誰も気づかないイカれた言葉の定義

「ジェンダー」という言葉の意味がよく分からない。
"sex"は生物学的な性の区別で、"gender"は社会学的な性の区別。そんなのは誰だって知ってる。しかしこの「ジェンダー」という言葉を「正しい意味で」使える場面というのがどうも全く思い当たらない。
例えば「お茶組みは社会が女性ジェンダーに押し付けた仕事」という文があるとする。
これは論理的に非常におかしい。
何故ならこのような文脈の「女性ジェンダー」は明らかに「女性の肉体(sex)」という意味であって「女性の精神(gender)」では無いからだ。
上掲の文が意図するのは「肉体が女性だという理由で、性格・知的能力・事務能力等において男性と同等なのに、特定の雑務を押し付けられている」ということだが、どう考えても雑務が押し付けられているのは女性の精神に対してではなく女性の肉体に対してである。
このおかしさは逆を考えてみれば一層明白になる。「肉体は男性だが、性格が女性っぽいので女性の仕事を押し付けられている」なんて状態はまず存在しない。もし存在したとしても、それを「女性ジェンダーに対する押し付け」と呼ぶ人間は絶対に居ない(お茶を汲んでいる人間の肉体は男性だからだ!)。
結局雑務が押し付けられているのはどこまでも女性の肉体に対してであって、精神に対してでも社会性に対してでもない。これをわざわざ「ジェンダー」等と大仰に呼ぶ理由が私には全く思い当たらない。「セックス」と呼べとは流石に言わないが(猥褻だし性交と区別がつかなくなる)、一般に「ジェンダー」と呼ばれているものの意図するところを正しく反映しているのはむしろ「性別」という素朴な概念なのではないか。
もし「ジェンダー」という言葉を「正しく」使える場面があるとするなら、性同一性障害とか、ネカマとか、マジで精神の世界だけに生きてるイカれた人間の行動原理を記述する時くらいだろうが、それは精神医学とか心理学とかの領野であって社会学の関われるところでは無いだろう。

睡眠導入剤は私をどこに導き何に入れるのか?

それは少なくとも睡眠ではない。もう何も考えないで書きます。パッキーン。ガーガーゴゴゴゴゴゴ。
私の文章は読みにくい。それはもう読みにくい。悲しいくらい読みにくい。いや、みなまで言うな。みんながなにを言おうと私が一番よくわかってるんだ。私の文章は読みづらすぎる。
理由はよく分からない。とりあえず分かるのは、無茶苦茶ワン・センテンスが長い。数えたことないけど多分平気で1行200文字とかあったりすると思う。いやそこまで長くないか。ううんついったーが140文字でそれより長いのを平気で書くから多分200くらいならゴロゴロある。本当に良くない。
特別に長い文は除くにしても平均してやはりワン・センテンスが長い。長い上に、なんだ、こう、凄く、アレなんだ、私の文は。
私の文は多分入試問題の英文和訳みたいなつくりになっている。高校生の時にやった訓練の名残をいまだに引きずっている。そうに違いない。受験勉強した時は2行以上の文を繋げて書く必要に迫られなかったので、私が作った答案というのは大体が一文だった。複数の文にまたがるときでも、文と文の繋がりを特に意識したことはなかった。受験では文章の読みやすさなんかより、正確に訳せることのほうが遥かに強力な武器になるからだ。
それを今捨てるべき時が来ている。
よく分からない。こう言って伝わるか分からない。分からないが、ひとつ言えるのは、「情報の流れが真逆になっている」ことだと思う。英語は何から何まで日本語の反対の言語だ。そして私の日本語はそれの訳文を作る訓練が下地になっている。だから私の書く文というのはことごとく情報の流れが逆になる。一文の中でも逆になるし複数の文の間でも更に逆になる。だから私の文章は読みづらい。

少し話がそれるけど、最近とても悲しい思いをしている。私は嘆くことも出来なくなった。昔のように、ただだらだらと思考を垂れ流して満足することが出来なくなった。少しでも言葉を書き出すと、頭が自動的に出発点と着地点を弾き出してしまう。「本当の意味で何の脈絡もない話」というのが書けなくなった。気がついたらいつの間にか文の中に構成や伏線が張り巡らされている。「張り巡らす」なんて程のものじゃないけど、文に「構成」ができてしまう。間違いなく。例えば、記事のタイトルにそれだけではよく分からない意味深な事を書き、それを記事の最後で回収する、みたいなの、癖になってる。素人がやってどれくらい効果があるのかしらないけど。
そういうのよくないと思う。こうやって構成を無駄に考えて先読みして、先に先にと考えて、それが私の文章を硬くしているのだと思う。先が見えているから、それに合わせて文をねじ曲げる。丁寧過ぎる。もうちょっと雑でいい。先に話すことを予期して前に話すことを矯正しても仕方ない。つまりね、矛盾がないようにしたいんだ。後で否定することは前で否定されていなきゃならない。そんな必要はないのにね。「さっきはああいったけど、実は……」で良いのに、「さっき」の時点で譲歩節を取り入れ始める。これがまた文章をややこしく、読みづらくしている。

それを少しでも防げないかと思って睡眠導入剤を飲んでみたんだ。
私の文章って、本当に悲しいくらい読みづらいんだ。でもたまに読み返してみると物凄く読みやすい記事があるんだよ。これ本当に私が書いたのか、ってくらい読みやすい。文章の、思考の流れがスラスラと頭に入ってくる。自分で書いたからっていうのもあるんだろうけど、他の記事と比較して、明らかに読みやすいの。そういう記事にはひとつ共通した特徴があって、つまり、眠剤飲んだけど眠れなくて死にそうになりながら何も考えないでとにかく書いたってこと。
眠剤飲むと頭のどこかがアレな事になって動かなくなるから先読みとかそういう機能があんまり働かなくなるんだと思う。思ったことをそのまま書き続けるし、恥も外聞もなく、読む人間のことなんて考えないし、後先考えないし、それが却って文章を読みやすくしてるんだと思う。
そういうわけで、眠剤飲んでから20分経ってから書き始めるって決めて、今書いてみたんだけど、どうかな、読みやすいのかな、これは。自分で一切読み返さないで書いたからよくわかんないけど。まあ、そんなのは三日後の私がシラフの状態で判断してみることで。

ううん。どうなんだろう。今日はこういう事を一回書いてみようってシラフの状態で随分考え込んでいたし、文章に枠組みができちゃってたのかもしれない。そういう意味で眠剤の効果は薄かったかもしれない。またこんど何も考えないで書いたら読みやすくなるんじゃないかと思う。

しかし睡眠導入剤が無いと日本語も書けないだなんて、ひどく悲惨な人生だ。

氷漬けの活き活きとした、質量を伴った残像

例の自殺したメンヘラの人。別に知り合いではないし悲しいわけじゃないのだが、そのホームを覗いて、神様というのは酷く残酷だと思った。
その人はとっくに死んでるのに。ビルの8階から飛び降りて粉々になったのに。それでもホーム画面には、その人が間違いなく「居る」……。
肉体はもう無いのに、過去に吐き出された言葉だけが、まるで生きているみたいに、私の脳に訴えかけてくる……。

こんな残酷な事が起こるのは人類の歴史で初めての事なのだと思う。人が考えている事をリアルタイムで保存しておける媒体なんて、これまでこの世に無かった。例えばペンを走らせている間に後ろから鈍器で殴られるような事でも無い限り人が死ぬ瞬間の生きた言葉がそのままの形で残ることはない。遺書なんて制度もあるけど、ああいうのは人に見せる事を意識して書くもので、そこに書かれた言葉は死んでいる。
ついったーに書かれた言葉は全部生きている。本当に生きている。3日前のログを遡れば3日前のその人がそこにいる。3ヶ月前のログを遡れば3ヶ月前の人がそこにいる。ついったーはこれまで地球に存在したどんな媒体とも違う。それは私小説どころか日記ですら無い。この世に存在する中で限りなく人間の存在それ自体に近いモノ……。
死ぬ瞬間の人間が生きたまま冷凍保存されている。その人が確かにそこにいる。悪夢だ。

忌まわしき産業革命以来世界がどんどん不幸に塗れていくし一体どう生きていけばいいんだ
私が80になって死ぬまでに世界はどれくらい不幸になるんだ
意味が分からない

いじめが純粋に環境依存の病であること

冷静になればこれを示すのは非常に簡単なことだった。
大学に入った瞬間にいじめは無くなる。これだけを以て足りると思う。
大学の入学式で「皆さんは大学生になったのだからくれぐれもいじめなんてしないように・・・」等と演説する学長はいない(中学・高校ではお決まりになっている一方で)。大学の中ではいじめなんて起こらないから言う必要がない。
非常に奇妙なことだ。人間の心は一日やそこらで大きく変わるものではない。高校3年生の3月31日と大学1年生の4月1日の間に違いなんてあるわけがない。それにも関わらず、日本中のどんな底辺大学でもいじめが起こることは決してない。誰一人として中学高校でやってきたことを大学でやろうとしない。
大学生になったからだろうか?その自負が人間を変えるだろうか?そんなわけがない。もしそうなら中学3年生が高校1年生になった瞬間にも同じことが起こるはずである。しかし実際には起こらないどころかいじめは大概激化する。
皮肉な話、「いじめをするな」と耳にタコが出来るほど言われる中学生や高校生はそれをするのに、誰にもそんなことを言われない大学生は誰もそれをしないのだ。
つまり道徳の面からこの問題に対処しようとするのは全くもって無駄なのであって、制度を変えてしまうだけで特に何を言われずとも子供は自然といじめをしなくなるのだ。
中学や高校が学習塾や大学のようになってしまえばどんなに良いだろうかと心から思う。

全然関係無い話。日本特有の悪しき文化とされている「同調圧力」は国に依存するのでなく教育制度とセットになっているものなんじゃないかとなんとなく思い付いたけど出かけるし今日はこの辺に。

諦念

初めて触れた剃刀の刃は特にひんやりするわけでもなく、鈍い暖かさをたたえてその切れ味をほのめかしていた。

今日は最悪の一日だった。朝の6時に起きてから10時間が経つ。その間に私がした事といえば1時間50分の生産的な活動とくだらないビデオゲーム。ついさっきようやく勉強に興じられるかと思ったら、頭が動かなくて何も出来ないのだった。
酷く辛い。頭が締め付けられる。あまりのストレスに胸まで痛くなってくる。勉強しなければいけない。なのに出来ない。良心の呵責に耐えかねて布団の中で悶え苦しんでいる。一体どうすればいい。
事の問題は頭が動かないということにあった。集中力がなくて本が読めない。1ページも読み終わらないで投げ出す。普段の自分なら理解出来るであろうことが全く理解出来ず頭に入らない。集中力を回復するために寝ようと試みる。これが最悪だった。
うっかり夜中まで寝たりするといけないのでタイマーをかけて短い昼寝をしようとしてみる。枕元に置いたタイマーがいつ鳴るかいつ鳴るかと気がかりで仕方ない。枕元の小さな気配がぞわぞわと大きくなっていき、終いには頭を刺すような感覚まで襲ってくる。これでは眠れるわけがない。
勉強しようとしては頭が動かず嫌になり、寝ようとしても寝付けず、只起きていると良心の呵責に殺される。こんなの生き地獄だ。

この見えないものが刺してくるような感覚、身に覚えがある。私が中学校の頃の話だ。私が寝ていると椅子を引っ張ったり体を叩いたり耳元で大声を出してくる奴らがいた。あの時の恐怖を私は未だに引きずっている。
これは経験した人間にしか分からないだろうが、こういう仕打ちは本当に辛いのだ。別に椅子を引っ張ったりされる事が辛いんじゃなく、寝ようとしても無意識に体が身構えてしまって眠れなくなるのが辛いのだ。私がどう心を制御しようと試みても刷り込まれた条件反射は勝手に暴走して存在すらしない敵の襲来に備えて全身を殺気立たせる。これは、本当に、辛い。頭を刺されているような感じがする。
勿論普段寝る時はこんな思いをしない。周りに誰もいなければ防衛本能が動き出すこともない。しかし枕元にタイマーを置くだけであの嫌な感じが簡単に起動してしまう。死にそうになる。悪夢だ。寝れないから夢も見れないけど。

別にあいつらに怨みがあるわけじゃない。私の人生を総合した苦痛はとっくの昔に人を怨むとか怨まないとかいう段階を越えていた。もう私は諦めている。世界が世界のように思えない。物事は機械的に動いているから特定の個人を恨んでも仕方ない。人間に悪意は存在しない。人間が悪いことをするのは人間にそうさせる環境が悪い。劣悪な環境が発生するのは人間という種族に自ずから備わる本能が悪い。人間の本能は自然淘汰の起こした必然であってどうにかできるものじゃない。この世に、そしてこの身に振りかかる災厄というのは全て仕方なく起こるのであって誰かに悪意があるわけじゃない。だから仕方ない。誰かを怨むこともない。そして私は何も出来ない。どうしようもない。
不思議なことに他人を怨むことにかけては全く諦めているのに自分についてだけは怠惰を許すことが全く出来ない。多分自分の心の中は嫌というほど見えてしまうからだろう。他人の心は見ることが出来ないからどう解釈しようと私の自由だ。悪意があろうとなかろうと、悪意がないと思って世界を見る事は私の自由だ。だから私は他人を怨むことからは解放されている。しかし自分を責めることからは逃げることが出来ない。

どうしようもない。自殺でもしようか。どうすればいい。何をしたらいいんだろう。死ぬわけにもいかない。リストカットでもしようか。そう思いながら買ってもいない剃刀を愛おしく撫でた。右手の人差指を伸ばし、刃物に見立てて左手の手首にあてがってみる。剃刀では無いので引いても切れない。切ったら幾分楽になるのだろうか。そう私が願ってみると、私の脳を縛り付ける理性が空想上の刃物を掴んで窓の外にぶん投げた。
プロフィール

Author:ルーミア厨
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