだ。
私を私にしてしまったのは、一体誰なのだろう。

その日の感情、その日の内に、死ぬ。

自分の書いた記事を何度読み直しても、その記事を書いた時の感情を再現することが出来ない。あんなに心を込めて書いたはずなのに、あんなに筆が乗っていたはずなのに、あんなに楽しみながら書いたはずなのに。ブログを更新した直後に自分でその記事を読み返す作業は何度やっても楽しいのに。それでも私は、直前に書いた記事でしか、あの感覚を、あの昂ぶりを、再現することが、出来ない。
もちろん、自分の文章に何が書いてあるのかを自分で理解することは極めて容易だ。恐らくは自分以外のどんな人間が読むよりも速く私は自分の文章を読むことが出来る。あの時の自分が遺した情報はまだ頭の中で生きている。それでもどんなに譲歩しても感情は確実に死んでいる。何度読み返してもそれを書いた時の昂ぶりが思い出されることは無い。
つまりは、文章の中に、感情が、無い。私の感情は読み手に伝えうる形式に翻訳されていない。
私はとても悲しい。自分の想念を綴りながら私がどれほどの快感を得ているのか、誰にも伝えることが出来ない。情報なら申し分なく記されている。伝えたかったことはきっと伝えられているはずだ。それでも、それでも私は、その情熱を、その快楽を、決して筆に乗せることが出来ない。
その記事を書くのがどれほど楽しかったか私は覚えている。だから今もこうして記事を書いている。でも覚えているだけだ。情報として記憶されているだけだ。この記憶は決して情動を伴わない。もう一度体験したければ新しく記事を書くしか無い。ありとあらゆる記事は使い捨てなのだ。一夜限りの命なのだ。記事を読み返すだけで自己満足に浸れるのは記事を書き終えて寝る前まで。感情の寿命は一日に満たない。

ここまで綴って、それ以来10分くらい1文字も進んでいない。今日は書いている最中すら駄目だ。こういう時は無理に回復しようとしないほうがいい。もう寝よう。

道徳が人を殺す。

殺人や自殺のような人間の生命に関わる行為に強く惹かれている。道徳を最も侵犯する行為であるからだ。私は道徳が嫌いだ。実行には移さないまでも人間の尊厳を冒涜する行為が好きだ。
この感性が既に破綻していることにはすぐ気付いた。道徳を破壊しようとする諸行為は、道徳の外に抜け出しているように見えて、実際にはどこまでも道徳の中にしか存在していないのだ。殺人が道徳に対する最大の挑戦であるから私が殺人に惹かれているとするならば、道徳が存在しなければ私が殺人に惹かれることは無かっただろう。殺人や、自殺や、姦淫や、不貞や、強欲、不誠実、傲岸、奢侈、ありとあらゆる不道徳な行為は道徳を破壊できない。自分自身が道徳の中に居るのだから。その行為が非道徳的であるのは、まさに道徳のおかげであるのだから。
道徳によって規定された非道徳的な行為、即ちどこまでも「道徳的な」行為によっては道徳を破壊出来ない。道徳を破壊するには別のアプローチが必要になる。その方法はつまり、道徳自体を無化することだ。道徳の存在を無視することだ。道徳の存在そのものを無かったことにすることだ。ただ本能の赴くままに、やりたいことをすることだ。生きる方針を徹底的に変える。「やりたい」と思ったら何の躊躇いもなくやる。例えそれが万引きだろうと殺人だろうと、「やりたい」と思ったら、やる。自分がその行為をしたいかどうかを人生の唯一の判断基準に据える。これによって道徳は完全に死ぬ。その息の根を止められる。そして道徳の息の根を止めて、それで一体どうなるか。
道徳が完全に死んだ世界の人間が一体どのように生きるのか。そもそも人間の本能はそこまで不道徳に出来てはいない。とりあえず起きて、とりあえず食べて、とりあえず抜いて、とりあえず寝る。本能の赴くままに行動すれば必ずこうなる。「『したい』と思ったら『やる』」を行動の基準に据えるなら、その生活はどんどん原始的になっていく。怠惰ではあるかもしれないが、しかし、私達が「非道徳的」という言葉を聞いて真っ先に連想するような残虐極まりない行為の数々が道徳の死んだ生活の中に現れることはどうもありそうにない。その内面で完全に道徳を殺した人間は、傍目には極めて道徳的な模範的人間に見える。
道徳の死んだ世界に不道徳な行為が存在しないのなら、どうしてそもそも道徳なんてものが現に存在しているのだろう。何故道徳は必要だったのだろう。歴史的に有名なシリアルキラーの証言は今は考えないとして、普通の人間は、「人間を殺したい」なんて、どういう風に生活していても思わないはずなのだ。人を殺す行為それ自体が自然発生しないのなら、殺人を禁止する法は無意味である。罰する対象がそもそも存在しない法に一体何の価値があるだろう?
地下鉄サリン事件や光市母子殺害事件や秋葉原での事件を始めとする数々の凄惨な事件を見る限りでは、現代日本の犯罪史上最も残虐な殺人者であった彼らが人を殺したその理由は、例外無く「それが道徳や法律によって最大の禁忌として規定されているから」である。彼らはその生活において人を殺す何の必要にも迫られてはいなかった。彼らが殺人を犯したのは、道徳を壊す(フリをする)必要があったからである。生活において必要であったから、その人間のせいで自分の生存が根底から脅かされていたから、仕方なくその人間を殺した、という事件を私達は知らない。現代の日本人が生活上の必要において人間を殺さねばならない状況に陥ることは殆ど無い。そして、実際にそういう状況に陥った場合でも、大抵の人間は自らの命を絶つ。今や日本人が他人を殺めるのは道徳を破るためだけである。
道徳があろうとなかろうと殺人が発生しないのなら、殺人を禁忌とする道徳は、一体何のために存在しているのだろう。最早それは何の効力も持たず、ただ破られるためだけに存在しているのであり、自身が最も望まないところである善良な市民の大量死を、道徳自体が生み出しているのだ。

くすん。

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