私は金を使えない

結局880円課金したよ。アンドロイドマーケットのとあるアプリに。これは良いゲームだよ。フリーミアムなのがあれだけどさ、無課金にもすっごい良心的だし(それが経営上の戦略だってのは分かってるんだけど)面白いし、なんて言うかな、その心意気に免じてみたいな感じて勢いで880円課金しちゃったよ。でもさ、これ課金するのすっごい迷ったの。行動力は全部切れててさ、それでもまだ遊びたくてさ、出来もいいからさ、このゲームになら課金してもいいかなって思ったの。それでも課金するまで物凄い悩んだしストレスが溜まって胃は痛いし眠れないし泣きそうになった。何なんだ。本当に何なんだ。
私は本当に金を使わないんだよ。尋常じゃないくらい使わない。具体的にどのくらい使わないかって言うと毎年お年玉を全部合わせて1万5千円か2万円もらってそれだけで1年分の買い物全部賄えてお正月に金がまだ残ってるので延々と金が増えていくくらい使わない。本当に全然金を使わない。食費と生活費は出してもらってのうのうと生かしてもらってるけど嗜好品の類はマジで全く買わない。私が金出さないで享受してる嗜好品は多分毎週1回父が買ってくる週刊少年マガジンくらい。お小遣い要らないのって何度も聞かれるけど私から欲しいって言ったことは一度もないし今使ってるパソコンだって特別にお金を出してもらうことなしに純粋に3歳くらいから貯め続けたお年玉で買ったしそれでもまだ2万余った。今5万円くらいある。ちなみに私は月の小遣いを全く貰わない。大学生になってから流石にどうかということで母が月に5千円渡すようになったけどそれでも全く使ってない。高校3年生が終わるまで私が小遣いを貰ったことは一度もなかった。それでも全く困らなかった。私は本当に金を使わないから。
多分こういう事書くとバイトして生活したりしてる人にぶん殴られると思う。私は多分相当に恵まれている。生活費と食費は全部親が出してくれる。でもそれ以上に私は絶対に金を使ってない。絶対におかしい。
インターネットで課金しようとする度に本当に胃が痛くなる。ストレスで死にそうになる。貯金は3万円もあるのにたかだか2000円のウェブマネーを買おうかどうかで何ヶ月も迷って結局買えなかったしさっきだって今5万円あるのに880円の課金をするのに数時間迷って眠れなかった。本当にもう嫌だ。
多分私は金を使わないのでなく使えない。金を使うこと自体に物凄い抵抗を感じている。自分で金を使うことを何かとてもよくないことのように感じている。親が何ヶ月私に小遣いを出そうと多分私はそれに手を付ける事は一生無いし永遠に袋の中のまま。
そもそも金を使う動機がないというのもある。私には友人は、まあ一応居るけど、別に休日に外に出かけたりはしない。私の服のセンスは致命的だし外見も良くないし歩き方は変だしお喋りだって上手じゃないから。それに私には現実には一緒に外に行きたいと思う人は居ない。インターネットにはたくさんいるけど。本当にたくさん。私がこんなじゃなかったら毎日会いたいくらい大好きな人が、たくさん。
そういえばこの前とある知り合いに後ろから話しかけられた。「よく自分だって分かったね」と言ったら「歩き方が特徴的だから」と言われた。まだ治っていないのだと思った。「変じゃないけど」と言われたけど、変じゃないけど特徴的な歩き方って、どんなんだよ、って思った。私の歩き方って本当にどういう風に見えてるんだろう。足弱いからなあ。
私がこういう風に変な歩き方になってしまったのには理由があって、これは別に頭がおかしくなりたかったからとかそういう理由では全然なくて普通に生活上の必要から。私の中学校は駅から15分くらいあって、しかもその頃私はコズミックブレイクにドハマリしていて平均睡眠時間が多分1日に2時間か3時間くらいだったので、眠くて眠くて、それはもう速く歩いて学校にたどり着いて急いで寝る必要があったのだ。3年間経って私は歩くのが物凄い速くなった。人気のない通学路の中では。私の歩き方は出来るだけ速く歩けるように矯正されたのだ。でもそれは人が居ない場所限定で。殆どの場所ではゆっくりと歩かないといけないから。というか速く歩いてても私の歩き方は変だし。普通に歩けなくなっちゃったんだ、中学生の時に。この歩き方は競歩の選手がやるものとは間違いなく違うし普通に足を痛めただけだった。電車の中でしょっちゅう転びかけたりする。さておき。
そういえばルールをまだ書いていなかった。体調が許す限り日記を書くこと。お前はやれば作業が出来るのだと確認させること。この性格を矯正すること。体調があまり良くなくても大体出来るのだと確認すること。レポートを書くこと。無事に、無事に。その為に。一旦始めたらどんなに疲れても最低15分はキーボードを止めないこと。但し続きを書きたい限りにおいて15分を超えても際限なく遊んで良いものとする。今丁度15分経った。
スタークラフトを買った時は本当に救われた気分だったよ。クレジットカードが使えるのって本当に世界が拓けるような気がするんだ。でもそれは殆ど一回きりだった。CoDは買えた。LoLにも課金できた。でもそれっきり課金してない。全く。全くといっていいほど。
私は本当に何もしたがらない。何かをすることが苦痛で仕方ない。何かをしたいが、それをすると想像を絶するストレスが溜まって死ぬ。だから普段はやらない。でもたまに、何か自分を縛っているものが世界から何物も無くなっていくような感覚に襲われることがある。ありとあらゆる道徳や倫理から解放されて、自分の好き放題にできると思える時がある。それを確か最初に感じたのは受験前の2月の寒い冬の日で、あの日私が唐突に気付いたのは、午前4時の空腹の中で、「どうして外に出ても死にはしないのに私は最寄りのすき家に行って朝食を取ろうとしないのだろう?」ということだった。日本は安全だ。歌舞伎町を一人で歩いていたってそう簡単には死にはしない。本当にびっくりするくらい安全な国だ。私は今住んでいる地域で人が死んだのを一人も聞いたことがない。例えそれが事故ですら。殺人なんか一回もなかった。私が死ぬ確率は途方もなく低いのだ。当たりを引いた時の罰金は無限大だけれど。どうして死にもしないのに私は空腹に耐えながら布団の中でくるまって携帯電話を眺めているのだろう?どうして立ち上がって生を掴み取ろうとしないのだろう?まず一つの理由として、それは寒いからだ──それなら、どうして分厚い服を着て寒さを取ろうとしないのだろう?それは着替える瞬間が寒いから、でも着替える瞬間に寒くったって、別に死にはしないだろう。どうして私は死にもしないことにいちいち怯えているのろう?あるいはそれは辛くもないのに。辛いわけでも死でもないことに自分が怯えていることに気付いたのは、あの寒い冬の朝だった。それから数日の間、私は、多分本当にどうかしていたのだと思う。今でもたまにそういう時がある。人生を生か死かでしか考えられなくなることがある。死にさえしなければ何物も怖くないと思うことがある。でもね、それは、本当に一時的なんだ。
私は人生のごく限られた時間においてでしか自由であることが出来ないんだ。私は本当にいろんなことに縛られている。例えば今キーボードを叩いているこの部屋の中でだってそうだし、いつ家族が階段を駆け登ってきやしないかと心底怯えている。私は部屋の中ですら(キーボードとマウスと笑う音を除いて)ありとあらゆる物音を立てないようにしているし、家族の前に居る時なんて自分の指の動きが何か変な誤解を受けるんじゃないかってビクビクしながら暮らしている。本当に生きているのが辛い。たまにそういう辛さが気にならなくなる時がある。辛いのが無くなった訳じゃなくて、辛いけど、別にいいじゃないか、それがどうした、って思える、そんな時が。クレジットカードで海外からゲームを買うのなんて絶対にいい目で見られないよ。でも良いじゃん、死なないんだから、って。そう思える時が、数ヶ月に一回くらい、ある。そういう時だけ私は課金したりスタークラフトを買ったりして、その数時間分の成果によって数ヶ月の生を繋ぐ。そうやって私は生きていくしか無いんだ。
そんなわけで久々にどうしても課金したくなったから課金したけどさ、今日は本当にそういう時じゃなかったんだ。課金しちゃったことへの罪悪感で頭が痛くて死にたくてしかたがないんだ。どうして死にたいのかもわからないし自分がどうしてこんなに金を使うことに恐怖を覚えているのか分からない。
時々ありとあらゆるストレスを無視出来る事があるし、そういう時は「凄い!なんにもストレス感じない!凄い!」って思うんだけど、数日も立つと全く同じ原因で物凄い苦しんだり悩んだり死にかけたりする。多分、ストレスは、感じられていないだけで、実際に存在していて、数日して必要が無くなると蓄積されていたストレスが一気に吹き出して私は死にかける。

ところで明日から試験がある。勉強はしていないけど大丈夫だろう。大丈夫だろう。大丈夫だって言ってくれ。私はどうしてこんなことで苦しまないといけないんだ?こんな世界は絶対に狂ってる。だってさ、どの授業でもお題目のように「3分の1の欠席は単位が認められない云々」ってどういうことだよ。3分の1も来てないってお前それ授業受けてなかったのと殆ど同じじゃねえか。いや毎回毎回の授業が単発形式で特に体系的な授業じゃないならいいよ(伝われ)。でも歴史の授業とか連綿と繋がってるんだし実際一回でも休んだら基本的にアウトだろ。私が予備校に居た時に一回も欠席しなかったのは一回でも欠席したら絶対に一年が吹き飛ぶって確信してたからだよ。それなのに、それなのに。
逆に言えば今私が殆どの授業をギリギリ3分の1まで欠席してるのは別に休んでも平気だからなんだろうな。悪い意味で授業内容が薄いのだ。そう、3分の1まで欠席してるのは授業出てないのと同じって私のことだよ。この異常なまでの悪い意味での潔癖さで私は本当に苦しんでいるんだよ。他のやつと同じ程度の成果しか上げられないくせに、意識だけ高くて死にたくなっているんだ。本当に嫌になるよ。
でもさ、30回の授業の中でたった1回しか欠席してない授業もあるんだよ。しかもその時は風邪で冗談抜きで動けなくって車で病院まで運んでもらったっけな。その授業は本当に休んだら死ぬから。死んじゃうから。そして楽しいから。私はああいう授業が聞きたいよ、もっと聞きたいよ。一回でも休んだら単位が落ちるレベルで内容の濃い授業が。そしてそういう授業はほとんどの人間が耳を澄ませていないので私だけがクラスで特別であるという妄想も程よく味わえて最高にいいんだ。
30分経った。今日は早く寝て明日に備えよう。やればできるんだ、やればできるんだから、なんにも書くことなんて無いのにでっち上げられたんだから、レポートを書けばいいんだから、お前なら簡単に終わるだろう?さあ、終わらせて、早くこの生を、この荒野を、全ての試験を殺し、単位を殺して、2ヶ月という永劫の睡眠の楽園へと。

寝る準備

もう疲れたなあ。休んでしまいたい。今日は何を書こう。これは私の几帳面さを矯正するための訓練であって、日記という形態を取っているだけで既に日記ではない。その日あったことすら書かれないのだから「日」記ではないし、あるいは記しているのでもない。完全に性格の矯正が目的でしかないのだから。
今日はタイピングのスピードが遅い。何しろ起きたのは朝の7時で今は朝の2時だから、頭の身体もヘトヘトなんだろう。タイピング、結局、続けられなかったな。ただ、これだけもう先が見えないって思っても、20日間1日30分訓練しただけで劇的な成果があったから、やっぱり練習してないから上手くならないだけなんだと思う。どうしよっかな。ゲームに飽きたら今度はタイピングでも復帰してみようか?そうだ、それがいい。何しろ私は音楽だって聞きたいから。音楽を聞きながらタイピングするのは本当に生きていて幸せな時間だ。
ありとあらゆるストレスの無い空間がある。部屋も壁も真っ白で、被験者は日常の些事や仕事から解き放たれ、ベッドに横になり、アイマスクと耳栓等で五感を外界から遮断して、ひたすら寝てもらう。極めて快適な空間。理想の人生。そして今のところこの空間に三日耐えられた被験者は居ない。
私達は常に刺激を求めている。私達は外界からの刺激がないと生きていけないのだ。ストレスが無いとそれ自体がストレスになるという本当にふざけた話だ。私が音楽を聞きながらタイピングの練習をするのはそういう理由からだ。私はもう何も考えないで横になりたいけど、私は本当に我慢するのが苦手で、本当に疲れていない限り横になっていると3分と持たずに衝動が抑えきれなくなって布団から飛び上がってしまうから(比喩でもなんでもなく本当に)。毎日寝るのには本当に難儀しているし、記憶が確かなら小学5年生の頃からそう。精神科に行って一番良かったのは、実感できている限りでは睡眠薬がもらえたこと。それで、それで。私は何も考えていたくないけど、何も考えてないということに人間は耐えられないので、何も考えないで機械的に出来る作業をしているのが、私は一番落ち着く。だけど、タイピングだけをずっとやってるのって本当に気が滅入るようで、楽しむために音楽を加えると本当にちょうどいい具合に心が落ち着いてくれる。そういうわけで、私は音楽を聞きながらタイピングをするのが好きだ。一ヶ月に一回くらいしかやらないんだけど。出来ないといった方が正確だろうか。
過去に数日だけ、「自分がパソコンで一体何をやっているのか」を記録につけたことがある。あまりに衝撃的で数日でつけるのをやめてしまった。その時の記録は大体こんな感じだ。「13:00 パソコンをつけた 13:30 東方妖々夢をやる 14:00 東方妖々夢終わった 17:00 らんだむダンジョンをやる」……。本当に不思議なことに、活動と活動の間に数時間の空白がある。つまり私は、あまりにも膨大な時間を「記録にすら残す気も起こらないようなどうでもいいこと」で埋め尽くしていたのだ。というか、今でもそうしている。本当に虚しい。私は、ゲームすら3時間に30分くらいの割合でしかやっていなかった。私は遊んですらいないのだ。何かよく分からない衝動に任せて人生を食いつぶしている……。
私の巡回するサイトは3つあって、1つはex******と、2つはpixivと、3つはtumblr。多分、測ったことがないしあまりに怖くて測れないので分からないけれど、私はこの3つのサイトを巡回することだけに1日の大半を費やしている。あるいはついったーのログを更新したりふぁぼられをチェックしたりすることによって。しかも、最近本当に強く感じるのだけれど、そういう風に時間を過ごしている時って、「自分でも一体何がしたいのかよくわかっていない」ことが本当に多い。どうして私はこんなサイトを巡回しているんだろう。別に新着があったって嬉しくもなんともないのに。どうして私はこんなページを見ているのだろう。楽しいわけでもなんでもないのに……。
ゲームを始めようとすると、どうしてもゲームをやりたくなくなって、ちょっと気分を落ち着けるためにサイトの巡回でもするか、という感じになる。そして巡回している間に最初の目的を忘れてしまう。しばらくして、やっぱりこんなサイトは退屈だ、エキサイティングなゲームをしよう、とゲームを立ち上げようとする。でも、やっぱりゲームをするのは気が重いから、何か他のことで気を紛らわそう、と巡回を始める……。
これが無限地獄か何かでなくって一体何だろう。

今日は何も書けることがない上につかれてヘトヘトだ、どうしよう、って思いながらキーボードを叩きはじめたって普通に日記を書くことはできるものだし、お前はやれば出来るのだ、やれば出来るんだから、やろう、やろう、ね。出来ない。

久々の。

久々にこんな事でもしてみようかと思った。この記事は読む必要がない。読まれる必要がない。何故なら読まれるように書いていないからだ。私が普段しているようには決して書かれないからだ。私は普段から文章を書いたり口頭で何かを伝えたりする際には出来るだけ分かりやすくなるように心がけているけどこの文章はそういう風にされるものでは決して無い。思いついたことをただつらつらと書いていくだけだ。どうしてそういうことをしようと思ったのか書こうと思う。私には悪い癖がある。異常なまでの完璧主義だ。神経症のレベルではないから異常ではないかもしれない。でも自分が少しでも疲れていると何かをするのに耐えられないのだ。私は元気な時には物凄い効率で物事を行うことが出来て実際に評価してもらえる。その効率があまりにも良すぎるので、そして楽しすぎるので、少しでも肉体的な苦痛があると何かをするのに耐えられないのだ。でも完全に体調が良い状態の日なんて私には殆ど無い。具体的にいえばこの半年は本を数十ページくらいしか読めなかった。多分勉強も殆どしてない。勉強くらいしか取り柄がないのに。そういうわけで、私にはどうしても体調が良い悪いに関わらずある程度何かを出来るように性格を矯正する必要がある。実際、体調がどうしようもなく悪い時でもそれなりに動けることは分かっている。問題は体調が悪いと本当に死にたくなって何も出来なくなるということ。本当に何も出来ない。死にたい。もう帰りたい。家に帰らせてくれ。それしか考えられなくなる。それでどうして久々にこんな事をし始めたかというと今日は体調が悪いから。体調が悪い時に何かをする必要があるから。何でもいいからとりあえずしなければならないから。目の前にモニターをキーボードがあるから。それ以上の理由はなかった。
改行なんてしてしまった。私にしては珍しく。まあそれでも良いと思う。ところで私は深夜にキーボードを叩いたりする。パソコンの電源はついていないのに。何を打っても記録も入力もされないのに。私は自分を慰めるためにキーボードを叩いたりする。この叩くっていうのはタイピングするっていう意味でガチャガチャとぶっ叩くっていう意味じゃない。私は私のタイピングする音が大好きで、聞いていると癒される。それに、真っ暗な中、何も見えないのに、キーボードを叩き続けている様は、とても病的で、自分を想像するだけで素敵な気分になれて、しかも暗闇だから自分の醜い姿は決して見えたりはしないから。
次は何を書こうか。何を吐き出すべきだろうか。私はものが嫌いだ。物を片付けるのが大嫌いだ。何でだろう。これは本当に原因がわからない。片付けられない女達とか昔見てたことがあるけど、あれほどじゃないけど、私は片付けるのが嫌いだし、ああいうテレビに出て蔑まれていた人たちの気持ちが非常によく分かる。もう嫌になるのだ。部屋を見ているだけで自分を全否定された気分になる。私の部屋はとても綺麗だし、母にもそう言われる。片付いていて機能的だって言われる。だけど私の部屋はとても汚いような気がして仕方ない。確かにものは散らかってないし整理整頓されてるし何が何処にあるのか何だって一目で分かる。でもあれは汚いんだ。数カ所だけが。私には「どうやって分類したらいいのか分からないしかといって捨てても困るもの」が何個かある。それは例えば半年に一回くらいしか起動しないバックアップ用の外付けHDDであったり、あるいはIPodとパソコンの接続コネクタであったり、あるいは本を立てる奴(名前忘れた)であったり。「本を立てる奴 垂直」で検索する私かわいすぎワロタとかはやらない。ああいうものを見ていると本当に生きているのが嫌になる。今まで生きていたのが全部否定されるような気がする。もう考えるのも嫌だ。ちょっと考えただけで反射的に頭を抱え込みそうになる。あの「ウッ」って来るような感覚はどうやって伝えたらいいものか途方に暮れている。
私はもう嫌だ。考えるのが嫌だ。頭の中に嫌なことがいっぱいある。そういうのに触れないように生きて行かないといけない。もう私は諦めた。正常であることを諦めた。社会的に正常であることをこの一年で完全に諦めた。私は普通の人間ではなかったしそういうフリをすることすら不可能だった。私には彼らの方が全く異常であるようにしか見えないのだが正常とか異常とかは社会的には数で決まるので私の方が異常であるのは疑う余地もなかった。どうしてこんなに人が嫌いなんだろう。人とお喋りしたって全然楽しくないよ。いや一対一は凄い楽しいんだけどさ、本当に脳味噌が吹っ飛びそうになるくらい私は喋るの好きだよ。喋るのが好きだから今もこうやって嘆いているのだけれど。例えば先生に褒めてもらえた時なんてそれだけで幸せで死にそうになるよ。実際に5限と6限の間、もうなんだったのか忘れたけど、先生に言ってもらえたたった一言をずーーーーーっと繰り返して気づいたら3時間過ぎてたこともある。私は本当に人から何か言ってもらうのが好きだし人に何かを言うのが好きだ。でも何だかこの「好き」っていうのは普通の人の持っている「好き」と違うらしい。私は人と話すのは好きだけど休日に一緒にどこかに出かけたいと思う知り合いは居ない(現実にはね)。それに普通の人が休みの日に何をやっているのか分からない。全く思い当たらない。みんな何やってるんだろう……。
あんなにも体調が悪くって、多分日記なんて書いたって5行くらいでギブアップだろうと思って始めたらこんなにも長く続いてしまった。やっぱり私は体調が良い時なんか狙わないで普通に手を動かした方がいい。お前にはそれが出来るのだから。人間にはそれが出来るのだから。「おっ、今回は調子がいいぞ」とか「今回は駄目だなあ」とか、そういう自分の実感がどれほどアテに出来ないものか、私はタイピングを通してよく知っている。確かに「うおおおお!!これは絶対10位以内!!」とか思っても下手すると圏外だったりするし「うわーなんか今回全然駄目だなあ」とか思ったらあっさり30位くらいに残ったりする。タイプウェル常用語Rの話。もう最近全然やってないけど。
タイピングの話で思い出した。最近どうやって生きていけばいいんだろうと途方に暮れている。Diablo3もやらなくなってしまった。LoLももうだめだ。スカイプをやりながらするのは好きだけど一人でやる気はもうあまり起きない。Starcraft2は……いつか再会するかもしれない。その時はまたきっと生きている充実感を味わえるだろう。私はもう全部飽きてしまった……。これからどうやって生きればいい?Blzzard社は多分世界で一番優秀なゲームメーカーだ。Diablo3はDiablo2に比べるとあまり良くないらしいが私は2をプレイした事がないから分からないし3だけでもDiabloは最高だ。Starcraft2なんか本当に垂涎のゲームだ。それでも私はもう疲れてしまった。何もやる気が起きないのだ……。
本でも読んでみようか?多分、多分それが良い。それが一番いいだろう。そうなったらまたブログを作るだろうか。私が人を救い、私が救われるためだけのブログを。
選民思想を、私を支えている唯一の誇大妄想を。私は信じているのだ、貴方の話を聞くことが出来るのは教室に私しか居ないのだと。私は信じているのだ、貴方の書いた文章を視る事が出来るのは読者に私しか居ないのだと。本というのは相手が莫大過ぎるのだ。読者の数は本が売れた数だけいるし、古本屋の事を考えたら相手は何十万の単位だ。それに対して、教室には敵が最大数百人しかいない。百人に満たないこともある。私だけが、先生、貴方の話をきちんと聞いているんです。真面目なのと話を聞けるのは違います。みんな人の話を聞いているようで全く聴いていません。私の隣の席に座っている彼は、優秀かどうか分かりませんが、多分相当に真面目です、うちの学部の中ではずば抜けて。それでも彼は、やはり人の話を聞く術を知りません。それは私の前の席に座っている、私の人生の中で恐らく唯一私に話しかけてくれたあの人も同じ事でした。私には私にしか出来ない事があるのです。これは完全な妄想です。私が本当に先生の話を理解できているのかどうかなんて先生に聞いてみないと分からないことです。でも私はそれをしないのです。だって怖いから。私は先生に間違えを指摘されただけで本当に全身が震え上がるような思いになってそれから一週間の間はその事しか考えられなくなって何もかも手につかなくなって歩きながら突然叫びだしたりしてしまうから。私は完全な不審者なのです、本当に叫んだことはないけれど。人前で変な声が出てしまうのにはもう慣れました。もう生きるのが嫌です。
スクロールバーを回したら物凄い長さになっていたのでちょっとぎょっとしました。やはりこの文章は読まれる必要なんて無いのです。読まれるために書いていないのですから。過去にしていた事とは違って、全ての文章がきちんと意味を含んでいるにしても、あまりにも量が膨大すぎるし、それを把握しやすいように全体を整理しては居ないのですから。
たまに思うことがあります。私の考えていることはなんなのだろうって。私はもう改行しないでは生きていけない体になってしまいました。比喩ではなく本当の意味でです。「自分の突き破った硝子板を振り返ってみる事で、透明人間が自分の輪郭を確認する」ように、この文章が私の生全体を司っているのですから。文章が改行されているということは、私の思考そのものが改行されていることに外ならないのです……。私の昔の記事は、そんな風にはなっていませんでした。
スカイプが始まったので今日はここでやめます。
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