私の友人が死にました。本当に動揺しています。昨日からずっと色んな思いが頭を巡って何を言えばいいのかも分かりません。
彼(彼女かもしれない)の死に方はあまりにも壮絶でした。私にはあんな死に方絶対に出来ません。彼が死ぬことは恐らく誰にも気付かれていませんでした。直前までリプライを飛ばしていた人ですら気付いていなかったと思います。
これはtwitterの上での出来事です。ひょっとしたら彼は死んでいないのかもしれません。インターネットから自分の存在を抹消しただけで、死んでなどいないのかもしれません。それでも私には彼が死んだとしか思えません。少なくとも確実に自殺を決行したはずです。あの文章は覚悟を決めた人間の文章です。私が何かをする時は彼がしたのと同じようなやり方をします。だからあの文章に書かれた事が確実に実行されたのだと私には確信を持って分かります。あるいはただの思い込みかもしれません。
誰かに救助されたということはあるかもしれません。しかしその望みは殆どありません。「船も人もあまり通らないいい場所を見つけた」と、彼自身が言っていたからです。
書きたいことが多すぎて何から書けば良いのか分かりません。
私がこの記事を書いた事を知ったら彼はあまりいい気分をしないと思います。こんな事を書くのは完全に私のエゴです。でも許してください。もう私にはどうすればいいのか分からないのです。どうやって心を鎮めれば良いのか分かりません。
彼が死んだ場所は分かっています。私はそこに電話をかけるべきかどうか迷っています。その地域の警察に電話をかけて、水死体が上がっていないかどうか、あるいは溺れかけて救助された人間がいないかどうか、確かめたいのです。そんな事をしたら絶対に彼は怒ります。だからどうしてもそれをする気にはなれません。それでも私はどうしても彼の生死を確かめたいのです。未だに私は彼の死を受け入れられていません。
人間が死ぬのがこんなに重く苦しいことだとは知りませんでした。母方の祖父と父方の祖父が死んだ時には私はあまり辛い思いをしませんでした。話したことは殆どありませんでしたし、親戚の家に行った時に顔を合わせるくらいでした。少なくともあまり親しみを感じてはいませんでした。それでも彼はそうではありませんでした。多分これは、私にとって、親しい人間が死んだ初めての出来事です。
「死にたい」と普段から言っていましたし、知り合いは死にたがりばかりですから、多分知り合いが一人くらい死んでもそこまでショックは受けないだろうと、呑気にそう考えていました。実際に知り合いが死んで、人の死が周りの人間にどれほど悲しく辛い思いをさせるか初めて分かりました。もう暫くの間は、彼の死が私の記憶から風化してしまうまで、「死にたい」なんて、口が裂けても私にはもう言えません。だからといって、これから死のうとする人に、「周りの人が悲しむから死んじゃだめだ」だなんて、そんなふざけた事を口にしようとは思いません。ただ私はもう死にたいとは言えないし、死ぬことはしません。私は私にだけ誓約を課します。彼の死を以て他人に何事かをすることはありません。
私は多分彼の死を忘れます。母は祖父の死を忘れました。父は祖父の死を忘れましたし、祖母が死にかかっていることも忘れかけています。あまりに恐ろしいことです。人間はその生存を最優先する為に自分にとって都合の悪い事実は優先的に消していきます。恐らく一週間もしない内に彼の死は私の中で何事でも無くなります。「彼は死んだ」というただの記憶になります。事実、彼の死を知ってまだ2日も経たない内に、ショックが私の中から消えつつあります。正確に言えば、ある時は彼の死を忘れて普通に暮らし、ある時ふと彼の死を思い出して悲しみのあまりのたうちまわり、そういうサイクルが続いています。もう人間であることが嫌です。生きるために自我が消されます。

彼の死は、私の他に、最低でも一人に知られているはずです。その人が彼の死を知ってどう思ったのか私には知ることが出来ません。
恐らくそれ以外のフォロワーは殆どが彼の死に気付いていません。彼の名前で検索すると8月19日付のtweetまでが引っかかります。それ以前のtweetは検索の対象に出来ないようです。その検索に引っかかったtweetを全て読みました。そうして分かったのですが、8月19日以降に彼の名前を呟いた人達は、単に彼を最近タイムラインで見かけないという理由で彼の名前をつぶやいたのであって、彼の死に気付いてその名前をつぶやいたわけでは無かったのです。あるいは彼の変更されたHNとbioを見て、恐らく彼に何かがあったのだと把握はしているのですが、それが自殺だとは分かっていません。彼の死に気付いている人間は殆どいません。こんな死に方、私には出来ません。

彼の死の直前のtweetを読み返していたら泣きそうになってきたので今はこれ以上考えるのをやめます。

ありとあらゆるトラウマが濃縮されたような悪夢

こんなに夢の内容を明確に記憶できているのは久々のことなので、書いておこうと思う。この記録をつけておくことでひょっとしたら夢の内容が明晰になるかもしれないから。それが決して明晰夢では無いにしても。
あれは間違いなく某塾某校のあの教室だった。現実のその教室が何号室だったかは覚えていない。なにしろあの巨大な建物を輪切りにしたらきっと金太郎飴みたいになるに違いないだろうから、3階から7階が全部同じ形だろうから。ただ、あの先生はなにしろ大人気だったから、あの先生が使っているのは一番大きな教室で、たしかそれは200人か300人くらいは収容できるはずだった。私がその教室を使ったのは2年生の時に受けた現代文の授業でだけだった。
その教室には横長の机が横三列に設置してあって、間に通路が二つある。教壇を目の前にして右側の長机の更に右側の席に私は座っていた。この位置は私が三年生の時に受けていた日本史の授業でいつも座っていた位置だった。私の左隣り二席分には私の友人が座っていたはずだが、それが誰なのかは覚えていない。
その友人に、私は辞書を貸そうとしていた。このエピソードが何の記憶を参照しているのか私には分かるのだ。あれは三年生の冬期講習の現代文の授業で、先生が、ある単語を辞書で引いて欲しいと生徒にお願いして、色んな生徒が辞書を引いていて、私も同じように椅子の下に置いてあったカバンから辞書を取り出そうとしたのだけれど、辞書がカバンのポケットに引っかかって上手く取り出せなかったから、多分、単語の意味は先生が解説するだろうと思い、カバンを探るのをやめて、顔をあげたら、すると先生が明らかに私のことを見ていて、辞書を取り出さなかった私を見て残念そうに別の生徒に目を移して、あの、あのトラウマの記憶が、明らかに呼び出されたのです。別に、怒られたわけでも、なんでもないのに、今でも何故か、この事は覚えているんです。
とにかく、隣の席に友人が座っていたはずなのですが、その二人に辞書を貸していて、その辞書は何故か私が今使っているものでも昔使っていたものでもなくて、多分あれは外見からして今の大学の友達のS君の辞書の記憶の残骸なんだろうけど、その辞書を貸していて、すると、私の席の、後ろに、何故か、あの恐ろしいY先生が、座っていたのです。
その先生は、何故だか、そう、まるで大学一年生がクラスメートに話しかけるように、とてつもなく馴れ馴れしい口ぶりで私に話しかけ、その内容は全く記憶に残っていないのですが、多分、あの、質問に行った時に、こっぴどく怒られて、あのことを、喋っていたのだと思います。
次の場面では、私の位置は左側の席になっていました。この位置は、私が、三年生の冬期講習の日本史の授業で、こっぴどく怒られた時の位置でした。そして、この場面の最初の記憶では私は真ん中あたりに座っていたのですが、次の瞬間には、私は、あろうことか、前から二番目の席に、多分座っていました。これは、あの日、二年生の時の現代文の授業で、本当にどこにも席が空いていなくて、仕方なく一番前に座るしか無くて、とても酷い思いをしたあの日のことを、あるいは、二年生の時の英語の授業で、なぜだかずっと一番前に座っていて、毎度毎度とてつもなく恐ろしく背筋が凍り付くようにしながら授業を受けていたあの頃のことを、思い出させるのです。
私はY先生を斜めから観察していると、Y先生は、いつものように、熱のこもった叱咤激励を終えるのですが、そのときその先生は、表紙が水色で縞模様のテキストを手にしていて、あれは、私が一年生の時に受けた英語の授業のテキストそっくりで、でもその厚さは、私が三年生の時に結局一回も開けなかった古典の要点のまとめそっくりなのでした。
次の場面では、何故か、Y先生と私が直接話しているのですが、Y先生は、私に、「あの子(女の子)はまだ一年生だから、どうも気合が入ってなくてねえ」と、悩みでも相談するかのように、それでいて楽しく愚痴をこぼす様に私に語りかけるのですが、これを聞いて、私は「おかしいな」と思ったのです。何故なら、その教室にいるのは全員同じ学年の生徒のはずですから、「まだ一年生だから」なんてセリフが同じ高校一年生であるはずの私に向けられるはずがないのです。それで、私は、「あれ、もしかして、教室を間違えて、違う授業を受けてしまったのかな」と思ったのですが、私は、今年の4月に、15号館の02号室に行かなければならないのに15号館の03号室に入ってしまい、話を少し聞いてどうやらこれが2年生の授業であるらしいということがわかり、自分が教室を間違えていることに気付いて慌てて教室を出たのですが、あまりに恥ずかしかったので、よく覚えています。
最後に、私は、真ん中の長机の左の席(さっき書いた「他に席が無かったので一番前に座るしか無かった」時と殆ど同じ位置です、実際には真ん中の長机の右の席でしたが、)に座っていて、右隣にはやはり友人が二人いて、一人はニ外の授業で私の隣に(現実では左隣に)座っているE君で、そして私はそのニ外の授業がとてもとても大嫌いで、行くのが辛くて仕方なくて。
特に前日に嫌な思いをしたわけでも無いのにどうして一回の夢でこんなにも嫌な記憶が呼び出されているのか分からないのですが、本当に、酷い夢でした。
でも、夢を見ている時には、全然嫌な気分ではありませんでしたし、夢の内容をこうやって掘り起こしている今でも、夢によって参照された記憶を再度思い出しても特に嫌な思いはしていません。
ひょっとしたら、夢に出てきた記憶は、浄化されるのかもしれません。トラウマじゃなくなるのかもしれません。もうその記憶のせいで嫌な思いをしなくて済むのかもしれません。
私は、もっと悪夢が見たいと思いました。

私は問いたい

一体私の何が貴方方を魅きつけたのかと
プロフィール

Author:ルーミア厨
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