脱出不可能の檻

そんなことは何の慰めにもならないことに気が付いた。
仮に私と同じ境遇の奴が見つかったところで、不幸な奴の数が1人から2人に増えただけの話であり、私が私個人として自分の望む形の幸福を手に入れることはいずれにしても不可能だからである。

隔絶の情

私にはそれが分からない。
その心の動きが、どーーーーーーしても分からない。
この世には美しいものがある。人を眩惑するものがある。体に滾る熱を植え付けるものがある。
ここが分からないところで、普通の人はそういう病に落ちると「欲しい」と思うらしい──「なりたい」と思うのではなく・・・。
私はそういうものを見ると成りたいと思う。なって、壊されてみたいと思う。好き放題他人の欲望の捌け口にされてズタボロに棄てられてみたいと思う。究極的には、殺されたい。
表層的には多岐に渡る私の気持ち悪い妄想が、根本的には「殺されたい」というたった一つの欲望から派生しているに過ぎないことに、この数年薄々勘づいて来ているのだった。
この点について言えば、最早私の頭は“女性ですらない"──健康な女性なら、男性を「欲しい」と思うのだろうから・・・。
この心には恋も愛も存在しない。そこにあるのは逆転した男性と女性でさえなく、殺してくれる誰かと殺される自分だけなのだ。
私と同じ境遇の人間がこの世にどれだけ居るだろう?性別が狂ったという条件だけで軽く人類の数%未満に落ち込んでしまう。そこにこんな世界観を持って生まれる確率を掛け合わせたら──いや、計算してみるとそこまで低い率ではないか。絶望する程では無いのかもしれない。願わくば我々不幸の民に何らかの形で幸あらんことを。

世界に反逆する0の方法

分からん、分からんよウィンストン!

──どうしたんだ急に。それと、「なんとなく6文字の外人の名前がかっこいい」なんて理由で1章すら読み終わってない小説から名前だけ取ってくるのを早急にやめたまえ。

統計が、統計が分からないんだよ、私には!

──統計?

ああ、そうだよ、統計、統計さ。
君、考えてもみたまえよ、これほど不気味で身の毛のよだつ概念が果たして他に存在出来るものかね。
例えば昼時に10人の人間がコンビニに入って私がガムを買ったとしよう。それをコンビニ会社のエリアマネージャーか何かがニタニタしながら眺めるわけさ。「昼時に10人の客がいたら80%の確率で1人はガムを買う。今日はあいつがそれだ」なんて顔でね。私が入店するより前に、いや朝に歯を磨くよりもずっとずっと前に今日私がガムを買うという行動が決められてるんだ!
なに、これだけなら別に何の問題も無いんだよ。この得体の知れない化物から逃れたかったらガムを買わなきゃいいんだ。それだけで統計の予測は破綻しておしまいだ。でも本当に恐ろしいのはそんなことじゃないんだ。もし10人じゃなくて100人、いや1000000人だったら?80000人がガムを買うのに私一人が反旗を翻して79999人にしたところで果たして何になる?一体何になるっていうんだ?私が何をやっても79999枚のガムがどっち道売れるんだよ!
意味が分からないだろう、奇妙だろう、我々はみんな意思を持って日々を生きているんだ、それなのに統計の手にかかると我々は何者でもなくなるんだ!「1000000人」という誰でも無い何者かが80000枚のガムを買い上げるんだ。1000000人の中の個人個人ち何が起ころうと関係無しにだよ。我々が何を見、聞き、喜び、悲しみ、怒ろうと、我々全体という集合は常に同じ振る舞いをするんだ!我々は最早何者でもなく、得体の知れない大いなる化物の替えの利くたかだか1パーツにしか過ぎないんだよ!
ねえ、君はどう思う?

──分からんが、とりあえずその枕元にある本を早いとこ読み終えた方が良いんじゃないかね。対人恐怖症の君がせっかく勇気を出して小説なんか買ったんだろう?

リケジョとイクメン

この国はかなり詰んでいる。

「リケジョ」という言葉を流行らせようと多くのマスメディアが躍起になった。後々の結果は散々だったが、恐らくは善意でやったことだ。どうにかして理系研究者の数を増やそうという、彼らなりの社会貢献だ。
「イクメン」という言葉を流行らせようと多くのマスメディアが躍起になった。こっちはあんまり叩かれないけど、やっぱり善意でやってることだ。どうにかして育児就労者の数を増やそうという、彼らなりの社会貢献だ。

どっちの業界も考えていることは同じだ。

「男性の科学者人口が頭打ちになったから、女性に活路を求めたい」
「女性の育児者人口が頭打ちになったから、男性に活路を求めたい」

詰んでいる。

もしも労働者不足が性別の片側だけならまだ救いはあった。働いていない女性全員を労働者に変えてしまえば賄うことが出来た。あるいは働いている男性全員を育児者に変えてしまえば賄うことが出来た。この国にはもうそれすら叶わない。男性も、女性も、絶対的に人口が足りてない。

人生はままならない

死の恐怖

本当に幸せな一日だったし他愛の無いことでも綴ろうかと思う。
私は半分くらい世捨て人みたいなところがある。
理性では、死ぬのなんて怖くは無いと思ってる。意識では、そう思ってる。
それでも死ぬのは怖いんだと思う。
死ぬとどうなるとか、無とは何かとか、そういう気丈の空論をこねくり回すよりも前の段階から、体から死を恐れているのだと思う。

私は中学時代に一日約5時間も腕を枕にしていた都合でハネムーン症候群を患っている。昼寝をする時は気をつけないとすぐに腕が痺れてしまう。
ここに睡眠導入時の金縛りがつけこんで悪夢を見せる。
ただの金縛りが、「圧迫された腕の血管が全身の血を止めて死にかかっている」という具体的な死の恐ろしさを帯びたシナリオに進化する。
もう百回は同じ夢を見せられていると思うけど、恐怖が色褪せることは無い。このままじゃ死ぬ。腕から体が動かなくなっていくのが分かる。腕を動かさなきゃ。動かない。嘘だ。嘘だ。死ぬ?このまま?血が止まって体が動かない、足が動かない、どうにかして血を流さなきゃ、死ぬ、死ぬ、誰かたすけて、死ぬ、死ぬ、死ぬ──そんな感じ。
日常的にこういう目にあっているから、精神(こころ)に先行してまず肉体(からだ)に依存する感覚から朽ち果てるような死に方だけはしたくない。例えばドアノブとロープ使った窒息死とか。「このままだと死ぬ、体を動かせば助かる、なのにもう体を動かせないから自分が死ぬのを見てるしかない」って、マジで地獄です。死に方としては最悪です。死ぬ時はスパッと行きたいですね。スパッと。

・・・よき倫理を。
プロフィール

ルーミア厨

Author:ルーミア厨
えへへ

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR