今更だけど東日本大震災やその他の巨大災害について。

そういえばこっちの日記は12月07日から更新してないんだっけ。
何があったか知らない人もいるかもしれないから書いておこう。

12月6日に恋人のご遺族から私の恋人の訃報があった。命日2017年12月05日。
原因はどうあれ、病気を隠していたのが恋人であれ、私のせいだ。
その辺のくだりは@panicmissileの方に死ぬほど書いてあるのでまぁ興味があればtwilogとかで該当日あたりからという感じ。

なんか恋人が自分のせいで死んだ割にはやけにアッサリしてるなと思うかもしれないけど、私もそう思う。
絶望は1週間程度保ち、その後、偏執に変わった。
家族からは訃報だけが伝えられて、その後一切の連絡手段を絶たれ、私は墓を参ることも、葬儀に参列することも出来ず、
ただ、恋人が死んだという事を確認出来ないでいる。

生きている可能性なんて無いのに。

そして12月6日から1週間程度経ち、鬱病も相まって脳の機能が完全に破壊され、狂気の塊と化した私が何をしているか。

墓を探している。

警察も病院も、興信所すらもハネられた。
墓探しは親族じゃないと依頼できないらしい。なんだそれ。誰が使うんだ。

もうだめなんだ。
死んだという事実をこの目で確かめないと。
できれば骨が見たい。
でもそれは勝手にやっていいことじゃない。
せめて墓をこの目で見なければ。
彼女が死んだことを認識しなければ。

私の中でこのことは永久に終わらない。

あれからずっと悪夢を見ている。
初めは私のせいで恋人が死んだことの夢だった。
最近では研究できないことや、全く関係のない悪夢を見ている。

私はもう分からない。

ただ、人間の死は、確認できない死は、人間を取り憑かせ、脳を徹底的に破壊し、その人間から残りの人生の全てを奪う。
その人間が死んだという事実を確認するためだけに、残りの人生を全て使わせる。
そこにもう、何の感情も残されていない。
脳が完全に破壊されて。

東日本大震災。あるいは過去にあったたくさんの巨大災害。
いつだってそうだった。
何年も何年も遺体を探している人達がいた。
10年や20年、探している人もいた。

そうなのだろう。
確認できる人間の死は、克服できるか、あるいは一生目を背けて生きていられるか、あるいはトラウマになるにしても、こんな狂気に取り憑かれて生きることは無いのかもしれない。
確認できない人間の死は人間を狂気に陥れる。
その人間から人生のすべてを奪う。

私は新聞記者が嫌いだ。
奇しくも今日、東日本大震災、あるいは地下鉄サリン事件、遺族の方のインタビューが乗っていた。
東日本大震災の方のご遺族の方は、遺体が発見されていなかった。
まだ、探していた。
それを新聞記者は「ご遺族の悲しみを後世に残すために~」だのなんだの言っていた。

死ねばいいのにと思った。
私達が取り憑かれているのは純粋な狂気だ。
もう理由なんてない。
大切な人が死んだこと。
それを確認できないこと。
大切な人が死んだことを悲しめなくなった自分に悲しむことすらも出来なくなったくらいに脳が壊れること。
それが私達の痛みだ。

死んだことを覆しようのない事実として確認する。
ただその目的だけが脳を支配してそれ以外の事を何も出来なくさせて人生の時間の針を永久にそこで留めてしまう。

確認不能の死というのはそういうものだ。

そこにもう悲しみはない。

これはただの偏執と狂気だ。

私がこれから先何人の人間に嫌われるのか分からない。

だけど私は誠実であらねばならない。

私は全く正義のためにも何のためにも行動しない。

ただ単に自分のせいで恋人が死んで、それで気が狂った人間が、偏執に取り憑かれて他人に迷惑をかける、
これはそれ以外の何物でもない話だ。

遺族の悲しみとかそんな単語で誤魔化す記者なんて全員死ねばいい。
私たちは最早悲しんでなどいない。ただこの苦しみからの解放だけを望んでいる。

だから彼らと私は今日も、遺体と墓を探し続けている。

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