極点に辿り着いた私の世界

もう自分の体に輪郭が存在することに耐えられない

禁じられた代償行為

終わった。何もかも終わった。後はレポートを2本提出するだけ。
疲れた。
試験、1個だけ怪しいのがあるが、まあ、ほぼ全部恙無く終わった。

大学受験が終わってから1年半が経った。
悲しいことに、私はまだ受験勉強をしている。

大学に入って一回目、前期のテスト。受験勉強そっくりだった。
大学に入って二回目、後期のテスト。受験勉強そっくりだった。
量なんて問題じゃなかった。難しさなんて問題じゃなかった。
たった一回でもしくじると、一年が丸ごと無駄になる……。この恐ろしさに、私はもう耐えられない。どうにかしてこの苦しみから逃れたい……。

まともに通っていたら、大学なんてうつ病になるしか無いようなところだと思う。私はうつ病じゃないが、体調は日増しに悪化している。
周りの奴らは何単位落としたとか、○○は再履修確定だとか、そんな話を自慢気にやってる。正直いって、羨ましい。
私は、そういうの、できない。

なんでこんなに真面目でクズなんだろう。辛くて生きているのが嫌になる。どうしてもう少しだけ気楽に生きられないのだろう。
見えない、見えないんだ、人生が、見えないんだ。多分、みんな、大学のこの半年か一年なんてのは、長い長い人生のほんの一部分にすぎないもので、再履修になったって来年受ければいい、留年したってどうにか就職さえすれば関係ない、そういう感じなんだろう。
私には、そういうの出来ないんだ……。
いっつも目の前にあることだけが人生の全てで、それが成功するか失敗するか、たったそれだけの事に命を懸けてしまい、身も心もボロボロになって……。人生が見えないから、目の前しか見えないから、いつだって全力で、ひたすら命を消耗していく。長い目で物事が、見れない。
生きていて、辛い。

この夏休み、いっぱい気の触れたことをするんだ。睡眠薬をいっぱい飲んだり、飲まなかったりして、何度も何度もふらふらになるんだ……。自分が自分じゃなくなる瞬間を、布団の中で延々こもりながら昼も夜もわからなくなって、生きているのか死んでいるのか、分からなくなって、擬似的な自殺をたくさん繰り返して……。

私は、死にたいんだ。もうこんな人生、嫌なんだ……。
でも、自殺する勇気も無いし、休学する勇気も無いし、それどころか私にはたかだか1単位を落とす勇気さえ無い。だから、ずっと我慢してたんだ、夏が来るまで、好き放題自殺ができるまで。

人間ってのは本当に不思議な生き物で、何かをたまらなくしたい時に、その「何か」をするのでなく、「何か」に似たような行為を以て満足に代える事が出来るんだ。だから、私は、人間は、好きなだけ自殺が出来る。
1日に16時間を越えて寝ること、精神安定剤を意図的に飲まないで全身に力が入らなくなるように自分を仕向けること、睡眠薬を普段の倍以上飲んで最悪の気分で目覚めること、自殺には色んな方法があって、どれもたまらなく素晴らしい。

でも私には手首を切る勇気さえ無いんだよ。物凄く手前の所で理性が働いて私が生きるためにしなきゃならない行為を悉く止めに入るんだ。土曜日の夜にストレスを発散するために睡眠薬を何錠も飲もうとしても、「こういう形の服用を行ったことは過去に無いから1日で復帰出来れば良いが睡眠周期が崩壊して月曜日以降の学業に差し支える可能性があるからやはり夏季休業期間までそういう事をするのはよせ」って私が薬を飲むのを許してくれないんだ。私はチャチなODすら出来ないんだ。それで夏になって好き放題出来ると思ったら今度は「まだ8/5までにレポートを2本も提出しなきゃいけないのにここで数日以上何もできなくなるのは期限を考えると非常によろしくないから8/5か最低限レポートを提出するまで薬を飲むのは禁止」とか言って私のことを止めやがるんだ。それで8/5がようやく過ぎたと思ったら、きっと、「人生に差支えがあるといけないから、薬をのむのは禁止」って言って、ねえ、もう、許してよ……。もう、いい加減、死んだって、良いでしょう……。お願いだから、死なせてよ……。

自殺の、代償行為すら許されないから、私は、生きることが、出来ないんです。
手首を切ったことはないし、ODをやったことはないし、お酒を飲んだこともないけど(これは本当だ)、ああいう行為は、全部自殺の代償行為で、それでいて「生きるため」にやるんです。私たちは生きるために死ぬんです。生きるために、自分を喪失するんです。理性にガチガチに縛られた世界が辛いから、意識を保っていなければならないという現実があまりにも苦痛だから……このままだと、いつか、本当の意味で死んでしまうから。生きるために死ぬんです、より長く生き延びるために、一時的に自分が生きていることを忘れ去るんです……それが私達がやっている事の全てなんです。
そして私にはそれが出来ない。

死ぬから生きることが出来るし、死ねないのなら生きられない。死ぬことが許されなかった私は、この夏の間、自我を完全に失おうとしていて……去年も、たしか、そうだったんだ……去年も夏休みと冬休み、何もしてなかった、「自分が自分であることを忘れる」為の行為以外、何も出来なかったんだ……。
普段、死ねないから、休みの間に死ぬしか無いじゃないですか、だから私は夏と冬には生きては居ないんです、ずっと死んでるんですから。みんなが勉強したり遊んだりしてる間、私はずっと死んでるんです。自殺の代償行為に明け暮れているんです……。

もう、嫌だ、生きているのが嫌です、早く、早く、どうか私を死なせてください……。

人間性を回復する旅路

このまま普通になっていったら、自分でも気に入ってる逆説とか、ああいうのがもう思い浮かばなくなるのかなあ、って思う。寂しい。
私が何かを考えて物凄いアイデアが閃くとき、その思考の原動力はいつだってやり場のない怒りだったんだ。

誰だか分からないサブアカの中の人が無条件に魅力的に見える現象について

タイトルで出オチ。
こんな事がもう何回あっただろう。だ、だ、誰だ君は。よく分からないけど素敵だけど誰なんだ君は。
サブアカでフォローしてくれたという事実だけでツイートの内容を見る前からその人を好きになる。卑怯かな、って思う。
でも、普通かもしれない、とも思う。自分に何かしてくれた相手を好きになることがそんなに変なことだろうか。
私みたいな奴をサブアカでフォローするような人は大抵ツイートの中身だって好きだし、その人を好きになるのにはそう時間もかからないし、問題無い、よ、ね。

嘘に塗れた子供の世界

授業でEQについてのビデオを見せられた。
EQっていうのは、「心の知能指数」「感情をコントロールする能力」のことだそうだ。(私の見たビデオでの定義はそうだ。)

ビデオを見終わって、こいつらみんな頭がどうかしてるんじゃないかと思った。

所はアメリカ。画面に映し出されたのは小学1年生の男の子。恐ろしくハキハキとした喋り方でインタビューに応じた。
「学校はとてもつまらないところです。どんな問題も簡単ですぐに解けてしまうからです。問題を解いてしまったらやることがなくて退屈です。僕はもっと良い学校に行って、自分はもっと難しい問題が解けるんだってことを証明したいです
年の割に物凄い子供だなぁ、と思った。口調が大人っぽいのは日本語に翻訳して吹き替えた影響もあるだろうけど、それにしたって。

その男の子が知能検査(IQの方)を受けさせられることになった。
髪と髭に灰色がかかった年配の心理学者がその男の子の担当をした。

「アブセンスって書けるかい?」
"absence"
「素晴らしい。じゃあビギニングは書ける?」
"beginning"
「君は凄いね」

英語圏だと綴りを書けるかどうかが知能検査の一部になるのか、とちょっと新鮮に感じつつ、男の子が字を書いたりパズルを解いたりするのを私は眺めていた。
検査の結果が出た。母親が部屋に入ってきて、心理学者は親子に検査の結果について聞かせた。

心理学者は何故か良い気分では無さそうだった。その顔はまるで、患者にガンだと宣告しなければならない医者のようだった。

「お子さんは大変優秀です。一般的に天才と呼ばれる範囲でしょう」
「息子には特別な教育を受けさせた方がいいでしょうか」
「その必要があります」
「奨学金は出るでしょうか」
「間違いなく出ます」

交わされている内容の割には心理学者も母親も表情が全く明るくなかった。男の子だけが呑気に嬉しそうな表情をしていた。
心理学者は、君がどう思おうと勝手だが知能指数が高いのは決して良いことではないんだよと言わんばかりにこう告げた。

「しかしね、我々心理学者にとって重要なのは、知能が高いかどうかではないのです。大事なのは、他の能力とバランスが取れているかどうかということなのです。お子さんは大変優秀ですが、周りの人間と上手く付き合うことを覚えなければなりません……EQに属する能力を苦労して身につけなければならないのです」

男の子の表情も暗くなった。
"知的優秀児"の検査表を前に、部屋には沈痛な雰囲気が漂っていた。

母親は知能検査の前のインタビューでこんな風に話していた。

「私はとても心配なんです。あの子が勉強ばかりを大事だと思うようになって、人付き合いや人間として大切なことを学ばないのではないかと……」

こいつらはみんな頭がどうかしてるんじゃないかと思った。

お前らの言うことは正しいかもしれない。この子は間違いなく頭が良いが、頭が良いだけじゃ生きていけない。だから人付き合いとか、そういう事を勉強する必要がある。
でも、でも、それって小学1年生に言うことか?「自分はもっと難しい問題が解けるんだってことを証明したいです」なんてインタビュアーの前で笑顔で答えるような子供に向かって言うような事か?
この子が自分の頭の良さを誇りに思ってることは明らかだ。頭の良さをアイデンティティに据えてるって言ったっていい。そんな子供に向かって「頭なんか良くったってそれだけじゃダメなんだよ」なんて言うのが、気の狂った行為じゃなくって一体何なんだ?
もしそんな事を言いたいのなら、この子がもう少し大きくなって、実際に人間関係に支障が出てから言ってやるべきだ。今、たった今、「頭が良いだけじゃ何の意味もない」なんて言うことに一体何の価値がある?この子のプライドを傷つけて学習する意欲を削ぐことに一体何の価値がある?
こんな子供が勉強に失敗したらそれはもう悲惨な人生になるだろうよ。小学1年生の時のIQテストの結果を後生大事に抱え、それでいて成績が良いわけでもない、プライドが高くて人間付き合いも下手で他人を見下す癖のある本当の人間のクズになる。
小学1年生でここまで自意識こじらせてる子供に必要なものってなんだ?その才能に見合っただけの実力がつくように適切な学習プログラムを組んでやるか、きちんとした学校に入れてやることだろう?
私が心理学者だったらこの子供にはこう言っただろう──「君はとても頭の良い子供なので周りの目線なんて気にしないで勉強してさっさと良い大学に入りなさい。こいつはくだらない人間だと思ったらすぐに縁を切りなさい。他の大人達が何と言おうと頭の悪い奴らとなんて付き合わなくて結構です。友人なんて片手の指で数えられるくらいいれば人生には十分です。それに今はインターネットがあって知り合いなんて簡単に見つかりますから」

そう言えば、少なくとも私のようにはならなくて済むだろうから。



場面は変わる。
EQ(感情をコントロールする能力)を教育の場で実践した例として、とある小学校が映し出された。
画面に映った体の大きい女の子。彼女の名前はクリスティーナ。

「ジェーンに悪口を言われると私はすぐかんしゃくを起こしてしまうんです。でも、最近学校のおかげで少し抑えられるようになりました」

クリスティーナとジェーンが口喧嘩をしている場面が映し出された。ジェーンがクリスティーナに近付いて、こう始めた。

「クリスティーナ、あなた最近マックスと仲良くしてるんだって?」
「してるけど、それがどうしたの?」

「最悪。あなただけはそんな人じゃないと思ってたのに」
「あなたはマックスを嫌いってこと?」

「ええ、そうよ、あんな最低な奴」
「私はそうは思わないけど」

「あなたこれでもまだマックスなんかと付き合うつもり?」
「それどういうこと?」

「私とは付き合わなくていいってことね?」
「それって、マックスと友達でいたら絶交するってこと?」

「そんな事言ってないわよ!」
「あなたが言ってるのってそういう事でしょ!」

ここで先生が止めに入った。
私にはどうしてもクリスティーナに一片の非すらあるようには思われなかったのだが、クリスティーナは(ジェーンやその他のクラスメートと一緒に)「感情のコントロールする能力が未熟で、訓練の必要な子供」として扱われていた。
どうもこのビデオは、ジェーンのような頭のおかしい奴と何の益もなく友達であり続ける事が出来る子供を「感情をコントロールする能力が高い」と評価するようだった。
「自分に非が無い時は譲歩しない」「意見の合わない奴とは縁を切る」という十分理性的な選択肢はそこには最初から無いようだった。

こいつらみんなばっかじゃねーの、と思いながら出席カードに名前を書いて部屋を出た。
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Author:ルーミア厨
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