罪は死を以て償え。

幸か不幸か私は精神病ではない。精神科に通ってはいるし、一日でも薬を飲まないとまともな社会生活が送れなくなる程度には頭を病んでしまったけど、決して病気ではない。
でも辛いのは事実で、しかし病気ではないから、私が休むと甘えだと言われる。というか、私の中の私が甘えだと言って自分を責める。病気じゃないとはいえ普通の人間が耐えられる範囲を超えて苦しんでいるのだから、それで休んだりしても悪いことでは無いはずなのに。
もう少し楽に生きたかった。
もし何らかの内蔵疾患が原因で大学に通えない日がある人が居たとしたら、本来大学にいるはずの時間にベッドで横になりながら、悔しいとか残念だとか、そういう事は思うのかもしれないが、大学に行くことの出来ない自分を責め続けて精神科の世話になる事は無いだろう。
でもこれが400年とか1000年とか前だったらどうか。「胃」とか「肝臓」等の概念の無い時代に、先天的な疾患により動く事が出来ない人がいたとしたら、多分その人は軟弱者だとか甘えだとかいう扱いを受けるんじゃないだろうか。しかしそういう時代でも、手足の無い人が働けないことを甘えだと思う人は誰も居なかっただろう。
私達の頭の中には、「甘え」「甘えじゃない」を区別してしまうようなシステムが恐らく潜在的に備わっていて、その区分は常識を変えることによってかなりの程度操作することが出来る。従って、「病気」の範囲を可能な限り最大まで拡大すれば、常人の限界を超えて苦しんでいる人が甘えだと罵られることは無くなる。
しかし残念なことに、ちょっとした辛さを抱える程度の私のような人間どころか、本物のうつ病の人達ですら「病人」として扱われることは非常に少ない。業界の人間はそれなりに努力しているのだろうが、それでもまだうつ病を「本人にはどうしようもない病気」として周知徹底させるには至っていない。
それでは「病気(甘えじゃない)」の範囲をとりあえずうつ病まで拡大するにはどうすればいいか、というと、多分、全国のうつ病患者が一斉に自殺するくらいしか無いんじゃないかと思う。この病気は最悪死に至るものだという事を身を以て伝えるしか無いんだと思う。
もし新聞の一面に「うつ病患者 ◯◯人自殺」のような記事がデカデカと乗れば、この病気を舐める人も流石に減るだろう。心臓や肝臓が悪いのと同じくらいヤバい病気なのだといい加減世間も察するだろう。
そして「うつ病」が病気として正しく見なされるようになったら、次は私達が自殺する番なんだ。

眠れない夜はブログを書け。

まずい。つらい。入学した時と同じような感じだ。意識が現実に引き戻される。私の心がインターネットの世界から引き剥がされる。なにか自己同一性のようなものが崩壊するのを感じる。
もういやだ。ここから離れたくない。一生このまま生きていたい。現実になんて行きたくない。お願いだ。
人と話していると自分が人間になるのを感じる。これが本当に辛い。辛い。こんなのは人生じゃない。インターネットに自分が居ない世界なんて自分の人生じゃない。ここだけが私の世界だ。つらすぎる。
私が死ぬまでインターネットってあるんだろうか。例えばこの数十年で近所づきあいのような共同体の在り方が完全に崩壊してしまったように、私が老いるまでにまた何か新しい共同体の在り方が開発されて、手書きのほうが人間のあたたかみを感じるとか意味不明なことを宣う老人たちと同じような境遇に追い込まれるのだろうか。新しい何かが世界中を席巻しながら未だにインターネット等という古臭くて不便なシステムにしがみついている哀れな老いぼれになるのだろうか。しかも救えないようなうわ言をうなされながら垂れ流している。救えない。
人類が進歩し始めてから、つまり生物学的な進化でなくテクノロジーの進化によって種の強さを青天井で上げ始めてからどのくらい経つんだろう。世界史まともに勉強したことがないから分からないけど。その速度は加速度的に速くなっているから。多分私が80才になるまでにインターネットはこの世からなくなる。
どうやって生きていけばいいんだ、どうやって生きていけばいいんだ。いやそれでも私のようなものは存在し続けられるのかもしれない、例えインターネットが無くなっても、パソコンとキーボードだけあれば、こうやってかろうじて命を繋げるのかもしれない。他に誰も見ていないにしても、私だけは私のことを見守っていてやれるのだから。
それに……私達はいつだってこうやって、日記を書いたりして、うじうじしながらなんだかんだで救われてきたんだ。それが石版だったり、パピルスだったり、紙だったり、タイプライターだったり、違いはあるけれど。だからきっと……インターネットが無くなっても……私はどうにかして生きていけるのではないかと思う。

でもうじうじしてないと生きていけないから、普通の人間みたいに暮らすの、凄く辛いんだよ……。

過猶不及

某先生、研究者として、教育者として、一人の人間として、私がこの世で最も尊敬する某先生。お元気ですか。久々のそちらの暮らしはどうですか。私はというと、大変複雑な状況に置かれています。

先生は4月の授業で半ば脅すように仰りました。XX科の学生は二重の苦しみに置かれているのだと。
XX科の学生は何よりもまずX語を身につけなければなりません。ところが残念なことに殆どの学生はこれが上手く行かないのです。これはXX科の学生が怠惰であるとか頭が悪いとか言うのではなく、このご時世にX語を勉強しない学生など一人も存在しない状況が悪いのです。法学部にも、政治経済学部にも、社会科学部にも、あるいは理工学部にだってX語を必死に勉強している人がたくさん居るのです。それも、俺こそが将来この社会を変えてやるのだという熱い意思をもって。私達がちょっと努力した程度では彼らのX語力には到底追いつけないのです。
さて、それでは必死に勉強してX語を自由自在に操れたようになったから良いかと言えば、そんな事は全くありません。中国のような国を見てご覧なさい。母語に加えて英語なんて出来て当たり前、日本語まで使える人も珍しくありませんし、3~4ヶ国語を扱えてようやく一人前の世界です。
そういう人達が、今、世界中にいるのです。
もし外国人が日本語を流暢に話せれば、「日本語がお上手ですね」と大層褒められることでしょう。しかし英語ではそんなことはありません。英語はどんなに苦労して身につけてもせいぜい「あ、話せるんだ?ふーん」程度の評価しか他人はしてくれないのです。
XX科の学生だからといって、他の学部の学生と比べてX語が特別得意というわけではない。仮に努力してX語を自在に操れるようになっても全く褒めてもらえない。だからXX科の学生は、X語の純粋な語学力に加えて何か他の専門分野(文学なり言語学なり)を修めなければならない。この二重の負担を先生は「二重の苦しみ」と呼びました。まあ、他の学部の人達を見てれば正直そんなの当たり前という感じはしないでもないですけどね。そもそも彼らはTOEICで900点以上を取れるX語力+学部で得る知識、というのが標準装備なわけですし。
そして先生は仰いました、僕の授業では課題を結構出すし、毎週テストをやるし、授業の内容自体も相当厳しい、学生の半分は半年もしないで消える、でもこれは君達を虐めたくてやってるんじゃないんだと。君達の事を思ってやっているんだと。そして実際、そういう試練を経た学生からは、教員採用試験の集団面接で「あっ、自分の方が普通の人よりX語教育についてきちんとした意見を持っている」と感じた報告が毎年多数寄せられ、先生自身の眼から学生を見ていても明らかに「モノになっている」のだと。
私は先生の発言に大変感銘を受け、半年の間必死に勉強しました。時は大学二年生、普通の学生であれば週休3日で余裕をもってバイトやサークルに明け暮れられるであろうという時期に、私は去年と同じように1年に50単位(非参入含む)のペースで勉強をし続けてきたのです。

その結果何が起こったか。

端的に言います。老けました。

先生が「モノになってる」と表現したことの意味が分かりました。「普通の人よりX語教育についてきちんとした意見を持っている」ようにもなりました。多分今の私はそうだと思います。でも先生、私は明らかにそのせいで老けました。本当に悲しいです。
私に何か喋らせると周りの人間は黙り込みます。舌の回る速度と知識量にドン引きしているのか、純粋に話を聞いているのか、正直表情からは判断しかねるのですが、まあそれくらいにはなりました。先輩達からベタのベタのベッタベタに褒めてもらえるようにもなりました。でもそれと引き換えに私は確実に老けてるんです。
5年くらいしか移動出来ないようなしょぼいタイムトラベラーが居たら多分こんな気分なんだろうと思います。同級生との関係が、なんだか、その、1年半前と比べても明らかに、「空気の合わなさ」が拡大してる……。自分で自分自身を見ていても感じるし、家族同級生先輩の反応を見ても明らかに何かが妙なことになっている……。勉強が出来る出来ない以前の問題として、もっと根本的なパーソナリティの部分の何か……何か、何か……、雰囲気……?よく分からない、でも何かが……5年くらい失われてる。
多分今の私は、別にX語について語らせなくたって1X歳には絶対に見えないでしょう。絶対そういう風には見えない。よく分からない。何がそうさせているのかは知らない。でも確実に何かが私をそうさせている……。
勉強というものは何をもたらすのか本当によく分からない。今、精神科に通っていて幸せだから、これくらい別に良いんですけどね。

私達の目と頭はありもしないものを見てしまう

「二度と元に戻れないようにされたい」という感情の根を突き詰めていくと、最終的に「殺されたい」に行き当たるんだろうと思った。両方とも私のパーソナリティを根本的なところで規定しているものだ。
でもこれ、どっちが先なんだろう。
二度と元に戻れなくされたいのと殺されたいのは、同じ感情を別のレベルで切り取ったもの、いわば同一のものの二つの側面に過ぎない。問題はどっちの根が深いのか。どっちがどっちを生んでるのか……
それとも本当はどっちも真の根っこではなく私に見えないようなもっと別の何かが原因なのか……
分からないけど……多分……私の実感としては……「殺されたい」のが一番深いところにあるのではないかと……多分そう思う

妄想

私が後期受けてる授業

この先生には何かお礼が言いたい

どういう風に言ったらいいだろうか

そんなことを考えていた

脳内の私はこう始めた

「先生、本当にありがとうございました!先生の授業を受けられたことが本当に幸運だったと思います。この授業で得た技能は一生に渡って私の事を支えてくれると思います。先生のお話を聞いてプログラムを書いたら、動くんです!ちゃんと動くんです!これが本当に楽しくって、もう毎週毎週泣きそうになりました。こんなダメな人間でもやれば出来るんだって。こんなどうしようもない人間でもきちんとやれば動くものが作れるんだって……」

こんなこと聞かされたらいったいどんな気分になるんだろう。予行演習をしておいてよかった。さもなければ私はこれを本当にぶちまけるところだったから。

なんで私はこんなに自己評価が低いんだろう

以下は去年私と1時間程度話した人間に言われたこと

「青木くんは凄く真面目で頭も良いから、だから、その、自分の事を欠陥品だとか、そういう風に思う必要は全くないから、……」

一体どういう風にするとそういう感想が出てくるのか分からないが私の自己評価というのはとてつもなく低いらしい。ちょっと話してるだけでもわかってしまうくらいに。

そして私はもう健常者だから、何も事情を知らない人には、きわめて真面目で勉強もしている私がいったいどうしてこんなに自己評価が低いのか不思議だろうし、ともすれば不気味に見えるんだろう

私だってよくわからない


わからないが私は自己評価が非常に低く、それ故に大学の中に神を見ているので、神への奏上には必ずと言っていいほど「こんなだめな人間でも先生の仰る通りに真面目にがんばったら救われたんです……」式の発言が出てしまう。
で、それを聞かされた当の本人は多分、途方にくれる。困惑する。「どうしてこんな普通に勉強している学生が、『こんなだめな人間でも』なんて言い回しをするんだろう」と理解が出来なくなる。

あああ
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