発達障害系団体、かつての身体障害者団体、そして現在のLGBT系団体が何故あそこまで過激になってしまうのかについて。

日記のタイトルにかなり曖昧な単語が並んでいるが、要するにマイノリティの団体全ての事だと思ってもらえればいい。正確に全部網羅するには、あまりにも病気の種類が多すぎる。
そしてその種類に関わらず、一様に彼らの発言の多くはとんでもないものである。

この時点で同意されない場合は、以下の文章を読むよりは他のことをした方がいいし、そもそも元々駄文の塊なのだが、いやいずれにしても、
彼らの発言は概ね非常にとんでもないものである[要出典]。

しかし私は、彼らの主張がどんなに理に敵わないものでも、知性の欠片もないものでも、過激な思想に染まったものでも、それが本当は本心でないことを、本人自身がそんな主張を望んでなどいなかったはずだということを、知っている。
それがとても哀しい理由によって発せられた、嗚咽にも近い叫び声であることを、知っている。

これは恐らく、当事者にしか分からないことである。
私は重度のうつ病であり、また広汎性発達障害とLGBTに属するものであり、また身体的能力が異常に低いという点においては、既に身体障害に近い状態にいる人間である。

だからこそ分かることがある。

マイノリティを集めた団体が何故全てあそこまで過激になってしまうのか、何故「平等」以上のものを求めてしまうのか、あるいは機会の平等と結果の平等の違いも分からないのか、何故「配慮」「無理解」という無敵バリアで道理の通らない主張を公然としてしまうのか、当事者だから分かることがある。
その裏に潜んでいるのはとても哀しい、当事者以外には恐らく分からない、哀しい事情なのである。

一応述べておくと、私自身としては、ああいう人たちのことを、申し訳ないがちょっと頭のアレな人たちだと思っている。
だが、その事情を知ってからは、身をもって体験してからは、もはや彼ら彼女らを容易には軽蔑出来なくなってしまった。
たとえ一見ではどんなに頭がアレに見えても、少し裏を覗けば、それはあまりにも、あまりにも哀しい物語なのだ。

これを健常者の人間が理解する為に、一例として私の身の上と、この2年間の生活について話したいと思う。

私のうつ病が始まったのは中学生の時期に遡る。広汎性発達障害とLGBTの複合により、定期的に抑うつ状態に陥るようになり、恐らく高校生の頃にうつ病の段階に発展し、大学の途中で、私はキッチンで突然倒れて30分動けなくなったり、道端で突然泣き出したり、全身の力が急激に抜ける発作が起こり安全に歩行することも困難になってしまった。椅子に座ることすら叶わない日が半分を越えるようになった。一日の睡眠時間は12時間から14時間程度になった。そして精神上の症状は更に酷く、最も酷い時期には、ただ天井を16時間見、8時間眠り、天井を16時間見、8時間眠る、それだけの生活がずっと続いた。私は休学せざるを得なくなった。あれから2年が経ってやや回復したが、それでも椅子に座れる時間は長くないし、将来的に働ける見込みは、全く立っていない。

そして今は両親に養われ、「療養」と称してひたすらゲームをプレイして日記を書くだけの日々が続いている。

それがうつ病の治療の姿勢としてどんなに正しいものだとしても、
これがどれほど惨めで虚しい日々か貴方は分かるだろうか。

私には、Steamで安いゲームなら買えるだけの資金が両親から支給される(この安いというのは300円以下のラインであり、500円以上のゲームを購入するときなど手が震える)。親は私の事情について全てを理解しているので、最もうつ病がひどかった頃の私がいかに大変な状態だったかを知っているので、何の催促もすることもなく、ただ死なないでいてくれればそれでいいと言ってくれている。そして、私の療養に必要な資金を出してくれている。額についての言及は人によって思うところがあると思うので控えるが、少なくとも残高が増え続けるレベルで私は親の金を使うことに罪悪感を抱いている。

しかし資金面で苦労していないだけでもこれは非常に恵まれた環境であり、そしてだからこそ、私はあまりにも辛い。

私は鬱病の療養に、処方箋と薬代で月に6400円ほど支払っている(上の支給額とは別である)。とある制度のおかげで2000円まで減額されるが、言いかえれば私は社会保障費を食いつぶしている。そして極限まで弱まった体の免疫系が些細なきっかけで風邪等の不調を起こすたび、私はまたいくらでも社会保障費を食いつぶす。私は両親にとっても社会にとっても、何も生産しない金食い虫でしかない。
そして、私のタイムラインの人間は、あるいは大学の同期は、みんな働いていたり、大学院にいたり、あるいは働きながらも創作や勉強と研究を続けたりしている。
それに比べて私は、脳の調子が悪いなどと宣い、起きてからまともに動くまでに3時間はかかり、調子が出るまでにまた3時間かかり、調子が出たと思ったらゲームをして駄文を書き、それだけで1日が終わる、そんな日々を過ごしている、それどころか日によってはそれすら出来ない。例えそれが全て事実であり、先天性の病気と鬱病に全ての原因があるのだとしても、私は、とてもではないが世間の皆様に顔向けが出来ない。特に過酷な環境にある鬱病の方には、顔向けなど出来るわけがない。

みんな、がんばって生きている。
私と違って。

例えどんなに身勝手な感情であっても、これがどれほど辛い感情を一人の人間に与えるものかは、恐らく想像が可能なことだと思う。

私は両親にも他人にも、療養の資金と社会保障費という形で迷惑をかける存在でしか無いし、もっといえば、働ける見込みのない私が人並みの承認欲求を満たすことは、働きながら戦って折れずにいる全ての人への無礼にあたることになる。

この罪悪感をどうしたら良いかあなたは分かるだろうか。
そして私がこんな事になってしまったそもそもの原因を、少し思い出してみてもらえないだろうか。

そう。

解決策はもう二歩先にあるのである。

一歩目。
まず、全て広汎性発達障害とLGBTが悪い。
私がその両障害を先天的に抱えることさえなければ、私はこのように、他人に迷惑をかけながら、惨めな人生を送ることなど絶対になかった。
しかし両方とも、少なくとも私が、そして彼ら彼女らが生きている間に治る見込みのないものだ。

それならば、せめて私たちの人生を少しでもよくするために、私たちに何が出来るだろうか。

決定的な二歩目。
それがつまり、罪悪感の除去である。
自分自身に言い聞かせるのである。



「そもそも全部先天性の病気が悪い」
「そして、先天性の病気がたくさんあることなんてとっくに知られているのに、何の配慮もしない無理解な社会が悪い」
「私は他人に迷惑なんてかけていない、これは全部当然のことだ」
「ありとあらゆる階段の脇にスロープを要求するのも、足のない私が駅のホームでエスカレーターを使う度に駅員を呼びつけるのも、これは障害を持った私に対する当然の配慮であり、私は人に迷惑などかけていない」
「私は社会保障費を食いつぶしてなどいない」
「私の子供が授業中に走り回ったりしただけで咎められるのはADHDに理解のない学校が悪い」
「同性愛を気持ち悪いと思われるのは社会が悪い」
「私が不愉快な格好で街を歩いたり公衆トイレを使う時に人がビックリするのは理解の足りない社会が悪い」
「何もかもが先天性の病気なのだから、病人は全て健常者がサポートして当然であり、それに文句を垂れるような人間こそが心無い邪悪な存在なのだ」



「私は」



「人様に迷惑なんてかけていない……」



罪悪感を除去したければこのような思想に走らざるを得ない。
彼ら彼女らのあのような過激で知性の欠片もない主張は、その人生が「惨め」という一語に尽きることの全くの裏返しであり、猛烈な罪悪感を除去するがための、必死の悪足掻きなのだ。あれは最早、社会との戦いではない。自分の心を嘘で塗り固めるための、視界を欺瞞で覆い尽くすための、他ならぬ自分自身との戦いなのだ。

私は自分が他人に迷惑をかけるだけの存在であることを、ただのゴミであることを、何の取り柄もない怠惰で屑な人間であることを、先天性の病気がいくら関与しようとも、受け入れている。
しかし全ての人間がそれを出来るわけではない。

彼ら彼女らの活動の成果について、身体障害者についてはそれは成功したように思える。今やありとあらゆる階段にはスロープがあり、あるいは係員を呼ぶことが出来る。一般的には心情的にも配慮がなされ、彼らはそれほどの罪悪感を感じなくて済むだろう。
発達系やADHD等についても、成功とはいい難いが、社会に概念を浸透させることには少なくとも成功したように思えるし、それが先天的なものであることは認められてきていると思う。LGBTについては、正直過激すぎて失敗していると思うが、これはキリスト教圏や他の問題が関わったり誰から思想を輸入したかが問題になるため、コメントを控えておく。

しかしいずれにしても、

私達の人生は惨めだ。
どんなに努力しようと成功を手に入れようと、
先天的なたったそれだけの障害が故に、私達の人生はどこまで行っても惨めだ。
他人に迷惑をかけ続け、罪悪感に心を押し潰されるだけの、たったそれだけの人生でしかない。
あるいはこんな日々は、最早人生と呼ぶに値しない。

長い年月をかけて、私はそれを受け入れている。

だがその受容が私に可能だったのは、私の人生が生まれつき悲惨だったからであり、小学5年生の時に既にいじめで引きこもりと化し、人生とはこのようなものなのだという価値観を幼少期に形成してしまったからであり、健常に育ってしまった人間の多くはそうはなれない。

発達系/LGBT系の馬鹿みたいな発言を私は死ぬほど見てきたし、これからも見ることになると思う。
そして実際問題として、彼らの頭は本当にかなり悪いのだと思う。
だけど同時に、私は彼らを責めることも安直には出来ない。

私は知っているからである。

その激情的な発言が、他ならぬ本人自身の罪悪感との戦いによる産物であり、惨めでしかない人生を受け入れるための、せめて罪悪感を除去するための、しかも先天性の障害であるが故に誰かを恨むことすら敵わないがための、泣き喚きながらの自分への必死の言い聞かせであるということを。

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