死にたい

消え入りたい

もう外に出たくない
自転車を漕いでいたり、歩いたり、していると、

「お前はもうあの輝かしい世界で暮らすことは出来ないんだよ」
「一生、何の本当の趣味も無く、何をやっていても『こんなものは偽物だ』と思いながら惨めに暮らしていくしか無いんだよ」
「お前はなんて醜い姿をしてるんだ」
「醜いどころか働いてない。無職。引きこもり。ニート。それがお前の現在」
「見ろよ、タイムラインを」
「年上の人はもう博士課程に進んでいる人もいる」
「もしくは働いて、かなりの給料を得ている人が多い」
「お前はどっちにもなれない」
「良い待遇で働いて、好きな趣味をやる事すら、お前には出来ない」
「お前はもう何をやっていても『自分は本当はもっとやりたい事があったのに』と満たされない鬱屈した思いを抱えて生きるしかない」
「働いても意味が無い」
「この世に楽しみなんて無い」
「自殺するしか無い」
「死ね」
「なんて醜いんだろう」
「お前は平凡な人生を歩むことも出来ない」
「何のために生まれてきたの?今すぐ死ねよ」
「醜い」
「再受験とか何馬鹿言ってるの?現実見たら?」
「受かったところで自分より遥かに若くて自分より遙かより才能があって努力もする人間が自分の席を奪っていくのを4年かけて見つめるだけだよ」
「お前の面は本当に気持ち悪くて吐き気がする」
「お前みたいな何の価値もないクズのような人間が何かに見合うとでも思ってるの?」
「席を奪われるどころか奪われる席すらないだろ?お前には何の能力も無いんだからそもそも競争に参加することすら許されてないんだよおこがましい」
「何勘違いしてるの?」
「死ねよ」
「早く死ね」
「お前の人生はもう終わりだよ終わり」
「ゴミ」
「お前は諦めることも出来ない。せめて修士に行ってからなら諦めもついただろうに」
「研究の才能なんて無いって認めてから死ぬことも出来ないんだね。可哀想に」
「『自分はまだ負けてすらいないのに』って、一生鬱屈したもの抱えて、死ね」
「死ねよ」
「醜いから苦しんでるのも当たり前だ」
「醜いから」
「当然の報いだよ」
「死ね」

頭の中がこんな感じになる
今はまだマシだけど、半分くらいはまだ気が変で、わからなくならないうちに、書いている
多分明日になったらまた分からなくなる。

一回呪詛が吐かれる毎に、
意識が吹っ飛ぶ。

比喩じゃなくて。

カクンってなる。

よく分からない。
自分の中で、
恨みみたいなものが、
すっごく渦巻いていて、
だけど、
それを、人に向けることが出来ないので、
全部自分に跳ね返ってくる、、、

研究者になれないどころか研究をする事すら出来なかったこと、
自分がニートであること、
働いたとしても一生鬱屈したものを抱えて死ぬしかないこと、
自分の容姿が酷く醜い(と自分では思っている)こと、

そういうのが、全部、一気に押し寄せてきて、

何故それで意識が飛ぶのかは分からない、

分からないが、
「お前の人生は終わり」
これが来る度に、眠気ともつかない奇妙な感覚が来て、カクッと目の前で火花が散って、意識が戻っても目がろくに開かない、力は入らない、自転車ならばどうにか路肩に止めて泣き出しそうになりながら待つ、歩いていたらその場でうずくまって待つ、

本当はこれは、
自分に向けるべき怒りでなく、
もっと、他のところに、例えば家族に、
向けるべきだったのが、
それが出来ないので、

今二回同じことを書こうとしただろうか、、、

書いてる、、、

とにかく頭がぐるぐる回っていて同じことを考え続けているので
多分同じことを何度も書いているのだ、、、

だめだ。

昨日、
「こんな事がありました。私は苛々しました。本気で死んで欲しいです。というか死ね」と言えばいいのに、
無駄に長くべらべら喋って、
アレだなぁ、って思ったので、

感情には正直であったほうがいいんだろうなぁって思うので、

えっと、あれです、
心配して欲しいです、
こういう事を日記に書くのは。

絶対今、頭おかしいだろ、いや、おかしくないのかもしれないけど、

むしろこれで頭おかしくなかったら何??????????って思っていて、

だけど、精神科、カウンセリング、散々、散々、散々、散々、
誰も私の事を笑ってあしらって誰も病気だって言ってくれないじゃないですか、

「お前は病気だ」

私は確かに追認してほしい、これを、、、
こんな風になるのじゃだめですか???
歩くこともまともに出来ないだけじゃだめですか???
道で、力が入らなくって、立てなくなって、うずくまって、何十分かそうして、「死ね」の嵐が収まるまで、全身に力が入らなくて、立てない、
それだけじゃ、だめなわけですか???

精神科、、、

頼む、、、

「貴方は変です」って嘘でも良いから言ってくれたら、多分ここまではひどくならなかったんだよ、、、

うちのリビング

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まずこれが見取り図のようなもの

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随分昔からこのリビングが辛くて苦手だったけど、
理由が分からなくって
つまりこういうことなのかなって最近気付いて

図にしてみて思ったのは
別に家具の配置にそこまで問題があるのでなくて

「リビングでは狭い机で肩を寄せあってテレビを見ながら家族団欒してくださいという息の詰まるような無言の重圧」

これがダメなのかもしれない……

この配置でも誰もテレビを見てなければ問題ないのだけど、
いつリビングに入っても父か母の最低片方がずっとテレビを見ているので、
「リビング = 家族に一挙手一投足を監視される部屋」みたいな感じにすっかりなってしまった……

あと、父と母はリビングに入ってきた人間を「じーーーーっ」っと見つめる
軽く振り返るとかでなくて、数秒くらい、じーーーーっと見つめて、
その後、「やあ」「うん」「ただいま」 みたいな、何を意図しているのか分からない短い挨拶が飛ぶ

きっと、
「一緒のリビングに入ってきたからには温かい会話が成されるべき」みたいな観念があって(特に私は大抵部屋にいるから)、
それで何か会話を始めようとするのだけど、
あまり良い話題が思いつかないので、
とりあえず挨拶だけ言っておく、みたいな、

ああ、、、これはあれだ、、、やはり家具の配置ではない、、、多分家具の配置もひどいんだと思うけど、、、配置した人間、、、配置した人間だ、、、これは、、、

お互い黙って帰ってきて、お互い黙って食事して、お互い黙って寝るのではだめなんだろうか、、、
家族ってリビングに出入りする度に会話しなきゃならないようなもんなのだろうか、、、

お腹空いた時とか、リビングに入って、キッチンで冷蔵庫から食べ物を取り出して、この部屋の椅子に座るのが嫌なので視線を切ろうとしてキッチンで立って食べるわけですが、
キッチンで食べていても、椅子に座った父がこっちの方をわざわざ「じーーーーーーっ」っと見てきたりして、
何考えてるのかよく分からない、、、、多分悪気は無いし、悪く思ってるんじゃないんだと思うんだけど、、、

家具の配置が問題ではない、、、

少しでも負担を減らそうとして、せめてキッチンからテレビに視線が通らないようにカーテンをしてみたけど、、、なんか、、、そういう問題じゃなかった気がするね、、、、

もうちょっと家族が互いに無関心な家に生まれたかったな、、、
無理してでも一人暮らしした方が良かったんだろうなぁ、、、
こういうのが地味に首を締めてたんだな最近すごく感じる(というか何で今まで変だと思わなかったのか……)

一番問題なのは、、、
「こういう雰囲気にヒビを入れる」のが私は生来苦手で、
勝手に一人でストレスを溜め込んでしまってることだろうな、、、
言えばいいのに、、、家族なんだから、、、
近い内に言おう、、、

日記を書いた回数 = 精神崩壊が進行した回数

さすがに月に20回ってなんだよ(この日記で今月21回目)。
調べたところ2011年08月以来の圧倒的最多。
サブアカで喚き散らすのをやめて日記に外注してから物凄いことになってしまっている。

どうして精神を病むとインターネットで泣き叫んでしまうのか。

私は世にも稀に見る情緒不安定で、色々問題を抱えているけど、
その一つに、「とにかくわーーーーーーーーーーーーーーーーーっとしゃべり続けずにはいられなくなる」というのがある。
一旦始まると、最低でも1時間は続く。平均は多分2時間くらいだと思う。
この「わああああああああああああああ」ってなるトリガーが、怒り、焦燥、悲しみ、恨み、そういう負の感情に駆動される事が多く、
精神が病めば病むほど、それをせずにはいられなくなる。(急に英詩を何時間もかけて絶賛し始めたり、良い感情がトリガーになる事もあるけど……)

だけど……実際問題として具体的に何の感情がどう引き金になっているのか、正直言って、自分でもよく分からない。
今、本を読もうとしたら、感情の乱れが物凄くて何も頭に入らず、それで仕方なく日記を書いているのだけど、
怒っているのやら、悲しいやら、嬉しいやら、自分でもわからないくらい、色んな感情が、一気に頭に雪崩れ込んできて、意味もなく泣き出しそうになって、ただ、猛烈な感情に精神を揺らされながらぼーっとしているのはとても幸せで、例えるなら恋みたいな、というかまるで恋そのもののような……(私の頭に分かる恋が、恋ならの話だけど)
感情の奔流が収まらない。
本当、本当、意味も無く、泣き出しそうなくらい、頭ぐっちゃぐちゃで、でも幸せなのかも、わかんない、
今日はそれが強すぎて、何も手に付かないところまで来てしまってるんだけど、
このじりじりした感情が、作業が出来る程度には微弱に、しかし確実に、頭の中にあるとき、
それを解消するために、私は、泣き喚いたり、日記を書いたり、しているのだと思う、

そしてそれは、自分の精神がおかしくなるほど強くなっていくように思えて、
例えば認知症の前兆のような、凄く嫌な予感がして、年齢的に、有り得ないんだけど、家族にそういう人はあまりいないし、
だけど、本当に不安で、たとえば今から1年経った時に、果たしてまだ自分が正気なのか、
あるいは、狂気と正気が半々になったあたりで、もう人間としての形をとどめなくなるんじゃないか、そうだとしたら運命の日はもっと手前に来てしまうのではないか、
というか、下手をしたら、自分はもう、実質的に死んでいるのではないか、
「自分が既に殺されていた時のその表情」

情緒不安定が情緒不安定のままで済んでくれたらいいけど、最近、凄く不安です

2015年11月28日の悪夢

最悪の夢を見た。

そこは中学校だった。

私の目の前に、とても嫌な感じのする人間が立っていた。顔はいじめっ子のものだった。
もっとも、自分をいじめた人間の顔は記憶にほとんど残っていないので、
その顔は、「多分私をいじめていたのはこういう顔の奴なんだろう」という妄想を凝縮した、見ただけで吐き気を催すような低俗な面だった。

夢の中のその人間は私に酷いことをした。酷いことをしたというか、馬鹿にした。
具体的に何かをされたのではなく、「馬鹿にされた」という感覚だけが、相手の目つきから、雰囲気から、脳味噌に流し込まれていた。
当時の私は、本当は学校で酷い事をされたこと自体はあまり気にしていなくて、「自分が全員から馬鹿にされている」という事実に一番自意識を歪ませられたのかもしれない。

ふつふつと怒りがこみ上げてきた。
私は怒りに任せて彼を殴ろうとした。
しかし夢の中の私の腕は、木の枝のように細かった。
いくら殴りつけても「ぺし、ぺし」と可愛げな音を立てるばかりで少しも痛みを与えられないのだ。
私は生まれつき、握力が極端に弱かった
人を殴ることも出来ない私をいじめっ子が馬鹿にして嘲笑っている。
業を煮やした私は、こんな自分の体でも何か致命打を与えられる場所が無いかどうか考え、
にわかに口をがっと開き、相手の肩に飛び込んで──

目が覚めた。
夢の中でアドレナリンが出すぎて、眠っていられなくなったのかもしれない。

夢の内容を思い返しながら、頭を抱える。
「殴っても意味が無いので、歯で肉を噛みちぎる」……。

それは中学生の時の自分が本当にやったことだった。

この夢の後味の悪さを一層引き立てていたのは、
「いじめられる」「殴り返そうとする」「殴っても意味が無い」「仕方がないので歯で肉を噛みちぎる」という中学生の時に自分がやった一連の考えが、
今現在の私の頭で、最初から最後まで、そっくり再現されたことだった。
中学生の時に人間の肩を噛みちぎった具体的な記憶が夢で想起されたのではなくって、
私の頭が今この瞬間に自分で考えたことだった。
考えの順番を当時と全く同じようにして。

いや、そもそも。
どうして当時の自分はまともな方法で報復をしなかったのだろう。
相手に悪口を言い返したり、物を隠し返してやったり、机に落書きをしたり、椅子をひっくり返したり。同じことをし返せば良かった。
何も暴力に訴えなければ気が晴れないくらいの限界まで我慢する必要なんて何もなかっただろうに。

結局それが、「学校でいじめられてもやり返したらいけませんよ、そんな事をしたら相手と同じですからね」という言葉の意味であって。

私は最終的には確かに暴力に訴えた。
傍目には正当な報復が果たされた。
相手の肩の傷は、その後少なくとも4年残っていた。ひょっとしたらまだ消えていないのかもしれない。

だけど、決して、心の中では、報復なんて果たされていなかった。
どうして私が、「限界まで溜め込んでから暴力に訴える」という様式を採ったのか。
それは、「自分が反撃したのは、相手があまりにも酷いことをしたものだから、つい衝動的にやったことであって、決して自分の意志でやり返そうなんて思ったわけではありません、だってやり返そうなんて思ったら相手と一緒ですからね」という逃げ口を確保するためだった。
結局私が自分の意志で他人に何か報復を加えたことは人生に一度もない。怨み、怒り、憎悪、人間が持っている当然の感情を、「このどす黒い感覚を目の前のこいつにぶつける事こそが他ならぬ私自身の意志だ」と堂々と他人に向けた経験がない。
この人格は絶望的に抑圧されている。
あの頃の鬱憤は、あれから10年が経とうとする今でも全く晴らされてない。
だから、こうやって今でもあの頃の怨みを夢に見る。

今日は厄日だ。

つらい時に楽しいはずのことをしてはいけない

つらい時に楽しいはずのことをしてはいけない。

読書、勉強、ありとあらゆる趣味。
あなたが何故それをしているのか。
楽しいからのはずだ。
バチバチした楽しさは無くても、長期的に見て楽しいからのはずだ。

「バチバチと楽しいわけじゃないけど、のんびり楽しいもの」。
そういうものを、辛い時にやってしまうと地獄を見る。
ゆるやかな楽しみを、苦痛が上回る。
その内、脳味噌に、「これをやるのは苦痛」という、すごく間違った恐怖が、植え付けられる

あんなにつらい思いまでして言語学の本なんて読むんじゃなかったんだよ。
吐きそうになりながら、「これを楽しめないのは自分が勉強不足なのが悪いんだ」なんて自分を責めながらあんなことをするんじゃなかったんだよ。
英語を読んだり勉強したりするのがすっかり苦痛として認識されるようになってしまった。

ここのところは、「勉強、読書 = 苦痛」 みたいな間違った感覚が、だいぶ取り除けていて、心から楽しめていたはずだったんだけど、
風邪で、頭がガンガンして、熱もひどくて、集中なんて出来やしないのに、これ以上休みたくないものだから、下手にやろうとして、すごく辛くて、だめだ、あの頃のうつの感じが、蘇ってきてる。
風邪の時は落ち着いて、ゲームでもしてなきゃだめだ。
プロフィール

ルーミア厨

Author:ルーミア厨
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