黒歴史の必要性

新しいことを始めるのは難しいことだ。
だけどそれは、練習するのが難しいわけじゃない。
問題なのは、まだ下手くそなのに思い上がって「こんな事が出来るようになった自分って凄いでしょ?」と思ってしまう自分を諌めるのが難しいことだ。
ラケットを振ったら球が当たっただけで「見て見てー!!!」と他人に聞いて欲しくなるのが人間のサガというもの。
ここでもし習得しようとしている技能が作品を残さない類のものであれば(つまり、絵や文章の技術でなくスポーツや音ゲーやタイピングの技術であれば)、あなたがラケットを振り直す度に「下手だったのに調子乗ってた自分」は瞬間瞬間消え去り、何ヶ月かすれば「上手になった自分」という結果だけが残る(キング・クリムゾンッ!!!)。しかしそれが絵や文章となると、これは酷く難しい。
言葉の端々(絵であれば筆の端々)に、「自分すごいでしょう!」という癪に障る感じがどうしても浮かび上がってしまう。しかもそれが作品となって未来永劫残り続ける。
数カ月後に(もし貴方が本気で何かを習得しようとしているのであれば、数日以内に訪れることもあるだろう)、過去の自分を見て、「あああああああああああなんでこんな下手くそなのに調子乗ってたんだよお前ええええええええええええ」と頭を抱えることになる。
絵師が昔の自分の絵を見た時に「うわあああああああ」ってなるのは、別に自分がヘタクソだったからではないのだ。「こんな下手くそな絵をまるで上手いかのように、他人様の目に触れさせるレベルに達しているかのように」錯覚してしまった青い自分の痛々しさが脳髄にクるのだ。
私は絵は描けないが、これは結構あたっているんじゃないかと思う。
だけどそれは仕方のねえことなのだ。
もしここで、「じゃあ上手くなるまで他人に見せるのやめまーす!!」という方法を取ったとする。
それだと、なんにもちっとも上達しやしねえのだ。
「自分って結構すごいやつじゃん!」という思い上がりなしに、そしてそれを他人にあけっぴろげにすることなしに、人間が上達することなんてありゃあしないのだ。
それは自分のことを見ててよーく分かる。
このブログは始めた時はマジで思い出したくもないようなすっげえひっでえ状態だった。(今だってひでえもんだが。)当時の記事を見ていると本当に痛々しい。よくもこんなんで人様に見せる気になったなと思うものばかりだ。この記事だってすぐにそうなる。
だけどその痛々しさに目をつむって全体をよくよく見てやれば、稚拙なところも確かにいっぱいあるのだが、それでも全体の3割くらいはけっこーよく出来ているわけだ。
そしてそのよく出来てる3割というのは、「うわああ!!すごい!!自分ってすごい!!みんな見て見てー!!」という思い上がりとモチベーション無しには、決して洗練されることのなかったであろうような全体の3割なのだ。
そしてその3割を積み重ね積み重ね、今では全体としてかなりマシになった(と信じたい)。
実は、新しい何かを始める際に浮上する困難とは、下手くそなのに思い上がってしまう自分が他人に見られることを許してやれるかどうかなのだ。
私は、それを人生のどこかで許せなくなってしまった。
最近新しいことに手を出すのがどうしようもなく怖いんだ。

はーあwwwwwww

なみだがとまらないんですわーwwwwwwwww

ほんとなんだったんだ自分の人生wwwwwwww

私が生まれてきたのは運命とバカに人生蹂躙されるためだったのかなーwwwwwwww

母親があんなバカじゃなかったら脳みそおかしくてもちったあ幸せになれたんかなーwwwwwww

くっそつれえわーwwwwwwwww

これまでいきてきた21ねんなんだったんだろwwwwwww

じかんかえしてくれないかなーwwwwww

もっとしあわせにすごせてたのになーwwwwwww人生で一番大切な時期wwwwwwwwwwww

はーあwwwwwwwしにたwwwwwwww

欠失点

世界中の地域に宗教がある。

人間のいるところ、至る所に宗教がある。

文明がどんなに発展した国にも宗教がある。

うちの国には、無い。

だけど私はそんな馬鹿なことはあり得ないと思っている。

私はこう思っている。

うちの国には宗教がない。

だけどそれは極めて表面的な話であって、

"現段階に持てる技術によっては観測されない"という事実だけが確からしく、

予測としては絶対に宗教があると言うべきだ。

だって世界中の地域にあるのだ。

つまりそれは、神を信じたりするのは、人間に備わる強烈な本能だということだ。

日本列島に移住したヒトがこの数千年で劇的なDNAの変化でも起こしていない限り、この島に住む人達だけがその本能から全くフリーだなんてことは正直言ってまったくありそうにない。

なるほど、確かに本能が効かない人もいる。例えばキリスト教圏でも大学出てたら神様が世界を作ったなんて本気で思ってる人の割合は激減するだろう(ただ、「キリスト教的世界観で言うところの神様が世界を作ったとすると合理的に説明できなくなる事実が山のようにある」という事をきちんと示された上で納得して神様が世界を作ったのではないと思っているような人はほとんどいないのだろうが)。

じゃあ、うちの国の人間がカミサマ信じてないのは、国民がそこまで賢いからか?と思う。

絶対に、違う。

うちの国の国民は別に賢くもなんともない。

まるで大学全入時代かのように思われているけど、うちの国って、実は2人に1人しか大学に入らない。日本人の50%は高卒になる。

2人に1人が高卒なのだ。

そして、大学に入ったところで大学なんてアレなところばっかりなのはみなさんご承知のとおりであって。

私の大学ですら別に利口な人が多いわけでもなんでもないというのは同級生を見ていれば分かるのだし。(別に自分の大学が嫌いなのではなくて、ヒトっていう種はそもそもそういうものだってことだ。)

「うちの国の人間がカミサマを信じないのは、宗教を信じてる地域の人間より日本人がずっと賢いからだ」なんて話は全く成立しそうにない。

だから宗教が絶対にどこかにあるはずなんだ。人間の脳の、自動的な本能として。

世界中の地域のほとんどの地域でヒトが「神を信じる」という同一の様式を全く別々のカミサマや宗教を使って同時多発的に身につけているのに、うちの国にだけそれが無いだなんて、そんな話を信じるほうがどう考えてもよっぽど"有り得ない"。

じゃあ、そのあるはずの本能っていったいどこいっちゃったのかな、って思う。

こっからは私の憶測。

私は、多分それ、道徳(と呼ばれているもの)に転用されているんじゃないか、って思う。

あるいは、上下関係だとか礼儀作法だとか、いろんなところに転用されてる。

中国と韓国と日本ってやっぱそういう意味で似てるんじゃねえかなあって思う。

夜にファッキュー

皆さんこんにちは!私です!夜です!只今の時刻は23時10分!ゴゴニジュウサンジジュップン!ゴゴニジュウサンジジュップン!ジリリリリリリリ!めざましテレビはっじまっるよー!いや午後23時ってなんだ。頭イカれてんのか。イカれてないんだなこれが。実話なんだけどさ。リアルから特定されないように割とボカして書くんだけど。知り合いの知り合いの話なんだけど。バイト先で「これを16時に作業しておいて」って言ったんだって。そしたら返事が。「……、えっと、16時って午前の16時ですか?午後の16時ですか?」。午後16時ってなんだよ。午後16時ってなんだよ!!!ファッキュー!!!まあでもその人中学までしか出てないから仕方ない(のか?)。こんな話もある。「キスーの番号がついた荷物はこっち、グースーのはこっちに分けといて」って言われた時に、「……グースーと、キスーってなんですか?」って答えてその場の人間を驚愕させたという。更にそのあとの飲み会で、「なんであの人(上司)あんなに変な目で僕のこと見てたんですか?グースーとキスーなんて難しい言葉、ふつー分かりませんよね?」って言ってのけたという。(グースーとキスーをカタカナで書いてるのは悪意があるのでなくて漢字のままにするとマジで検索されてこのページに飛ばれかねないからだ)。つまり、やっぱり学校って大事なわけですよ。今度は私の話。未だに何を指すのか理解していない単語を置いておきます→「シャツ ジャケット コート デニム ズボン パンツ」。「ジーンズ」と「スーツ」だけは何言ってるのか分かる。あ、あれだろ、ジーンズってのはなんかこうああいう奴でよぉ……知ってんだぜぇ……ダメージ入ってるヤツとかもなんかジーンズって言うんだろ……?ファッ、ファッションの先生かようおめーはよぉ!この数行は全部ジョジョ5部のセッコ。自分の知ってたセリフがこういう形で出てくるのかーと感動することしきり。つーか私がこのセリフをインターネットで初めてみたときは、ちゅるやさんのAAに沿ってかなりマイルドにアレンジされていたのであんな緊迫した雰囲気だとは思わんかった。どっちかっていうとブチャラティご一行が和気あいあいと飯食ってる時に出てくるんだと思ってた。そうか。あのシーンでなのか。話がそれた。えっと教育は大事っつー話なのね。上のね、「午後の16時」という車輪をぶっ壊すような大発明をしてくれやがったバイトくんはね、同じように、2で割りきれる数と割り切れない数がわかんねーっていうわけ。これ、笑い話に見える?だって同じように私はこれらの単語がわからないわけ→シャッ……シャァアッ、シャ、シャッシャッ、シャツ……ジャケェエエエエーーーッ……ットォォォォ、コォオオオーーーー……ト?デニムムムムゥッッ!?ズ、ズボォオオン!!パァアアンンツゥウウウーーーー!!!???みたいな感じ。ジャンケン小僧並みの嘘パースを使って欲しい。だからね、その話を聞いた場でこそ私は「ええーグースーとキスーの違いがわからないってやっばいでしょーwww」とか笑っていたが、心の裏っかわでは、「(やっ…………っべぇえ!!やばい!!そういや自分「シャツ」って言われてなんだかわかんねえ!「ジャケット」とか言われたらなに買ったらいいんだよ!これはやばいのか!?もしかして午後16時とかキスーとかグースーとか言うのと同じくらい私の状態はヤバいことなのか!?)」なんて必死に思考を巡らせていました。必死に考えてた昔の私に未来から今結論を述べてあげます。やばいです。ええとさておき教育が大事という話でして、おいおいお前こんなノリで書いておいてマジかよという感じですが今日は真面目な教育のお話です。さて上の二人の若者(片方は世界一かわいい純真華麗な17才の女の子だよっ!きゃるる~んっ♪ミ☆)はふたりとも、「それを持っていないと他人からドン引きされるような知識を本当に持っていない」わけですが、そうなった理由を考えてみましょう。それはまあ、つまり、教育が少しでも失敗するとこうなる、というわけでありまして。例えばかの若者の場合。「キスー」と「グースー」という概念は、まあ多分小学校のどこかあたりでは教わるのでしょうな。本来であれば、完全に理解した上で(「理解」といってもある数を2で割るだけのはなしなのだが。そして「0は偶数と奇数のどちらなのですか?」という問いが立てられた瞬間に教師は烈火のごとく怒り狂い、そんな悪魔に取り憑かれたような質問を思い浮かぶだなんてお前は異教徒だ!!悔イ改メヨ!!悔イ改メヨ!!貴様ハモット小学生ラシク振舞ウベキデアル!!!」等と物凄い剣幕で怒られるのだが、うわあ物凄い長さの括弧だ)、いずれにしてもキスーとグースーを完全に理解した上で……2で割ってみるだけのことは「理解」なんて呼べるレベルの作業なのかどうか分からないが……あっこれ今カッコの中に書いたことだ!やっててよかった真剣ゼミ!サッカーのハーフタイムの間に日記が1枚サクサク書けちゃうんだ!何故か恋人も出来るおまけつきだぞ!できないです。出来ても辛いだけです。とにかく、ああ、この本筋の話を進めようとしているのに、私は本気で全身全霊で進めようとしているのに!!、「ココデ雑談ヲシナサァイ……」と悪魔が耳元にささやきかけてくるっ!!悪魔が!!ひいっ!!耳元に!!耳元に!!いやそのセリフは死亡フラグだ。話を続けよう。「話を続けよう」だけでこの日記中に何回使うことになることやら。教育の話なわけ。キスーとグースーが分からない。中学しか卒業してなくって、しかも小中であまり勉強していないと。ようやく話が前に進むんだけど、問題は、キスーグースーっていう概念が、果たして無意味なものだったかどうかっていうことなわけ。つまり、子どもたちに何の意味も実質的意味も持たないような難しい問題をいたずらに解かせて、苦しめて、一番上にたった人間だけを表彰し褒めることによって弱者をズタズタに踏みにじってカーストを創り上げるシステム、それが受験勉強にして、学校です、と言う人がいる。あなた本当にそう思う?私はこの一事を持ってしても全然そーとは思わねーのね。キスーとグースーは分からなきゃ生活のどこかで問題が起こる、例えばさっきのバイトの話みたいに。ただここで百歩譲ってね?もしも「キスー」「グースー」という言い方をしたほうがジャーゴンの濫用であり、必ずしもこの場面でそのような言い方をする必要は無かった、言った奴が悪い、言った奴が相手の事を考えていない、そういう話の建て方を採用したとしましょう。それではですね、「キスー」「グースー」という"概念"(≠言葉)を用いることなしに、果たしてどうやって「眼の前にある、数字の札がついた、莫大な量の荷物」を同じ量の荷物で出来た二つのグループに整理することができるでしょうか?「最初から最後に集めて半分で割ってみる」?構わないでしょうがあまり良い策ではありません。何しろ一旦集めたあとで更に何かしらの分割処理を何らかの基準で行わなければならないわけですから、手間が倍増します。だいたい、荷物を半分で割るには、全ての荷物の数を数えた上で、"わりざん"というキスーグースーの五十倍は手間のかかる演算を一回実行しなければならない。"わりざん"なんてめんどくさいことはしないでもし目測2つに分けようとしたものならかなりの確率で数を間違う。「キスーはこっち、グースーはこっち」というのは、集めながら分割する作業を行えるという点で、まさに優れた解決策なわけです。別にキスーやグースーでなくても全くいいのですが、いずれにしても自然数の分け方を何かしら1つ知らないことには、このような作業を簡略化することが決して出来ない。あるいは、「1個荷物を取れば左側、次の荷物は右側、その次は左に投げ捨てる……」のような案もあるのかもしれないが、ワーキングメモリの脆さを考えたら、全く得策でない。今持っている荷物が右に投げるべきなのか左に投げるべきなのか、重労働をしているとしばしば頻繁に忘れてしまうからだ。キスーやグースー等で区分するような何らかの解決策の思いつかない人間は、仕方がないからまずのろのろ全部集めて、なんとなくでゆるゆる適当に二つに分ける。あれ、これで分け方いいのかな、なんてことにもなる。その作業の遅さ、まさしくバブルソート。教育って、大事ですよね。どんなにくだらないことにみえても、それはやはり大事だ。生活に係るように直接的に致命的に生命的に大事なのだ、お勉強は。さて私の話にしましょうか。うっわ長いなあ。最初の数行で書いた「私はお洋服の単語が分かりませんひぎい><」って内容から一体どれくらいかかってるんだ。まあいいや。今日はテキストプレイなんだ。実に醜い行いなんだ。それくらいは勘弁してくれ。もっともこんなところまで読み続けてる奴がいるのかどうか分からんが!ゴウランガ!私はなあ服が分からへん。「シャツ」って言われたら、まあ上半身に着るやつだ、それもあまり分厚くはないのだろう、それくらいは分かる。でも「これはシャツ?」って言われると、もう全然てんで自信が無くなるのだ。この、下に着てる奴は、多分、シャツだ。名前は分からないが、シャツだ。じゃあ、この、その『シャツ』の上に着てる奴は?えっと、シャツ、なのか?これ。ああそういやTシャツとかYシャツとかいう単語がある。多分、私がよほど変なものを着ていない限りは、この身にまとっているのも恐らくそのTシャツとかYシャツとかいう奴らのどちらか一方には含まれているのだろう。とすれば恐らく私はシャツを着ていることになるな。うん、これは間違いなくシャツだ。だけどちょっと待てよ?そういえば世の中にはポロシャツとかいうのがあるからな。そうだとするとポロシャツというのは一体何なのだ?あのようなものでも「シャツ」と呼ぶからには何かしらの共通項があるはずだがそれは一体何なのだ?一番外に着られることか?そうだとするとシャツの上にジャケット?コート?とかいうあの分厚いのを着た時はどうなるのだ?シャツが一番下でジャケットとコートが上なのか?そうだとしたらジャケットとコートはどっちが上なのか?いやそれとも同時に着るのか?ここで翻ってみると私が一番最初に「シャツ」だと思っていた一番下に着用しているコレは本当の本当にシャツと読んでいいのか……?私はそういうやっべえ世界に生きている。信じられるかよ。これ一応高校(高校じゃない方)に通って3+1年目になる人間の頭の中なんだぜ。せっかくシャレオツな高校(高校じゃない)だってのにそんなこともわかんねえのだ。私はずっと、ユニクロいって、なんかこの棚がセットになってるから、っていうだけでひとそろい買ってそれを着まわししてるだけなんだぜ。やべえよな。だから服が増えないんだよ。その最初にかったセットを、延々着回すことでしかバリエーションが無い。いつ見ても同じ格好してる。そんな感じ。そんな17+4才。私は引きこもりだったからよ。そういう事自然に学習する機会っつーのがねえのよなこれが。恥ずかしいことに服は全部親が支給してたからな(元気のない私のことを思ってくれてのことだったのだろうが、今思うととんでもないことをしてくれたもんだ。おかげで私は今服のことが何もわからない)。まっとうな人間ならよ、日曜に知り合いと出かけたりして、服屋にもいったりして、「(ああ、これは、ジャケットっていうのか)」みたいなことを、あるいは基本的な着かたのパターンを、学習していくってわけ。私はそれが無かったからな。ほんっとーーーーに1回も無かったからな。みんなが何を着てるのかが認識出来ないし、というより自分が何を着ているのかもわからねーのよ。町中を歩くのは非常に怖いのだ。ただ幸い、別に変な格好でないということだけを経験的に知っている。対人恐怖症は治らないけど。まあだからよ、あれだよ。教育は大事なんだよ。教育ってのは。大事なんだよ。何より大事なんだ。みんな教育の効果を舐めてるんだよ。教育の中で子供が少しでも手を抜いたらこんなトンデモ人間に育っちまうわけ。だから教育は全力でなければならない。"勉強を教えることに"全力でなければならない!!何が体育や道徳や特別活動や部活だよほんとふざけやがってよ。あんなもん全部やめちまえばいいだろうが。特に部活な。大事なのは勉強だよ。この世はもう、勉強がないと行きていけない、そういう時代になってるんだよ。共同体もどんどん解体されていっちまったしさあ。我々を救ってくれる人なんてもう誰もいやしねえんだよう。まあ最近は便利なんで、Wikiにまとまってたり、有能な人が個人ページで凄く良い情報サイトを作ってくれていたりするが……。もういい加減に「素晴らしい人格の人間を育てる!」とか「人間は心が一番大事!」とかよしてくれよう。後の人生に役立つのは常に知識と概念と研鑽で、暖かい心を持った先生との思い出の1年間なんてマッジでクソの役にも立たねえんだ。お願いだから誰か私に「ジャケット」ってのがいったい何なのかわかりやすく優しく教えてくれ。

何が楽しくて生きればいいのだと思う

元気になるといつもそう考えてしまう。
鬱病が無くなると世界の景色がクリアーになる。
その分だけ惨めさも辛さも倍増していく。
鬱病は、私が本当に恐ろしいと思っている事から目を眩ませるためのフィルターでもある。
ある意味、私は鬱病である日々の方を無意識に望んでいるところがある。
死ぬほど苦しければ自分の人生のことを考える余裕なんて無いからだ。

私は性別を変えることを選ばなかった。
こればっかりは同じ病気でないと分からないが、それは本当に辛いことだ。
現実のありとあらゆる幸福を灰色に染めるくらいむごいことだ。
何も幸せでない世界でたった一つだけ私を救ってくれたものがあった。
大学で勉強をするのは楽しかった。
このために自分は生まれてきたのだと思った。
それが、折れた。

うつ病であれば死に向かい、うつ病で無ければ2つの莫大なストレスによって脳を破壊される。
何のために生まれてきたのかが分からない。
プロフィール

ルーミア厨

Author:ルーミア厨
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