脳みその、神経の束を、こう、グイっと。

今日発達の方と話して、発達特有の他人には理解されなさそうな感覚とかについて考えていたのです。

私には幼い頃より酷いフラッシュバックの癖があります。それは主に人前で恥ずかしいことをしてしまった経験だったり、大切な人に嫌われてしまうかもしれない経験だったり(twitterのフォロワーと予備校の先生が主でした)、失言であったり、まぁそのようなものです。
これだけなら誰にでもあることなのでしょうが、私の場合の問題はそれが度を越しているということなのです。
高校生の時分に1度だけ数えた事があるのですが、1日に72回のフラッシュバックに苛まれていました。あまり意識すると回数が増えると言われて1日でやめましたが、まぁ毎日大体そのようなものでした。そして私はその1回1回の度に叫び声を上げそうになり頭を抱えるのです。意識に真横からトラックが突っ込んできて吹き飛ばされるような感覚ぞするのです。
こんなことにまともに取り合っていたらとてもではないけど生活など出来ないのです。だから私はこのような発作に対する、誰にも伝えられないような特殊な方法を編み出さざるを得ませんでした。
どう伝えたらよいのか分からないのですが、神経の束をこう、グイっと、脳の隅の方にやるのです。医学的にはありえないのでしょうが、体感としてそんな感じです。このようにすると、意識の外に記憶が投げ出され、意識を取られるのは一瞬で済みます。私はずっとそうやって過ごしてきました。

その代わりに、私はありとあらゆるトラウマと向き合うことを放棄しました。どうせ向き合ったところで解決される事は無いのです。分かっているのです。

問題はこれを、私が鬱病の療養と、抑鬱の発作を止めるためにも使ってしまったということです。
人生について考えたり、将来について考えたり、生活について考えたりすると、一撃で抑鬱が発動して、一日から数日は生活が無茶苦茶になります。
鬱病の症状を止めるのはフラッシュバックを止めることなどより遥かに難のあることでした。私は結局、抑鬱を日常的に引き起こさないために、休学してから2年、途中から精神科に通ってさえ1年の歳月を費やすことになったのです。

そしてそのような問題の多くは、結局、フラッシュバックと同じであり、意識の外にぶん投げられて、向き合われることが永久に無いのです。
これについてはフラッシュバックと違って、向き合わなければ解決されない問題であるにも関わらず。

この前、とある方に、泣きついてしまったのですが(おつきあいいただき、大変申し訳なく思います)、ただ自分の人生について振り返っただけで、私はこの半年で恐らく最悪の抑鬱を引き起こしました。
私がいかに意識の奥底まで沈めてしまって考えないようにしていたのか、目を背け続けていたのか、実感させられる出来事でした。

それ以来というものの、私は最近たまに人生のことについて考えようとするのです。

でも、それはすぐに上手くいかない事が分かるのです。

この感覚は、多分、誰にもわからないのです。いえ、わかるのかもしれません。

私が人生についての記憶を呼び起こそうとすると、凄く「重い」ものを感じるのです。

海の中に沈んだ何かを拾い上げようとしたら、一見では一枚の布にしか見えなかったそれに、水底から何百何千もの触手が絡みついていて、「ずっ」と重いものを引き上げるような音がするのです。
私はその瞬間に、フラッシュバックを放り投げるように(幸いなことに引き上げなくて済むのです)、身の危険を感知して、反射的に、それから手を離して再び水底へと沈めるのです。
これを引き上げてはいけない。引き上げたら脳みそが鬱に染められる。また私の景色は灰色の地獄に染め上げられる。何も感じられず、笑うことも、怒ることも、感動することも出来なくなる、あの頃に戻ってしまうのだと。

私にはもうどうしたらよいのかがまるでわからないのです。

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