承認の糸

人が怖い。怖い。人が怖すぎてたまらないあんな教室に閉じ込められてあの人と一緒にあの人と一緒にしかも見つめられながら僕は彼を見つめながらあの人を見つめながらずっとずっと過ごすだなんてそんなこと耐えられるわけが僕の精神がそんなことにたえられるわけがどうしてもいやだもういやだそんなことをしていたくはないのだ誰か助けてくれお願いだからだれか助けてくれ承認なんて要らないそんなものはいらない人から認められようだなんて馬鹿な事は思わないから誰かこの人間関係をリセットしてくれ誰か誰かああああああれはそうあの寒い日のことだった冬期講習のことだった理由は最早忘れてしまった僕は何も思い出せない時折尋常じゃなく気分が沈み何も出来なくなる事がありさらに悪いのは回復してしまうといったい何に関して悩んでいたのかがまるでわからなくなってしまう少なくとも冬期講習の日の僕には休む理由なんて一つもなかったはずなのに何故あの時の僕が授業を欠席したのかまるで理解出来ないがそんなことは前にもあったどうしてあの時休んでしまったのかそう思い返すことはなんどもあったいくらでもあった本当に数えきれないくらいに僕は原因不明の欠席を犯していたなのにわからないのだまるでわからないのだどうして僕が意味のわからない欠席をしているのか理由がまったく思い出せないのだそういう日はたいてい寝込んでいるのでパソコンに向かっているわけでもなく、あるいはせめてもの慰めにここに文字をぶちまけていることもあるのかもしれないがそういう時に書いた文章というのはあまりにも支離滅裂で、そう丁度この文章みたいに何が書きたいのかもわからず後から読んでも何に関して苦しんでいたのかまるでわからないようなものばかりであって結局役に立たないのである
書いていたらそんな事が分かったのでとりあえず今日欠席した理由についてここに記しておくことにする原因は紛れもなくあの冬期講習を休んでいたことそして先週欠席したことその二つが原因であって冬期講習の欠席のせいで先週は顔を出せずにいてそして今日もまた顔を出せずにいたのだ冬期講習を欠席した理由についてはまったくもってわからない。わからない。何もわからない。わからないわからないわからないわからないわからないわからない。そして今日も休んでいる。ああ、そうだ。あれは確か去年の9月くらいのことだった。あのころはまだあったかかったね。僕は先生と約束を取り決めたのだ。1週間に1回とある参考書を回すのですと。それは正直言ってあまり苦痛なことではなかった。1日に1時間か2時間あれば一周するのは極めて容易だった。年末までに9回は回そうと。そういう風に意気込んだ。意気込んだけど僕の意思は何度も書いたように薄弱で、とてもじゃないが残り3ヶ月も保てるような気は微塵も起こらなかった。そこで僕は自分の承認欲求を利用することにした。僕の世界で何番目かに敬愛している偉大な先生と約束を。講師室に入る前には心臓の高鳴りが収まらなかった。これから僕はあの悪魔に会いに行くのだと。この世で最も恐ろしい生き物と駆け引きをしてくるのだと。僕より前に入った生徒は悪魔と楽しそうに談笑をしていた。それを後ろから眺めているのも気まずかったので手前の教務で入塾要項を読んでいるフリをしていた。前の生徒が出てきた。僕の足は立ちすくんだ。それから5分ほどずっとそこに立っていた。どうやって決心したんだろうな、今の僕なら間違いなく帰ってるよ。それでもあの時の僕はやったのだ。勇気を振り絞ったのだ。あの恐ろしい悪魔に目と目を合わせて向きあって怖気付かずに話し合いながら最悪の契約を取り交わして。それを守ったのだ。1ヶ月ほど。あの人に嫌われたくない。あの先生に良い生徒だと思われていたい。それだけを原動力にしていた。我ながら馬鹿な考えだと思う。でも多分、去年の9月の時点で自分の承認欲求が莫大すぎることには多分気付いていたのだと思う。ブログを書きだしたのが6月の事なのでそう認識するに相違ない。だからきっと、それを利用しようとしたんだ。成功してたね。しばらくは。なんで崩壊したんだっけな。どうして続けられなくなったんだっけな。これも覚えてないや。あはは。何が原因だったのかまったく覚えてないや。覚えてないや。日記って大切だよね。例え負の感情しかぶちまけられてない廃棄物の塊でもさ。一時的な記憶を永久に留めておくのって凄い大切な事なんだよ。やっと気付いた。僕は半年無駄にしたのだ。あの時の失敗の理由がまったく思い出せなくて。ああ、なんだっけ?本当に、なんだったっけ。
僕の承認欲求は大きいわけじゃないんだ。底が抜けてるだけなんだ。自分に自身がない。自分で自分を価値のある人間だと思えない。だからいくら承認されても満たされない。そういうわけらしい。でもどうやら、それ以上に気持ちの悪い性癖が僕の心の中には渦巻いてるらしかった。人から嫌われたくないのだ。僕は人目を異常に気にしている。人から見られてると思っただけで頭が動かなくなる。自分がどこを見ているのか悟られたくないのだ。歩く時は人の倍くらいの速度で歩くか人の半分くらいの速度で歩くかの絶対にどちらかで。後を付けてると思われたくない。電車の中で本を読むのなんて乗客の誰かを見つめていたら不快感を感じさせていると自分が思ってしまうのでそれを避けるために目線のやり場を作っているに過ぎないし内容なんて一文字も頭に入ってこない。かといって両隣に誰かが座っていると、本を読んでいれば「気取ってやがる」と思われるのが怖くて迂闊に開けないダブルバインドに挟まれて。自分の中の他人はあまりにもどす黒すぎる。何もかもが悪意を持っているように感じる。みんな素知らぬふりをしておきながら腹の底では僕のことをあざけわらっているのだ。そんな風に感じてしまう。別に過去に対人恐怖症に陥るような事件があったわけじゃない。虐められていた事はあったけどあれは今思い返せばどう考えても自分に原因があったとしか言わざるを得ないもので人間に不信感を抱くような事件じゃなかった。それでも人は信じられない。自分があまりにもゴミのような人間過ぎるのだ。何かあればすぐに他人を見下して。自分が何も出来ないクズのような人間だなんて嫌というほど分かっているのに。小さい時に僕のことを頭がいいと思わせ続けてたあの人の事を正直今では心底恨みますよ。死ねばいいのに。いや僕が馬鹿だったってだけなんだけどさ。そんな事にも気付けないでいて。まあそんなわけで。見下し癖がいつまでたっても消えないのである。三つ子の魂百まで。自分がそんな人間だから。他人もそうに違いないと。僕を見るたびに僕の欠点を目に留めてそれを花で笑うような人間に違いないのだと。違いないのだと。そんな醜い人間なんて自分くらいのもんだって嫌というほどわかってるけど。わかってる、のに。


どうでもいいけど「相成れない」じゃなくて「相容れない」って言うのを昨日知りました。死にたいです。

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No title

同じような経験というか思考があるような気がしないでもなくて、でも同意やら助言っぽい何かを言おうとしても、そういう事は百も承知で書いてるんだろうなぁ、と思うので、こんな曖昧な感じでなんとか。
気軽に同情すると「お前なんかに~」とか言われそうで怖いからできないんですよね。そんな事言われるわけないのに。だからごめんなさい。「見てますよー」ぐらいの意思表示しかできません。自分大事。

No title

本当に無気力になると本も読めず音楽も聴けず何もする気になれないので、部屋を真っ暗にしてベッドに寝ているだけということが私も時々あります。何に悩んでそうなるのかというのは本当に些細なことだったりしますが。これはちょっと楽観的な考えかもですが、先生も受験生のプレッシャーは理解してると思うので一時期冬期講習に来なかったというのは責めないんじゃないかと思います。教室の規模が分からないのでこれは憶測ですが……。このまま教室に行かなかったら罪悪感や無能感が募ってくばかりだと思うのです。時間が取れるならば講師に今までのことを謝ってみるのもいいかもしれません。自分の中ででもけりをつけられたなら少しは気が楽になるかもなのです。そうでなくてもとりあえず教室の席に座るまでは自動機械のように何も考えず、とにかく行ってみるというのは大事かもしれません。

たとえそれが好きな人相手であろうと機嫌が悪いときは、私もその人のことをつまらない人間だとか思ってしまったりもするのです。そういうことを考えてしまう自分を嫌悪したりもします。でもそれはいつもでしょうか? いつも他人を見下すということはないと思うのです。たまに私にかけてくれる言葉は嘘ですか? できれば嘘じゃないと信じたいのです。心持によって人に対する見方も全く違ってきます。いつもそう感じてるわけではないのなら、それは気分に依存しているのであって、いわば生理現象みたいなものだと思うのです。人間性や根がくずだからとかそういうのじゃない。もしかしたら常に人を尊敬できる人もいるのでしょうけど、そっちの方が特殊です。そういう考え方が出来るような訓練の結果じゃないでしょうか。みあちゅさんが特別醜いのではなく、私含めて多くの人がそうなのだと思うのです。対人恐怖症もそうです。日本人は多くの人が抱えてる問題です。特別なきっかけがなくてもそうなることは大いにありえます。とにかくも自分のいやなところを自覚しているというだけでも、まだ改善の可能性はある方なのではないでしょうか。
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