うつを治すために日記を書こう!

というわけで日記を書くことにした。

しかし私が大昔に書いていたような価値のある日記は今の私には書けないだろう。
大学生だった頃の私の日記はそこそこ面白かったと思う。自分で言うのは難だけど実際評判は良かった。
(休学中なので書類上はまだ大学生なわけだが。)
ただ、もし興味があってこの日記を掘ることがあってもせめて2013年あたりまでにしておいてほしい。高校生の頃(2011年)は完全に黒歴史なのでマジで辛いので絶対にやめて欲しい。昔僕っ娘をやっていたので一人称が普通に僕だったりする。今見ると頭が割れる。パカッと。スイカ割りみたいに綺麗に。

私がこのブログの事を自分では「ブログ」と呼ばず一貫して「日記」と呼び続けるのは上のような理由があったりする。今のこの日記に価値なんて無いからだ。そしてそれは昔からずっと変わらない。
大好きな方から良い評判をいただけたりして、その時は嬉しかったけど、だけどやっぱり、自分の書く文章に自信を持てたことなんて一回も無かった。だって、文章についてのきちんとした研鑽をしていない。訓練して小説をちゃんと書いてるフォロワーの方々と比べたら雲泥の差。
だから私はこんな駄文の集合体に「ブログ」という高尚な呼称を使うことに凄く気恥ずかしさがあって、日記と呼び続けている。
しかも最近は昔と違って面白い話題も提供できずただの鬱病闘病記と化していて駄文度の加速が止まらない。
(でも依然として読んでくれる人がいるので嬉しい。ありがとう。)

そんな駄文の山でも、日記を書くことには二つの利点が依然としてある。

一つは、当時自分がどういう事を考えていたのかが後で分かるということ。
ついったーは、後から見返すことが出来ない。やろうと思えば出来なくもないけど、自分の紡いだ人生の歴史として扱うには致命的に向いていない。
やっぱり自分が生きた証を残すには日記に限る。
自分で振り返って、「ああ、この時期の自分は、こんな事を考えていたのか」と感慨にふけることも多い。鬱病が激化してからの記録は特に。
もし私が「貴方の人生で最大の財産は何ですか?」と聞かれたら、間違いなく「高校生の頃からつけているこの日記」と答えるだろう。

二つは、どんな駄文の山でも、まぁとにかく溜まるということだ。
書けば溜まる。なんとなく充足感がある。これは鬱病の治療に極めて効果的だ。だから再開することにした。できるだけ毎日書きたい。
ただそれは、逆に言うと1日記あたりの質を落とすというわけで、駄文度は更に加速した(ブロント語)。
というわけでまぁこれから駄文の山が大量にこのブログを埋め尽くすわけだが、読んでくれる人なんて誰もいなくなってしまうかもしれないのだが、そんな事はどうでもよいのだ。



だって、日記は本来誰のためでもなく、自分自身のためだけに書かれるべきものであるのだから。

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