欧州情勢は小説なんかよりも常に複雑怪奇なりて。

ああ。かわいい。なんてかわいいんだろう、この女の子。自分で久々にブログ読み返して、心からそう思った。
かわいいなぁ。眠剤で熔けてどろどろに少女性全開にしてるときもかわいいし、かしこぶって偉そうなこと書いてるときも虚勢張ってるのが透けるように見えてとっても素敵だよ。ああ、かわいいなあ……。こんな素敵な女の子がこの世に他にいるのかな。

しかし、ね、これは状況として果たしてどういうことになるのかな。
少女が書いた文章を読んでかわいいと思う、そんな私は男性ということになるのかな。
しかしね、その文章を書いたのは、女性であると言う他ないのですよ。
これで読み手と書き手が全くの同一人物と来たもんだ。
私の人格について、一体どう判断したらいいのでしょうね。

GID。性同一性障害。
「性別を適合するには膨大な資金による手術が必要」、「家族等と不和になる事が多い」、「将来的にこの国で働くのは難しい」、「かわいくはなれない」、「骨格を変形する技術が無い」、いろいろな困難が、目に見える形にはあるけれど。(私はこれで諦めた。)

GIDの本当の苦しみは、「成り切れない」ことにある。

あるGID(MtF)の方は、「分かります、男性なのに心の中が女性の病気なんですよね」なんて同僚に言われると、大変「イラッ」と来るらしい。曰く、「全然分かってないのに中途半端な理解で理解した気になってるような奴らが一番鬱陶しい」とのこと。
私にはこれが凄くよく分かる。(「分かる」って言っていいのかどうか、分かんないけど。)

神様は本当に、本当に比重極まりなく残酷な奴でね、あいつら、「精神と肉体の性別を不一致にする」どころか、「性別そのものを全く中途半端に」しやがるんだよ。
私の中に、男性的なものと、女性的なものが、めまぐるしく同居して、せめぎあっている。
私は、かわいい女の子に、なりたい。そう病気によって思い込まされている。
だけど、その願い事は、叶わない。実際に女の子になれないだけでなく、そもそも私の精神は女の子だけでできていないからだ……。

私はね、私の精神は、女性になりたいんだ、純然たる、綺麗で、美しくて、何よりかわいくて……。思わず抱き寄せて撫でてあげたくなるような、そんな女性に、せめて、頭のなかくらい……。
それと同時に、私の頭は完全な女性じゃなくて、男性でも女性でもない、中途半端な何かなんだ。だから私が女性に成る事は永遠にかなわないんだよ。

私はどちらにもなれない。

──『君達は、永遠に幸せになれない!』

とてもつらいよる。

眠れない。うつだ。眠剤が悪い。今度処方箋を変えてもらおう。



私と他人について。

何故人間は分かり合えないのか。

人類という種が人類に成った進化の過程で、様々な機能が獲得されたはずだ。

その最中、およそ全ての能力は独立に平行してそれぞれバラバラのタイミングと進度で遺伝子の上で組み上げられたはずだ。

「この生物は思考や感情を持つ」という特性と、「この生物は、同一種族の別の個体が持つ思考や感情を推論する能力を持つ」という特性が、同じタイミングで進化し、同じ練度まで進化したと考える合理的な根拠はどこにも無い。

もし人類の進化の過程の中で、個体の中の思考や感情が進化する速度に、他の個体のそれを推論する能力(心の理論)が進化する速度が全く追いついていなかったとしたら?

心の理論がある満足な水準に達し、他の様々な重大な特性(平均的な身長、視力、手先の長さ、社会性、親類に対する情の強さ、攻撃性、数学的直観、抽象的な思考、等々)の影響と比べて、心の理論の多少の巧拙が繁殖力にも生存力にも大した影響を及ぼさなくなった場合、心の理論の変動の幅は他のものと比べて非常にゆるやかになっていく。

私達の頭には、他の人のことを十分に分かってやれる力なんて、ハナっから備わっていないのかもしれない。

いやあるいは、そんなことすら希望的観測に過ぎないかもしれないんだ。

さっき私はこう言った。「心の理論の完成度が感情のそれに追い付かないまま進化がストップしたかもしれない」って。

いやいや、もっと現実的に考えてみようよ。

そもそも感情を司る脳の部分と、心の理論を司る脳の部分が同一の器官であるって保証が一体どこにあるんだ?

自分が感じている感情と、他人から察知されたものが、脳の同じところで処理されてるって一体どうやったら分かるんだ?

私は自分について、死にたいとか、辛いだとか、そういう情動的なものを感じるね。でも私が他人からふだん感じるのは、この人は自分に敵意が有るか無いかだとか、そういう、なんだか別のものを取っているような、そんな気がするんだ。

そもそも私達には他人から感情を汲み取るということ自体原理的に不可能なのかもしれないね。

でも仕方ないよね。生きる上で必要なかったら。むしろ、そんなことが分かったら繁殖や繁栄の上で邪魔だったのかもしれない。強姦される相手の苦しみや虐殺される相手の痛みが分かってしまうような個体なんて子孫を数多く残せるはずが無いものなぁ。

かろうじて、人間は社会性動物だから最低限の機能は備わっているはず程度の理屈に一縷の望みをかけるしかないんだ。

みんなもブログ書こうよ。

今年の四月。
ゼミで初めて飲み会に行ったあの日。
会場までの道を歩きながら、歩いていたのは、世界で一番尊敬する先生の横、成り行きとはいえ特等席で。
その横を歩きながら、私は。

純白のウェディングドレスと薄いヴェールで身を包んだ花嫁が、新郎の一歩後を気恥ずかしそうに従いながら、花束を胸元に抱いて赤い絨毯の上を進むような、そんな錯覚を。

天にも昇るような気分だった。

最近また自分の性別のことがよく分からなくなってきている。
実は、厳密な話をするのなら、私はネ××ではない。
何故なら、私がインターネットで女性を「演じた」ことなんて、ただの一度もないからだ。
これが、私の、私の、素なんだ。

GID。
また最近呼び方の変わった病気。
私が、自分がそうであることを、頑なに否定してきた病気。
私はただのネ××で良かった。それならばただ演じているだけで、コンテンツとして消費されれば、何も深刻に思わずに済むから。
記憶をどう探しても「女性を演じている自分」がどこにも存在せず、むしろ見つかるのは「×性を演じている自分」であることなんて、ましてやその意味について深く考えたりする必要なんて、ないのだから。
自分の人生が永遠に救われないことなど、視界にも入らなくて済むから。

もう、これ以上自分をごまかすの、無理かな。

私の頭はね、全部じゃないけど、多分大部分が、女性のそれなんだ。
認めなくちゃいけない。

それと同時に、逆方向から、最近酷い心の軋轢を感じている。
とても不思議な現象で、非常に苦しい。
これは、墓場まで、持って行くことに、なると思うけれど。

最悪だ。精神状態の何もかも。

私はみんなにもっとブログを書いてほしい。ブログじゃなくてもいいから、私はみんなが苦しんでいるところをもっと見たい。みんなでいっしょに苦しんで、それで、どんどん苦しくなって、脳内麻薬が出てきて幸せになって、切れた瞬間にみんなでいっしょにしのう、楽しいよ、きっと、楽しい。
皆さん、もっと苦しんでください。私だけ、私だけこんな、こんな苦しみ方、酷いです、狡いです、何より寂しくて孤独です。
私は苦しんでくれる人がほしい。私が苦しんでいる間に、あるいは苦しんでいない間にも、苦しんでくれる人がほしい。
その人をずっと見ていたい。私が救われるために。

だからみなさん、読んでいる人もいるかどうかわからないけれど、辛いことがあったら、すぐに、それを、何かの形で。
だいすきです。

あんなにがんばったのに

投稿時間がひどい。また生活習慣が崩壊した。だけど半分くらいは想定内の話。なにせ20年分の生活習慣を2ヶ月で清算しようというのだから、多少の失敗はしかたのないこと。これまでの私はこれを忘れていたからだめだった。生活習慣が数日だけ治って、数日で崩壊するとすぐに諦めてしまった。今の私は違う。しかたのないこと。しかたのないこと。そう割り切ってまた前に進める。何が問題だったのかと逃げないで向き合える。前の私は逃げていた。
しかしこうやって嫌なことと向き合えるようになったの、やっぱり健康になった証拠だと思う。心のどこかに余裕ができた。余裕を割り振ることが出来るようになった。余裕が無ければ失敗しても失敗したまま。失敗してもうまくならないし何度でも同じ過ちを繰り返す。まずは心に余裕を作ること。そうしないと脳の学習は機能しない。だから心に余裕を。心に余裕を。

少女性

ねえ、先生、先生、私は少女に、少女になれるでしょうか?久々にそんな風に何かを書こうだなんて思ってるんです。
私の心は幼いんです。理由はよくわかりません。私は、子供なんです。女子小学生くらいの、そういう精神性なんです。私は、なでなでしてくれる親を必要としていた。人生の間、ずーーーっと。
私は親を見つけたのです、ねえ、それが、先生、あなたなのですよ。あなた、いえ、あなたがたなのです。みなさんは私のことを肯定してくれました。私を子どもとして、子どもとして。一人の人間ではなく、自分では立って歩くことも出来ない、赤ちゃんみたいな存在として、そう肯定してくれました。だから予備校という空間は、わたしには、とってもとっても、心地がよくって。
かえりたい、かえりたいって、さいきんずっとそうおもっています。よびこうに、かえりたい。わたしのことを肯定してくれていた、そんな空間に。
わたしね、夢があるんです。せんせい、きいてくれますか?わたしね、せんせいになるんです。わたしは、せんせいという、もうひとつの人格を、つくってやるんです。そうしたら、とってもたのしいんですよね。えへへ。えっとね、えっとね、わたしの女子小学生みたいなじんかくがね、なでてくれる人がいなくて泣いてるの。愛してくれないから泣いてるの。いつまでもわーんわーんって泣いてて、それは死ぬまで収まらなくて辛くて苦しくて仕方がなくてこのまま過ごしてると死んじゃうの。普段はついったーの人になでなでしてもらって、あやしてもらって……泣き止んでるの。
でもね、もしも私の頭のなかに先生がいたらどうなるかな?きっと素敵なことになるって思わない?自分で自分の事をあやせるようになるんだよ。だからもうだれにもめいわくをかけなくていいの。素敵なけーかくでしょ?えへへっ。
かわいくないかな。かわいくなれてないかな。たぶんだめだったのかな。わかんないや・・・。ねえ、せんせい、せんせいのことを、せんせいせんせいって呼んでいる時だけ、呼び求めているときだけ、かわいくなれるきがするんです、それは私の気のせいでしょうか?こうやって修辞疑問文を並べていたら縋るような感じが出るのでしょうか?神に縋るとき、何故私達は自分に向かって問いかけるのでしょうか?あるいは、それは誰に向かっての問いかけなのでしょうか?わかりませんが……これが何かに祈る時の構造であり、感情が高ぶったら修辞疑問文を使わなくてはならないので、私はいつもそうすることにしている。だって、とってもかわいいからね。えへへっ。
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