やっぱり最後は「人」でした!

私の一生を貫いてきた思想の中で、一つ考え直したものがあるんです。
私はずっと、異常な性的嗜好というのは、全く出処の分からない相互に理解不能な文化的な所産だと思っていました。あるいは仮に先天的な面が大きいしても、生殖上何の役割も果たせないのだから、これは明らかに生物学的な欠陥だと、そう思っていました。
しかし最近、人間の持つ能力の様々な普遍性についての本を読みました。性については性がタブー視される理由を進化論的に説明する程度で、私の疑問を解決してくれるわけでは全くありませんが、それでも二つ、十分なヒントをくれました。何事にも必ず理由があり、人間の持つ特性には共通の枠組みがあるはずだという前提から改めて自分の考えを見つめ直すことで、少しだけ扉が開いたのです。
一つ、異常性癖というのは、恐らく生物学的な欠陥ではなく、優れた能力なのだということ。これは進化論的に正しく発達してきた能力なのだろうということ。
これは私の口癖です。「自分が頭のおかしい性的嗜好の持ち主で良かった。もしこれで普通の人間に興奮していたら一体どんな犯罪を犯していたか知れたもんじゃない」と。社会的な集団行動を営む人間にとって、同じ種族である人間の異性に「正常に」興奮してしまうということは、最終的に周囲から処罰される危険性を孕みます。だから、生殖機能自体は保ちながらも人間には興奮しないように出来ている方が生存率が高いのです。異常性癖の持ち主であることは、生涯に渡って安全が確保されている事を意味します。(自己催眠のかけ過ぎで体を壊さなければですが……。)
もう一つ。これは完全に私の憶測です。世界中には様々な異常性癖があって、それぞれ一見違って見えるけど、恐らくその根っこには、「どう遠回りしても最終的には人間に興奮するようになっている」という共通の仕組みがあるのではないかということ。
「男性が女性に変えられる」とか「女性が男性に変えられる」とか「女性の胸が膨らむ」とか「人間が動物に変えられる」とか、私は色々こじらせた物を抱えているけど、私のどの嗜好からも「人間」という要素は排除することが出来ないのです。
pixivに行くと頭のおかしい絵がいっぱい見れます。女の子を正方形に固めたり、家具に変身させたり、石化させたり、ドロドロに溶かしたり、色々。でも不思議な事に、正方形自体に興奮したり、家具自体に興奮したり、石自体に興奮したり、液体自体に興奮したりする人は居ません。およそ異常性癖というものについて、「何らかの形で人間が関わっている」という要素を排除することが出来ないように思います。
世の中にはケモナーと呼ばれている人達がいますが、あの人達が興奮している対象も大体獣人です。動物そのものに近いと思われる絵でも人間らしさを随所に残しています。
異常性癖は一見すると全く理解不能でそれぞれが異世界の産物か何かに見えるのですが、それはあくまで表面的な部分の話であって、実は根本的には一つのところから生まれているのかもしれない。多様性を何らかの形で一元化出来るかもしれない。
しかし、恐らく、ここから先に進むことはどうも出来ないように私には思われるのです。というのも、ほとんどの研究機関で性に関する研究はほぼタブーになっているからです(それがどんなに科学的、あるいは人道的なものであれ)。性に関する研究をまともにしようとすると必ずと言っていいほど研究目的及び結果の意味を理解出来ないフェミニズム原理主義者や愚かな学生達の抗議活動に人生を追われる羽目になるのだと、これは私が同じ本から知ったことです。異常性癖をまともに研究しようと思う学者は多分世界にほとんどいないでしょう。更に社会的な圧力に加えて、こういう性癖が誰の目にも触れるようになったのがつい最近のことでしょうから、本格的な研究を行おうと少しでも思った人自体まだ存在していないかもしれません。従って、恐らく私に可能なのはせいぜい間接的に関わる分野を読み漁って孫引きのパッチワークで自分を慰める程度のところまででしょう。実験の結果どころか仮説すら知ることが出来ないのです。
それでも、少しでも考えが変わっただけ、安心が得られただけ、よかったのかもしれません。まったくわけもわからず生きているよりはずっとマシというものです。この本を読もうと思った動機はこんな説明を作ることでは無かったのですが、本当に全く意外な方面で大きな収穫がありました。その本が何の役に立つのかは読み終わってみるまで分からない。いつだってなんだってそうだったのかもしれません。

音ゲーの初心者スレの住民と浪人生の言葉遣いについて。

私はこの二つに見られる共通の気持ち悪さが、やはり共通の根っこから来ているものだと確信している。

結構前から見ていたiidxの初段~五段スレを見ていてうっすら思っていたし、最近立った七級~初段スレを見てほぼ確信した。
六段になったしもう書いてもいいことだと思う。
初心者スレの住民は専門用語を無闇に使いたがる。「☆7をイージーゲージでクリア」を「☆7に易がついた」と呼ぶ(☆7なのに……)。「quasar(H)」と書けばいいのに「クエ灰」と書く(半分自戒)。
「NEW GENERATION」を「ニュージェネ」と呼んだり、「Be quiet」を「ビクワ」と呼んだり、「黒髪乱れし修羅となりて」を「黒髪」と呼んだり、「bloomin' feeling」を「ブルーミン」と呼んだり、あと「Bloody tears」を「血涙」とか呼んだりする。
そこまでしてわざわざ略称を使いたがる理由が私にはよくわからない。略す必要性がまるで感じられない。
気持ち悪い言葉遣いは他にもある。難しくもなんともないR5の序盤をわざわざ「1軸」と呼んだり、ガチャ押しするだけで抜けれる死ぬ要素が無いsnow stormの発狂を「大階段」と呼んだり、be quietの発狂を「同時押しトリル」と呼んだり。
このゴージャスな専門用語の数々には、「時間の節約」以上の意味が込められていると私は考えている。

結論は既に見えたようなものだろうが、全てを語る前に話を一旦予備校に移そう。
私は予備校の浪人生がどういう書き込みをするのか知っている。人生に深刻な影響を及ぼすと考えたので見たのは2回だけだが、彼らの言葉遣いは「大学生にそっくり」だった。
予備校の浪人コースは1日に5コマくらい授業がある(だから高いのである)。そして、その中にはハズレ授業が何個か当然ある。それに出席しなくなった彼らは、その行動をこういう風に言うのである。

「(講義名)、つまんねーから切った」

「出席するのを辞めた」と言わずに「切った」と言うのだ。まるで大学生みたいに。自分は「切る」立場ではないのに。まだ高卒なのに。実際の大学生が合理的に行っているそれと違って、自分がやっているのは単なる怠惰であるのに。

人間は、自分に自信がないと、「できる人」の言葉づかいを真似たがる。そして、真似た瞬間から、じわじわ腐っていく。
「☆12に易がついた」と言うのと「スノストに易がついた」と言うのでは凄さが全く違う。でも、「易がついた」という言葉が、上級者の言葉遣いが、後者の大して凄くもない報告に、乗り移る。「易がついた」と表現するだけで、何か凄いことを成し遂げたような気がしてしまう。
言い換えだけでなく、略称だってそうだ。上級者が「ゴビヨ」とか「レイジのパラリラ地帯」とか言うのにはそれなりの意義がある。彼らは術語を扱うだけの権利と腕前を持っている。ところがどうだ、我々は?Be quietを「ビクワ」なんてそれっぽく書く権利が我々にあるか?五段すら脱出できない我々にそんな書き方をする権利があるか?
私は、本当の本当に必要がある時以外、略称を使わないことにしたい。「易がついた」なんて偉そうなことは言わずに、「イージーゲージでしかクリア出来ません」と冷静に現実を見つめたい。略称が本当に必要な時というのは、「ノーマルゲージでクリア」と書くのが非常にめんどくさいので「ノマゲ」と書く時くらいだ。あと「ランダム」は流石に「乱」で良いと思う。それと、「ハードゲージでクリア」は「難抜け」でいいだろう。これは普通に凄いんだから。進歩なんだから。全然譜面が見えてないのにイージーゲージを悪用して適当に抜けちゃうのを「易がついた」なんてそれっぽく表現するのとはわけが違う。

話がぶれぶれだけど、要するに、「自分のなりたい人」の言葉遣いを真似てしまうと、満足をしてしまう。満足をして、腐ってしまう。上級者と同じような言葉遣いをしていいのは、本当に自分が少し前進できた時、つまりノマゲ出来たり、難抜け出来たり、そういう時だけだと思う。私はクエ穴がクリア出来るわけじゃないからquasar(H)はきちんとquasar(H)と綴る。何百回クリア出来ても、それは大したことじゃないから、永遠にquasar(H)。
初段も抜けられないのに「I was the one」を「ワーン」とか上級者みたいに書いたりするの、やっぱり私はおかしいと思う。それは抜けてから使っていい言葉だと思う。
私は、自分が本当に前進出来た時以外は専門用語めいた表記を使わない。他人に胸を張れる時しか使わない。予備校関係無くなっちゃったけど、概ねそのように誓った。
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