昨日の続き。

こんなことを言う人がいるのかもしれない。

「私が小説を書いているのは、私が小説を書きたいからで、別に他人を楽しませるためというわけじゃない」

なるほど。

でもそれは別に私達の生活を豊かにする様々な発明を可能にした科学技術にしたって同じことなのだ。

「私があの研究成果を発表したのは単に研究が楽しかったからで別に100年後に人々の生活を豊かにするためとかそんな動機ではない」
「私があんな発明を設計したのは単にものを作るのが好きだからでお前の生活を便利にするためじゃない」
「我が社がこの製品を販売しているのはそうしないと会社が潰れるからであって売れてくれれば人の役に立ってるかどうかなんて心底どうでもいい」

誰だってこんな事を言うかもしれない。でもそんなこと関係ない。動機なんて関係ないんだ。私達の生活に届いたそれは間違いなく生活を豊かにしている。使わなければ不便で不幸になる。それだけのことだ。それだけのことなんだ。

小説と映画と電子レンジ。

私を幸せにするためだけに働いている人が世界中に数えきれないほどいる。

私の家には電子レンジがある。掃除機がある。スマートフォンがある。全部「私の人生を幸せにする」という目的のためだけに作られている。

この電化製品とかいうのが作られるのにどれほどの血と汗と涙が必要だったのだろう。まず電化製品を作ることそれ自体を可能にするためだけに科学史上に何十人もの大天才が、そしてそれを実際に設計して製品にするために何百人のエンジニアが必要だったのだろう。

この天才達の努力を無下にしたら必ずバチが当たる。電子レンジも掃除機もスマホも無い生活は、不便だし、不幸だ。

人の好意を裏切ったら必ず人は不幸になる。

ところで、私を幸せにするためだけに働いているのは別にモノを作っている人だけではない。

小説だって、映画だって、そうだ。全部「私を幸せにする」という目的のためだけに、何十人もの、何百人もの、数えきれないくらいの歴史上の天才が折り重なって、現代まで技術を連綿と伝えて幸福を生産し続けている。

それを使わないことがあったとしたら、必ずバチが当たる。洗濯機や電子レンジの無い生活と同じくらい、人生は惨めで不幸なものになる。

私はそんな簡単なことに17年も気づかなかったんだ。

革命的提案『チーム学校』の破壊性について

皆様おめでとうございます。このまま行けば日本が救われます。マジで。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20150625-OYT8T50050.html

20150625-OYT8I50016-L.jpg

経緯:いじめで子供死にすぎ。これは教員の負担が重すぎて生徒に目が届かないことに原因がある。というかいじめの問題抜きにしてもそもそも教員って職業自体ヤバ過ぎ。先進国中ダントツで労働時間最長とか地獄か。カウンセラーと部活は外注して専門家に任せる。

この人達は「教育の専門家」なのに自分が何を言っているのか分かっていないんだなぁ。
私はこれ、「教員」という職業にとって、破滅的な提案だと思ってますよ。そして最高に日本にとって良いことなのですぐに実行されて欲しいと思っています。
「教員」という職業は加重負担である。だからカウンセリングと部活を専門家に外注する。なるほど。

それって、あと一歩考えを進めると何が起こると思う?

教員から一部の仕事が外注される。教員という職業からカウンセリングと部活の要素が引き算されることになる。

じゃあ、それで「教員」に残るモノって一体何?

彼らはカウンセリングの訓練も受けたことがないし運動の訓練も受けたことがない完全なド素人だ。隣に専門家がいればもう出る幕がない。彼らは最早、「勉強を教える」という一点以外に何の仕事も無くなる。
「勉強が教えられない教師は無能で、勉強を教えられる教師こそが有能」という、当たり前にも当たり前な価値観が形成される土壌が生まれる。
「心の温かい、人格的な教師が有能」なんて意味不明な価値基準は崩壊に向かう(だって教師の隣に心の暖かくて人格的な専門家がいるのだから!)。
これは言い換えれば、「教師」という職業が「塾の先生」や「予備校の先生」と同じ性格を帯びるようになることを意味している。
それはどうあっても「教育界」の人間が望むようなことでは無いはずなのだが、彼らはあまりにも愚かなので自分達が「教員」という職業を崩壊させつつあることに気づいていないのだ。
崩壊してくれた方が絶対に日本はよくなるので、彼らが愚鈍なままでいて実行に移してくれてしまうことを願っている。

「教員」という職業が聖職であれるのはまさに「過剰負担」だからなんだよ。「教員」という職業は生徒に対して無条件に優越する。その理由は「教員」という職業が実際には何やってるのかよく分からんからで、明確な価値の基準が無いから無能の烙印を押されることがないし偉そうにしていられる。明確な基準をなくすには複数の仕事を同時に持つことで評価軸を曖昧にぼかすしかない。やる事を減らされたり忙しくなくなったりしたらこの職業は本当におしまいなんだよ。「授業の面白くない先生」がマジで「給料泥棒の無能」になるのだからね。

びっくりするほど安い!!(2)

書いてたら予想外に長くなっちゃったので途中で打ち切ったやつの続き。

~あらすじ~
モンスターゲートっていう小学生の頃に凄くやりたかったゲームを高校(4)生の財力で遊んでみたよ!2000円だけどね!あと今はエターナルナイツって名前に変わってるよ!

さてさて。

モンスターゲート(エターナルナイツという名前に変わってもう5年以上経つのだけど、思い出深い名前なので、私は意地でもモンスターゲートと呼ぶ)をプレイしていて、私は思った。

嗚呼。

退屈だ。

というほどじゃないけど。

そこまで面白いんだろうか、これは。

小学生の私が胸を輝かせていたものとは一体……

結構楽しかったんだけど、プレイしていて、かなり虚しい物を覚えずにはいられなかった。
インターネットには、人生をキラキラさせながらこのゲームをプレイし続ける人達がいたからだ。
「モンスターゲート ブログ」「エターナルナイツ ブログ」で検索すると、このゲームを何年もプレイして、カードホルダーが激レアカードでいっぱいになった人達をいくらでも見ることが出来る。
みんな、本当に、楽しそうにやってる。
でも、私は、プレイしてみたけど、そんなに楽しくなかった。
それが、とても辛かった。

虚しさに溢れてゲームセンターの階段を降りながら、しかし私は気がついた。
インターネットでモンスターゲートの廃人じみたプレイ画像や動画を上げてキラキラしているように見える人達。
あの人達は、本当に、私が思うほど、このゲームを楽しくプレイしているんだろうか。
私が今日プレイして結構ぼんやりしたのと同じくらい、あの人達もぼんやりしながら半ば退屈にこのゲームをプレイしているんじゃないだろうか。

私はタイピングが速い。ちょっと気違いじみて速い。昔死ぬほど練習したから。
もし他人が見たら、私がタイピングを練習する姿というのは凄くキラキラしていて、楽しそうにやっているように見えたのかもしれない。
でも実際には、私は他にすることもないのでなんとなくだらだらとタイピングを練習していただけで、そこまで楽しいわけではなかった。

私は弐寺がそこそこ出来る。SP八段くらいはある。クソ難化したペンデュアルでもきちんと取れたくらいの地力はある(今でも3日あれば取り直せると思う)。
半年だったか8ヶ月だったかで八段になった。自分で言うのもなんだけど驚異的なスピードで、1日に1~2時間は練習し続けていた。
その姿は他人から見たら、それはもうキラキラと輝いて、物事に熱中している人に見えていたに違いない。
でもやっぱり私は惰性でやっていだけで、そこまで楽しいわけではなかった。

そうだとしたら、インターネットにモンスターゲートの画像をアップロードしている人達も、別に楽しくてゲームをしているわけではないのかもしれなかった。
本当は、退屈から解放してほしくて縋るように筐体にコインを投入していただけなのかもしれなかった。
それを私が勝手に勘違いして、キラキラしているものだと思い込んで、ありもしない幸福と自分の退屈を比べて嫌になっているだけなのかも知れなかった。
もしそれが正しいとすれば、見えない敵と戦う、それはまさしくドン・キホーテ。

はい。タイトルがやりたかっただけなんです。

なくもんか

https://www.youtube.com/watch?v=lRyC8KfoU-k

映画を観たのでレビューを書いておきます。自分にとっては色々意義深い映画です。
上のアドレスはネットに転がってた予告編ですが、この映画の雰囲気をあんまり反映してないと思います。

とりあえず申し訳程度にあらすじを書きます。生き別れの兄弟がいました。二人はお互いの顔も知らないまま別々に育ち、兄が下町でハムカツを揚げて細々と暮らす一方、弟は漫才師を志し、「金城ブラザーズ」というコンビで大ブレイクを果たします。売れずに燻っていた自分の才能を見込んでくれた金城ブラザーズの「兄さん」を弟は大変慕っているのですが、そこに血の繋がった実の「兄さん」が現れてきてしまうものだから大変です、さてさて。みたいなお話です。

が、それがお話の全てではなく、「家族とは何か」というメインテーマに加えて、それ単体でお話として成り立ちそうだなぁというサブテーマがところどころに大量にぶっ込まれています。悪く言うと大風呂敷を広げて回収しないでとっちらかった映画になってますね。しかし私の心に影響を与えたのはそのサブテーマの方でした。

この映画をチラッと見ると、まず間違いなく記憶に残るんだろうなというのが、卑屈さなんですね。主人公の笑顔の。こんな顔を作れるなんて阿部サダヲという役者は凄いのだと思います。5年以上前に居間で流れていたのを中途半端に見たきりだというのに、阿部サダヲ演じる主人公の笑顔の卑屈さは私の脳裏に鮮明に刻み込まれていたのでした。

高校(4)に入ってからの3年間、私は人と話す時に卑屈に笑うようになっていきました。相手は私のことを馬鹿にしているに違いない。相手は私のことを気持ち悪く思っているに違いない。相手は私と話していて退屈で不快に違いない。それはちゃんと分かっていますよ、私だって自分が最低で気持ち悪くて不快で面白くない人間だと分かっていますよ、だからほら、こんなに卑屈に笑ってるでしょ、そういう自己肯定感の低さの明確な表明として私は卑屈に笑います。
そんな最近の自分と、記憶の中の主人公の卑屈な笑い方を、ツタヤでたまたまこの映画を目にした時に重ねざるを得ませんでした。

あと、なにより、これ見た人は本当にすっげえよくわかると思うのですが、「ああ、そりゃあなあ、ルーミア厨さんには記憶に残るんだろうなぁ……」と思ってくれると思うのですが、中盤以降の、"例の"展開ですね。まあほんと見た人だけ分かってくださいね。半分くらいはこれが見たかった。

しかしこの映画を最初に見てから5年くらいは経ってると思うのですが、当時は分からなかった事がいくつか分かるようになっていて、感動したらいいのやら悲しんだらいいのやらという感じです。好きなセリフを抜粋します:

「お互い腹ン中でどう思ってても、顔に出さずにさっ、淡々とメシ食うのがさっ、家族なんだよ。それがっ、リアルな家族なんだよ。そうでしょ?」「……ごめん。分かんねえよ」「……、そりゃ、分かんねえって。親に捨てられたから分かんねえって……」

「七つだよぉおお~?笑いの種類わぁああ~?行くよぉお?勘違いぃー、オーバーアクショーン、変な顔ぉー、ものまねぇー、真顔おー、(中略) 七つ目はなんだと思うぅー?」「……さぁ」「分かんないか。分かんないかぁ……それはねえ、"不幸"なんだよねえ だって不幸ってさあ 笑えるじゃん…… へぇっへっへっはっはっふっふっふひへへえっはあっはっはぁ……」

※そのまま文字起こししたらアレになったので勝手にかなり脚色してあります

七つ目の笑いの種類は不幸だと言った当の本人(金城ブラザーズ兄、血の繋がってない兄)が、後に自分の不幸を本当に笑い飛ばすの、良いなぁ、と思いました。
この自分の不幸を笑うのは、マジで不幸な人間にしか出来ないんだ。

しかしこの不幸の話、監督はかなり"理解"って作っている(ように見える)のに、2時間10分近くある本編の中で多分5分くらいしか扱われない程度のマジで小話程度のものです。おんなじテーマで同じ監督が別の映画一本撮ってたりしたら見たいかな、と思った。

それにしてもあれですね、当時の私には分からなかった事が色々分かるようになってて、そういう意味でも貴重な映画でした。そういえば、最近言われたこんなことを思い出します:

「アメリカに行けば、数学や物理学で、13才でPhDを取得したりする大天才はいる。でも文学の世界だけはそんな人間は一人も存在しない。40才にならないと作品の言っている意味が分からないからだ」
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ルーミア厨

Author:ルーミア厨
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