自分のアイデンティティを確保する行為は誰かのアイデンティティを奪い、究極的には殺すということ

大学で数少ない私の友人にKという男がいる。彼は一浪して東大に落ち、この大学に来たと言っていた。彼が最近あまり大学に来ない。そういえば前期から休んでいたことが多かった。
彼の性格はとても明るい。彼が笑っていないところを私は見たことがない。
そして彼は非常に真面目で、彼のノートを見る度にそのあまりに整然とした記述に私は驚かされる。

彼はこのままでは死ぬのではないのか。

彼は前期、殆どの授業を、恐らくは4回欠席していた。真面目な人間が授業を休むときに何をしているのか、私は多分、彼のどの知り合いよりもよく知っている。
真面目な人間は体調が悪い日に休むことが出来ない。「ちょっと今日体調が悪いからいいや」では済まされない。済ますことが出来ない。誰も自分が来ないことなんて気にしないのに、それでも自分だけはそれが許せない。
体調が悪い日は誰にでもある。だからそういう日は授業を全部休んで一日潰してでも睡眠をしっかり取って休むことが何より重要だ。でも寝れない。何故なら真面目だから。授業に出ていないという不安が、罪悪感や、あるいは自分が真面目でなくなってしまうというアイデンティティを揺るがす強大な力や、それとも諸々の抑圧を纏って、僅かな休息すら与えるのを許さない。体調が悪い上に授業に出てすらいないのに勉強なんか始めたりしてしまう。そしてすぐにぶん投げる。布団と机の間を何度も何度も往復する。真面目とは非常に強烈な強迫神経症なのだ……。
体調が悪い日に正常な休息が取れないとどうなるか。次の日にますます体調が悪くなる。でもますます体調が悪くなるともっと休めなくなる。本当はちっとも休めてなんて居ないのに、昨日休んでしまったのだから、今日はもっと頑張らなければ、と、そういう話になる。でも昨日休めていないんだから体調は依然として最悪なままで今日頑張れるわけがない。それでも頑張ってしまう。頑張ろうとしてしまう。本当は休息が必要なのに。結局何の成果も上がらないまま、正常な休息が取られることはなく、それがまた成績を悪化させ、それ故に休めなくなる。恐ろしきは負のフィードバック。
何が最悪って、私が居ることなんだ。多分それが彼にとって最悪の状態なんだ。私は勉強してしまった。優秀な成績を納めてしまった。あるテストでは平均点の約1.5倍の地点をマークして1位だった。そのテストでは彼は平均点を5点だけ下回っていた。多分私は全てのテストで彼の点数を上回ったのだ。私は自分のアイデンティティを確保するために、彼の生存を売り払ったのだ。私は最低だ。私が彼の知り合いでさえなかったら、彼の傷は恐らくもう少し軽かったはずなんだ。
私は彼が、一度だけ、「俺って明るく見えるだろう?」と言ったのを、よく覚えているのだ。それはつまり、自分は、本当はそんな人間じゃないのだと、実際には明るくもなんともないのだと、そういうことであって、彼が一体、普段家の中で、どれほどの苦痛にもがき苦しんでいるのか、私には想像すら出来なくて、しかも恐らくは、彼のアイデンティティを完全に破壊したのは、きっと他でもないこの私なのだ……。
彼のノートは本当に理路整然としていて、最早芸術的ですらあって、でもそれが成績に必ずしも結びつかないというのは、私がほんの少し前に気付いたことだったんだ……。彼がもしも、その能力とリソースを、ほんの少しだけ違うことに振り向けていたのなら……。
ああ、もう考えても仕方がない、私に出来る事はなにもないんだ、いくらなんだって人を助けるためだって、私は私の首を絞める訳にはいかない。私はただ見ていることしか出来ない。彼が自力で自分を掬い上げるのを期待することしか出来ない。私は最低だ。他人の命を売り払って自分の生活を買っているんだ。私は他人を奪っているんだ。社会の地位を奪っているんだ。奪いながら生きていくしか無いんだ。私は本当に最低だ。

私の妄想ならそれでいい。でも多分きっとこれは妄想なんかじゃない……。
私と彼の共通の友人に、彼が最近よく休むから心配だ、と言ったら、あまりに大げさじゃないか、と言われた。うつ病か何かじゃないか、と言ったら、失笑を買った。誰も彼がそんな病気になるとは思っても居ないらしい。だから、だから危険なんだ、だから危険なんだ……。私の妄想ならそれでいいんだ、でも、私の勘が正しいのなら、きっとこれは、極めてまずい事態になっているんだ……。

とてつもなくまずい事態

精神病でこそ無かったものの恐らく私は重度の神経症を抱えていてしかも相当に末期であり治療は非常に難しいということ

そして

何が最悪って、そもそも無理なんですね、外部からの刺激に無反応でいるのって。
「出来るだけ反応しないように努力しているけど、それでも微細な反応がどうしても体のどこかに現れてしまう」状態を、多分世間一般に、挙動不審とか、対人恐怖症とか言います。
生きるのがあまりにも辛い。

(3)どこまでも仮面にすぎない物

それでも、私は、何の病気でもありませんでした。
私には完全な被害妄想と、知らない人の声が話す内容を聞き取れない障害がありました。それでもそれは、片方は環境によって、片方は半ば意志によって、健全に形成されたものでした。
私が被害妄想を抱いたのは、統合失調症の患者がするようによってでは決してありませんでした。何故なら、私の被害妄想は今でこそ妄想に成り果てましたが、中学一年生と二年生の時に私は紛れもなく実際に被害を受けていたのです。知らない人間は無条件で私に危害を加えるのだと、そういう思い込みを、私は、全く正常な過程の内に獲得したんです。これは、何の被害も受けたことのない人が、病気によってある日突然被害妄想を抱き始めたり、あるいは病気によって被害を受けたように錯覚するのとは、全くわけが違います。
だから、私は、精神病ではありません。
私が被ったのは、「何も聞いていないから、何しても反応しないから、だからどんな悪口を言ってもどんな嫌がらせをしても全く効果のない糠に釘のような人」という、一人の精神異常者の仮面でした。でも、私は、決して精神異常者ではありませんでした。しかし、私の獲得した特性は、明らかに一般の人が精神異常者と聞いて思い浮かべる像にそっくりであり、だからこそ私はその仮面を被ったのです。私は、いつからか、私は実際に頭がおかしいのだと、そういう医学的な評価を求めるようになりました。それでも、私が医者に行く事は一度もありませんでした。貴方は確かに過酷な環境に置かれていたが、それでも貴方は決して精神病では無い、と、そう診断されるのが、あまりに怖かったのです。手がつけられないほど巨大に膨らんだ被害妄想と、途中から併発した鬱状態によって、私は仕方なく医者に行きましたが、やはり精神病であるとは診断されませんでした。それでもまだ、私を刺激しないように医師が意図的に病名を告げていないだけで、やはり私には何かしらの病気があるのだと、そう思い込んでみる事は出来ました。しかしある授業がその希望を完全に砕いたのです。
当時の精神医学界は一種の混乱状態に陥っていました。方々の医師がそれぞれ好き勝手に病名をつけて回るので、あまりにも情報が錯綜し過ぎていて何が何だか全く分からなくなっていたのです。そこにクレペリンという医師が現れます。彼は、当時名付けられていた数えきれない程膨大で多種多様な病気の全てが、実はたった二つの病気の症状として分類する事が可能であると発見したのです。その二つの病気は二大精神病と呼ばれ、現代にも残っています。私達がテレビや新聞で「精神病」という言葉を目にした場合、このどちらかだと思って差し支えないそうです。その二つの病気というのが、現在「統合失調症」「気分障害」と言われているものです。
そして、その授業の続きを丹念に聞いた結果、どの精神病の症状も、私には見られませんでした。素人判断ほど危険で愚かしいことはありませんが、最早医師に見せる必要すら無いレベルでそのあり方は違っていました。
私は、結局、精神異常者のような習性を身に着けてしまっただけで、何の精神病も引き起こすことができませんでした。私がどうしてこんな風に生活するようになったのか、誰かに説明することも、釈明することも、最早私には許されません。多分、精神病よりも辛い生き地獄に、私は嵌ったのです。
私には、どうやって生きていけばいいのか、分かりません。

外れない精神異常者の仮面(2)

中学三年生の時、私の学校にいわゆる特進クラスというのが出来ました。しかしこの学校は附属校の上に中高一貫という最高にクソな状態が完璧に整えられていたので、まともに勉強を教えられる先生など一人もおりませんでした。教えている人間がこの上なくクソなのですから、特進クラスなんか設けた所で上手く行くわけがありません。それでもどんな学校においても成績の良い方の集団というのは人格が良い人間が多いもので、このクラスでは私は非常に幸せな生活を送れました。高校一年生の間も、同様にして幸せな生活が続きました。
しかしそれはあくまで人間関係においての話であって、また私を迫害する人間が誰も居なかったというだけの話であって、勉強においては決してそうではありませんでした。私は学校の先生の話が大嫌いでした。どう頑張って聞いても面白く無いことを抜きにしても、私でも間違っていると分かるような内容を平然と話すからです。多分、どう頑張っても寝付けなかった時に退屈で間違った話を延々と聞かされたこの恨みが、その後の人生の選択と、現在の私を支えているのだと思います。
結局ここでも、私は、「聴こえていないフリをすること」を強いられました。しかも、今回求められたのは、環境は以前より幸せなものであったにも関わらず、皮肉な事に、以前得た特性を取り返しのつかないレベルにまで強化することでした。内職は、先生の話なんか聞こえていたら出来ません。今回こそは本当に、完璧に自分の内面世界に閉じこもってしまう必要があったんです。少なくとも聴覚は完全に遮断する必要がありましたし、視界の中で黒板の前を教師がバタバタ動きまわったり、あるいは私の横をあからさまに通ったりしても、出来る限り気にしない必要がありました。貴方がたの存在なんて目に入ってすらいないのだと、そう見せる必要もありました。
本当に致命的なことでした。
高校二年生の時、私にとって最大の悲劇が訪れました。文系と理系の選択です。私の事を知ってくれている人が誤解しないように書いておくと、この悲劇というのは、私が高校二年生の十月にどの大学のどの学部を目指すのかようやく決まったにも関わらず、その学部の受験科目が私が四月に選んだ科目と食い違っていたことではありません。文理選択によって、文系と理系に分かれ、つまり特進クラスは二つに分離してしまいました(一同爆笑)。人格の良い人間の密度が一クラスに対して半分になりました。その後は、皆さん御存知の通り、私は耐えられなくなり、高校二年生の途中で学校を去りました。ただ、この時に私の心をへし折った理由は、中学一年生や二年生の時とは全く違う、非常に厄介で、もうどうしようもないとしか思えないような、手遅れにしか見えないような、最悪で最低の病気でした。
高校二年生の時にも、数日だけ通った高校三年生の時にも、私の事を嫌っていた人間等一人も存在しておらず、むしろ同級生の印象の中では私は完全な優等生だったのだと、そう知ったのは、ずっと後のことでした。
高校二年生のクラスには、私が嫌いな話し方をする人間がいっぱいいました。それは中学一年生の時と中学二年生の時に私を嗤っていた人間がするのと全く同じようなやり方でした。私には人間の声が全て同じ声のように聞こえました。これは、今でも全く治っていません。私は、今私の耳に聞こえている声が、私と親しい人間の声なのか、私を嘲笑う人間の声なのか、区別がつきませんでした。そして、実に五年もの間、「聞こえないフリ」を強制させられ、「実際に聞こえないこと」までをも強いられた私の耳は、もうすっかり弱っていて、どんなに注意を向けても話している内容を聞き取る事さえ出来ませんでした。だから、私の聞いている声が、私を馬鹿にしているのか、それとも私には関係のないことを話しているのか、私には全く分からなかったのです。私は、自分の耳に入るありとあらゆる声が、その声が私を馬鹿にしているような気がして、とても怖くなって、人の声に怯えるようになりました。そうして私は、自分を脅かす人間の声を知覚から排除する為に、自分の聴覚を意図的にますます弱らせていきました。「みんなが私のことを嘲笑っているかもしれない」という被害妄想は、治療されうる機会を一度も与えられる事無く、のびのびと際限なくその巨体を膨らませて行きました。

実際には、私のことを馬鹿にしていた人間なんて、誰もいませんでした。私を脅かすような人の声なんて、初めから存在していなかったんです。でも、そんな簡単なこともわからないほど、私の耳と頭は、とっくにおかしくなっていました。
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