私が毒を吐かなくなった理由。

かなり前に、年単位で自分の昔の日記を振り返る機会があった。
ページをめくりながら、「昔の自分って本当に正義感が過剰で超巨大社会悪に苛立ちをぶつけるような事が多かったんだなぁ」ってびっくりした。いや、もちろんその傾向は今でも変わらないし、今でもたまにこの日記で毒を吐くけれど、昔は今なんかより遥かに毒が強かった。最早アレは、丸くなっちゃった今の私が生まれや人生や不出来な日本のシステムを嘆いているとかそういうレベルではなくて、それこそ刺し殺す勢いで世界を怨んでいるようなそういうレベルの生き様だった。(……これは今でも、ありとあらゆる意味でそうかもしれないけれど。)

いずれにしても、それから後の私があまりそういう事を前より頻繁には書かなくなったのには、明白な理由と転機があった。
きっかけなんていつだって些細なものだ。私を変えてしまったのはたった数行のTumblrのreblogだった。
もうそれが誰の発言だったのかすら覚えていない。テレビの芸能人か何かだったのは覚えているが、しかし私は芸能人の名前は覚えていられないし、そして誰が言ったかなんてのはどうでもいい。大事なのはその内容だった。

「最近世間で『毒舌キャラ』とかいうのが流行っているが、ああいうのは単に下衆な事を言っているだけで毒舌とは言わない。下衆な事を言うのなんて誰にでも出来る。本物の毒舌の人は、これは直感に反するかもしれないが、本当は褒める点において一番上手い。そして褒めるのが上手いからこそ、その人間が毒を吐いた時に際立つ」

当時日記で毒を吐き続けていた私にとってこの言葉は大変衝撃的で、また自分自身に対してある種の落胆を感じさせるものだった。あの時以上に過去の行いを悔いたことは滅多に無い。
そう、下衆な事を言うなんて誰にだって出来る。「本当は皆が思っているけど言うまでも無いことだから誰も言わないだけの本音」をご丁寧にもあけっぴろげにすることなんて誰にも簡単にできるのだ。それこそ私にだって出来るくらいには本当に簡単だ。
それから私はあまり毒づくのをやめて(いややめられてないけど)、出来るだけ自分の好きな作品を褒める事に注力しようとした。あるいは、自分の人生を嘆くだけに留める事が多くなった。その成果が実っているのかは分からない。分からないけど、もし少しでも成果を上げているのなら私は幸運に思う。

「褒める」なんて言うと聞こえが悪いが、これはあくまで「自分の受けた感動を他人に伝える・共有する手段を磨く」という意味で、好きじゃないものを好きという技術なんてどうしようもないものを求めてるわけじゃない。それに、そんな事は作品を作った人間が一番望まない。

ちなみに白い方の日記を始めたのはそういう理由では全くなくて、あれは元々鬱病の闘病記として始まったものだ。第一上の引用を見たのは、白日記が始まる何年も前のことで、何かを褒めようとする練習は、最初はtwitterでゲームの感想を言ったりすることが主だったはずだ。
そして「練習」で感想を書くだなんて作品を冒涜するような行為ではなく、私が本当に心から感銘を受けたときに、その感動を少しでも他人に伝えられるようになっているのなら、それは本当に嬉しいと思う。

人生は限界だけれど頑張って生きていきたい。

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