分からない。
ああ。どうしてこんな事になってしまったのだろう。
それが分かったら誰もうつ病患者は苦労なんてしていない。
原因なんてないんだ。
ただ単に周期的におかしくなる。それが分かっている、ただそれだけなんだ。
ああ。
明日はサインバルタをもらいに行こう。
でもそれで何が解消するのだろうか。
意欲が無い。
これはノルアドレナリンの方なのかセロトニンの方なのか分からないし、というか、他の何かなのかもしれないし、
ああ、もう、
考えるのが嫌だ。
つらいんだ。
もう分からない。
甘いとか寂しいとか、そういう感情を私は羨ましいと思う。それを人に伝えられる言葉があるから。
うつ病患者のこの感覚は、伝えられないんだ。
ロボトミー手術を受けた人の言葉を思い出す。あの人は確か施術医を殺害していたのだったか、それとも自殺したのだっただろうか。
その人は夕暮れが照る美しい海を見た。
そして、それが美しいということは分かったのに、何も感じなかった。
「こんなにも美しいものを見て何も感じないのなら自分はもう人間ではないし死ななければならないと思った」──
印象深い意味不明な言葉というのは何故かよく記憶に残るものだ。
今ならあの人の言っていたことが分かるんだ。
今日Evolandっていうゲームをやったんだ。
面白いゲームなんだろうなって思った。面白いゲームなんだろうなって。
でも面白くないんだよ。
そのゲームが面白いゲームであるはずだし自分が面白いと思うタイプのゲームでもあるはずだという事を脳が判断出来るのに面白いという信号や感覚が脳に伝わってこないんだよ。
それを感じられないんだ。
こんな時にゲームを見つめていると状況はもっともっと悪い方向に進んでいく。
私ってなんのためにゲームやってるんだっけ。
楽しいとき、なんのためにゲームやってたんだっけ。
終わらせるため?
療養のため?
日記を書くため?
終わらせて何になるの?名作を何個やったからといって、それが何になるの?私達はみんな死ぬのに。
療養してどうするの?私達はみんな死ぬのに。
日記を書いてどうするの?私達はみんな死ぬのに。
そんなこと人間が問うべき質問じゃないって、元気なときの私は答えると思うよ。
私は知識として知っているから。今、私がその答えを言うことは出来ないから、元気なときの私の記憶を引きずり出して、代わりに答えるよ。
「健康な人間はそんな事考えやしないよ。だって、楽しいんだから」。
それともそれは健康なときの私がおかしいのかな。
楽しいという感覚を年単位で奪われているから、そのことしか考えられなくなってしまったのかな。
分からないや。
ゲームをやってアニメを見て、あるいは小説や映画や音楽のようなものだったり、あるいは研究だって創作だってなんだって、同じだ。
意味を考える時点でもう間違ってるんだよ。
人生の意味なんて考える時点で間違ってるんだよ。
だけどうつ病になると考えるしかなくなるんだよ。
だって何をやっていても楽しくないのにそれらを全てやらされるんだから。さもなくば待っているのは自殺だけなのだから。
そしてやって時間だけ潰していると「これに何の意味があるんだ?」って問い始めるようになるんだ。
なあ、今日、漫画読んだだろう、楽しかっただろう、うん、楽しかった、だけどその後体調が余計酷くなっちゃった、何の原因もなくね。そういう病気だから。
漫画読んでる間に何かそういうこと考えてたかな、この楽しいに何の意味があるのとか、仮に寿命が無限にあってこの世の作品を全て楽しむことが出来たとしても果てに何の意味があるのとか、そんな事考えてたかな。考えてなかったよね。
人生は短すぎるよ。もうゲームすら過去の名作を全部遊びきるのが不可能な世の中になっちまったんだぜ。
だけどそんな事を気にしながら取り憑かれたようにゲームをコンプリートしていく哀れな人間がいるのかな。小説でもなんでも、いるのかな。
そんなこと気にしている人、いないんじゃないのかな。
単に寿命のある限り楽しいを享受して、それで死んで満足するんじゃないのかな。
研究は、ちょっと違うかもしれないね。100年後の数学や物理学を知りたいと悔しんで死ぬ人は沢山いるだろうけど、100年後の小説を読みたいと悔しんで死ぬ人は、あまりいないだろうから。数学も物理学も、私の専攻とは全く、全くもって関係ないのだけどね。
でも私は少なくとも100年後のそれを知りたいと思ってなどいなくて、ただ楽しいからやっている人をたくさん知っているんだ。
あるいは、それしか楽しめない人を、あるいは過去の私を。いや、今の私だって、誤魔化しているだけで、いつかきっとまた戻れるはずだと思っていて、だから正気を保っていられて、それが何年先になるかも分からず、寿命と若さはもう戻らないし、私の満足することはきっともう私の人生では出来なくって、療養している最中でさえ、それに私のゲームのピックの偏り具合を見てみればいかにそれが代替品でしかないかが分かって辛いんだ。
ああ、だけど。
もうなんだっていい。
楽しかったら。楽しいことが出来たら。誰もそれがなんのためにあるかなんて、人生の意味とか、考えること、無いんだ。
それをやって何になるの?そんな事考えるやつ、いないんだ。
そんなことをするのはうつ病の人間だけだ。
ああ。
今日は最悪の日だ。
それが分かったら誰もうつ病患者は苦労なんてしていない。
原因なんてないんだ。
ただ単に周期的におかしくなる。それが分かっている、ただそれだけなんだ。
ああ。
明日はサインバルタをもらいに行こう。
でもそれで何が解消するのだろうか。
意欲が無い。
これはノルアドレナリンの方なのかセロトニンの方なのか分からないし、というか、他の何かなのかもしれないし、
ああ、もう、
考えるのが嫌だ。
つらいんだ。
もう分からない。
甘いとか寂しいとか、そういう感情を私は羨ましいと思う。それを人に伝えられる言葉があるから。
うつ病患者のこの感覚は、伝えられないんだ。
ロボトミー手術を受けた人の言葉を思い出す。あの人は確か施術医を殺害していたのだったか、それとも自殺したのだっただろうか。
その人は夕暮れが照る美しい海を見た。
そして、それが美しいということは分かったのに、何も感じなかった。
「こんなにも美しいものを見て何も感じないのなら自分はもう人間ではないし死ななければならないと思った」──
印象深い意味不明な言葉というのは何故かよく記憶に残るものだ。
今ならあの人の言っていたことが分かるんだ。
今日Evolandっていうゲームをやったんだ。
面白いゲームなんだろうなって思った。面白いゲームなんだろうなって。
でも面白くないんだよ。
そのゲームが面白いゲームであるはずだし自分が面白いと思うタイプのゲームでもあるはずだという事を脳が判断出来るのに面白いという信号や感覚が脳に伝わってこないんだよ。
それを感じられないんだ。
こんな時にゲームを見つめていると状況はもっともっと悪い方向に進んでいく。
私ってなんのためにゲームやってるんだっけ。
楽しいとき、なんのためにゲームやってたんだっけ。
終わらせるため?
療養のため?
日記を書くため?
終わらせて何になるの?名作を何個やったからといって、それが何になるの?私達はみんな死ぬのに。
療養してどうするの?私達はみんな死ぬのに。
日記を書いてどうするの?私達はみんな死ぬのに。
そんなこと人間が問うべき質問じゃないって、元気なときの私は答えると思うよ。
私は知識として知っているから。今、私がその答えを言うことは出来ないから、元気なときの私の記憶を引きずり出して、代わりに答えるよ。
「健康な人間はそんな事考えやしないよ。だって、楽しいんだから」。
それともそれは健康なときの私がおかしいのかな。
楽しいという感覚を年単位で奪われているから、そのことしか考えられなくなってしまったのかな。
分からないや。
ゲームをやってアニメを見て、あるいは小説や映画や音楽のようなものだったり、あるいは研究だって創作だってなんだって、同じだ。
意味を考える時点でもう間違ってるんだよ。
人生の意味なんて考える時点で間違ってるんだよ。
だけどうつ病になると考えるしかなくなるんだよ。
だって何をやっていても楽しくないのにそれらを全てやらされるんだから。さもなくば待っているのは自殺だけなのだから。
そしてやって時間だけ潰していると「これに何の意味があるんだ?」って問い始めるようになるんだ。
なあ、今日、漫画読んだだろう、楽しかっただろう、うん、楽しかった、だけどその後体調が余計酷くなっちゃった、何の原因もなくね。そういう病気だから。
漫画読んでる間に何かそういうこと考えてたかな、この楽しいに何の意味があるのとか、仮に寿命が無限にあってこの世の作品を全て楽しむことが出来たとしても果てに何の意味があるのとか、そんな事考えてたかな。考えてなかったよね。
人生は短すぎるよ。もうゲームすら過去の名作を全部遊びきるのが不可能な世の中になっちまったんだぜ。
だけどそんな事を気にしながら取り憑かれたようにゲームをコンプリートしていく哀れな人間がいるのかな。小説でもなんでも、いるのかな。
そんなこと気にしている人、いないんじゃないのかな。
単に寿命のある限り楽しいを享受して、それで死んで満足するんじゃないのかな。
研究は、ちょっと違うかもしれないね。100年後の数学や物理学を知りたいと悔しんで死ぬ人は沢山いるだろうけど、100年後の小説を読みたいと悔しんで死ぬ人は、あまりいないだろうから。数学も物理学も、私の専攻とは全く、全くもって関係ないのだけどね。
でも私は少なくとも100年後のそれを知りたいと思ってなどいなくて、ただ楽しいからやっている人をたくさん知っているんだ。
あるいは、それしか楽しめない人を、あるいは過去の私を。いや、今の私だって、誤魔化しているだけで、いつかきっとまた戻れるはずだと思っていて、だから正気を保っていられて、それが何年先になるかも分からず、寿命と若さはもう戻らないし、私の満足することはきっともう私の人生では出来なくって、療養している最中でさえ、それに私のゲームのピックの偏り具合を見てみればいかにそれが代替品でしかないかが分かって辛いんだ。
ああ、だけど。
もうなんだっていい。
楽しかったら。楽しいことが出来たら。誰もそれがなんのためにあるかなんて、人生の意味とか、考えること、無いんだ。
それをやって何になるの?そんな事考えるやつ、いないんだ。
そんなことをするのはうつ病の人間だけだ。
ああ。
今日は最悪の日だ。